キング・ケニー・スタンド

    Liverpoolファンの歌と言うと、誰もがYou'll Never Walk Aloneを浮かべる。勿論、これはクラブ歌でもあり、外国ではアンフィールドを聖地と讃える背景でもある。ただ、特別な機会でない限り、You'll Never Walk Aloneは試合前と試合の終幕という、2回の定位置でのみ歌われるのに対して、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードは試合を通して歌われる。試合中に、苦境に陥ったチームを励ますために、あるいはアウェイの試合で、「我々はここから応援しているよ」と、存在感を強調するために、必ず出るスタンドの定番は、1979年の「フィールド・オブ・アテンリー」をアレンジして、Liverpoolファンがオリジナルの応援歌にした、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードの2節目だ。

    All round the Fields of Anfield Road
    Where once we watched the King Kenny play (and could he play)
    Steve Heighway on the wing
    We had dreams and songs to sing
    Of the glory round the Fields of Anfield Road

    そのフィールド・オブ・アンフィールド・ロードの中で最初に出てくる名前である「キング・ケニー」は、70,80年代の黄金時代を作ったレジェンドであり、クラブ史上最も重要な人物の一人として、今でもファンから慕われ続けている。

    昨季終幕の5月に、Liverpool FCの創立125周年を記念して、センテナリー・スタンド(1992年以前はケムリン・ロード・スタンド)をケニー・ダルグリーシュ・スタンドと改名する計画が発表された時、誰もが一斉に大賛成を表明した。

    キング・ケニーが、母国スコットランドのセルチックから、クラブ記録の£440,000でLiverpool入りしたのは1977年のことだった。1985年からのプレイヤーマネジャー時代を通算して、515出場172得点、リーグ優勝8回、ヨーロピアン・カップ優勝3回、FAカップ2回、リーグカップ5回と、「キング」の名にふさわしい栄誉記録を作った。

    そして、キング・ケニーがファンの間で常に語られる背景には、ピッチの上での業績に加えて、クラブ史上最悪の悲劇に直面して、誠意を尽くして生存者や遺族の方々をサポートした、人間的な面があった。

    当時すでに大人だった、少なくとも物心がついていた年代層のファンにとって、キング・ケニーはLiverpool FCの神髄ともいえる存在だった。

    それだけに、2012年に、キング・ケニーが現オーナー下で「解任」という形で2度目の監督在任を打ち切られた時には、それらのファンに「アンチ・オーナー」意識を植え付けた程だった。その後2013年に、オーナーの意向により、非常勤役員としてキング・ケニーが復職した時にも、しこりは晴れなかった。

    そして、今回のスタンド改名は、それらファンの「アンチ・オーナー」意識を一気に軽減したのだった。

    ユルゲン・クロップが2015年にLiverpool監督に就任が決まった時に、最初にやったことが、ヒルズバラ悲劇のビデオを見て歴史を学ぶことだった、という逸話が、ドイツのジャーナリストから漏れ伝わった。これに対してLiverpoolファンは大きく頷いた。

    同じように、控えめながら力強いインパクトをファンに与えた自伝の中で、キング・ケニーが明かした。「あの試合では、私の息子もスタンドにいた。悲劇の発生を知ってから暫くして、無事に帰ってきた息子を見た時の安堵は決して忘れられない。その時に、私のような運に恵まれなかったご家族の方々の気持ちを思うと、心が引き裂かれる気がした」。

    その言葉の通り、キング・ケニーがヒルズバラ悲劇の生存者や遺族の方々のお見舞いに奔走したことは周知の通りだった。そして1991年2月、リーグ首位の時に、キング・ケニーはLiverpool監督を辞任した。本人は一言も語らなかったが、その原因がヒルズバラ悲劇の心労の蓄積であったことは、誰の目にも明らかだった。

    マージーサイドに居を構え、Liverpool FCを去ってからもヒルズバラ遺族グループのサポートを続けたキング・ケニーは、その後イングランド1部(現プレミアリーグ)の複数のクラブから監督として引き合いが来たという。その中の一つがシェフィールド・ウェンズディだった。「Liverpoolファンのことを考えると、ヒルズバラをホーム・スタジアムにしているクラブの監督になることはできないと思った」と、キング・ケニーは明かした。

    2016年4月、ヒルズバラ悲劇の判決が下った直後に、遺族グループから「27年間、闘争を支えてくれたキング・ケニーにナイトを(※サーの称号)」という主張が出たのも自然な動きだった。

    これに対して、ファンは一斉に同意の拍手を送った後で、笑顔で語りあった。「ただ、『サー』になっても、我々ファンの間では『キング』であり続けることは間違いない」。

    今回のスタンド改名に際して、キング・ケニーは、持ち前の控えめなコメントを出した。「私の一家は、外からやって来てここに住み着いたアダプテット・スカウサー。私たちが他の人たちの手伝いをしたことはあったが、私たちも周りから助けて頂いたことがたくさんある。その一家をこうして受け入れてくれたことに感謝していると同時に、こんなにしてもらっても良いのかと戸惑っている。私よりももっと、スタンドの名にふさわしい人物が現れるかもしてないし」。

    「ただ、それまでの間、ありがたく受けさせて頂こうと思う。ケムリン・ロード・スタンド(※センテナリー・スタンドと改名される前の名称)に、私の席を確保してもらえるのだと思うと、嬉しい」。


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    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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