FC2ブログ

    サー・ボブの銅像

    1月30日、アンフィールドにボブ・ペイズリーの銅像が登場した。コップ・スタンドの背後にあるクラブ・ショップ前の「ペイズリー・スクエア」に建てられたもので、銅像を手掛けた彫刻家を始め、クラブの関係者が極秘情報として入念に扱い、数週間にわたる準備期間を経て、お披露目の日に青天のへきれきのごとく発表された。

    その銅像は、LiverpoolFCのクラブ史上に残る有名なシーンの写真集の中でも最も顕著と言われている、ペイズリーがフィジオとして働いていた時期の1968年に、試合中に負傷した、後に名主将となるエムリン・ヒューズを、ペイズリーが背負って歩く場面を素材としたものだった。

    「選手(1939–1954)、コーチ(1955-1974)、そして監督(1974–1983)として通算44年間をクラブに捧げたボブ・ペイズリーは、ビル・シャンクリーが築いた有名な『ブート・ルーム』の一員で、シャンクリーの右腕だった。シャンクリーの引退後に監督を引き継いだペイズリーは、9年間の在任中にリーグ優勝6回を含む合計20の優勝杯をもたらし、クラブ史上最も成功を収めた監督となった。しかし、CL優勝3回でイングランド随一の業績が政府から無視され、ナイトが授与されなかったことを疑問視するファンの間で、『サー・ボブ』のニックネームが定着するに至った」と、地元紙リバプール・エコーがサー・ボブの銅像の報道記事を掲げた。

    「1983年に引退し、13年後に亡くなったペイズリーは、根っから控えめな人で、スポットライトを浴びることを徹底的に嫌ったことから、監督就任を引き受けるまでにクラブと家族の説得が必要だった、とは有名な話だった。エムリン・ヒューズを背負う銅像は、まさにペイズリーという人を象徴するものだった」。

    bob.jpgサー・ボブの銅像は、ファンの熱烈な歓迎を引き出した。中でも、ペイズリー時代を生で見てきたベテラン・ファンは、目を潤ませながら語った。

    「サー・ボブの銅像のシーン候補は吐いて捨てるほどあった。オーバーコートを着てヨーロピアン・カップを掲揚する写真とか。その中で、最もサー・ボブの人柄を偲ぶにふさわしい場面が採用された」と、あるファンは感激に震えながら言った。

    「シャンクリー像と並んで、アンフィールドに銅像が建てられるべき人物と言えばサー・ボブ以外にはあり得ない、とは誰もが一致すると思う。でも、脚光を浴びるのを嫌がったサー・ボブは何と言うかわからないが」と、別のファンが感涙にむせりながらジョークを言った。

    「サー・ボブの銅像に、クレイジ-・ホース(※エムリン・ヒューズのニックネーム)が一緒にいることは、まさにこのクラブの信念を象徴している。汗を流し、血を流し、痛みを受けながら、決意を持ってクラブのために捧げた人たちだ」と、別のファンが感慨深げに語った。

    「僕が子供の頃にLiverpoolの監督だったサー・ボブは、僕にとっては『監督としてあるべき姿』そのものだった。今風の、毒々しい言葉の応酬やマインドゲーム、遠回しにレフリーにプレッシャーをかけるという姑息な手段とは一線を画した人だった。常に誠実で、相手に敬意を表し、そのままの姿で臨んだ真のジェントルマンだった」と、自らのサー・ボブの思い出を語ったファンがいた。

    「このビッグ・ニュースを、ここまで漏洩を防いだクラブは素晴らしい」と、あるファンが笑顔を浮かべた。「実はつい昨日、歴史を知らない全国メディアが『ユルゲン・クロップの銅像を建てるべき』というのを聞いて、思わず舌打ちしたばかりだった。サー・ボブですらまだ銅像がないのに!と。なんというタイミングだと脱帽した」。

    「シャンクリー像とペイズリー像はどちらも、この偉大な2監督のクラブとのかかわり方を見事に表現している。リバプール市の人々とこのクラブを両手を広げて受け止めたシャンクリーと、選手を背負ってこのクラブに尽くしたペイズリー」と、多くのファンが異口同音に語った。

    「30年後にユルゲン・クロップの銅像が建てられるとして、どの場面がふさわしいだろう?」と言うファンのつぶやきに、誰かが答えた。「クロップがヘンドをハグしているところ」。

    コメント

    非公開コメント

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

    最新記事
    最新コメント
    リンク
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR