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    ライバル・ファンが脱帽する時

    チームのことを一番良く知っているのは、そのチームのファンだ。プロのアナリストが自分のチームの選手を批判するのを聞いて、ファンが「彼らに何がわかる?」と却下することは珍しくない。それは、アウェイの試合も含め、来る日も来る日もスタジアムに足を運び、TVカメラに映らない動きも全て見ているファンは、全チームの全選手をまんべんなく見るのが仕事というアナリストには目が届かない場面も、決して見逃さないからだ。

    そして、試合を良く見ているという意味では、ファンの次にそのチームを熟知しているのは、宿敵というチームのファンだ。それは、Liverpoolファンの間で折に付け飛び交うジョークで、「エバトン・ファンは、Liverpoolのことを何でも知っている。我々に対する嫌味のネタを探すために、毎試合、対戦相手を真剣に応援しながら目を凝らして見ているから」とは、ファン心理の真相をついていた。

    そのようなライバル・ファンの習性が伺えるような議論が、マンチェスターユナイテッド・ファンの間で交わされていた。議題は、7月22日のチェルシー戦(試合結果は5-3でLiverpoolの勝利)でフリーキックから先制ゴールを決め、今季通算13アシスト4ゴールでディフェンダーとしてのプレミアリーグ記録を作ったトレント・アレクサンダー・アーノルドについて、中立のアナリストが「アレクサンダー・アーノルドは、イングランド人としてはデビッド・ベッカム以来のキック力」と騒ぎ立てたものだった。

    多くのユナイテッド・ファンは、ユナイテッドのクラブ史上に残る名選手であるベッカムに軍配を上げつつも、「クロスとフリーキックをミッドフィールダーと比べるのは論外だ。ただ、ライトバックとしては、アレクサンダー・アーノルドは現役選手の中で世界のベストだろう」と、頷き合った。

    別のユナイテッド・ファンが、「守りのミスも激減した」と、トレントのディフェンス面に話題を移した。それに対して、「それは、ジョーダン・ヘンダーソンのお蔭だ。ミスをしてもヘンダーソンがボールを奪い返す。試合中に気を抜かないようにと、要所要所で締めているのもヘンダーソンだ」という声が上がり、誰もが同意を示した。

    かくして、ライバル・ファンが当然のごとくそのリーダーシップを評価するようになったヘンダーソンは、プレミアリーグの最終日を控えた7月24日に、イングランドのフットボール界で最も栄誉のある賞の一つである、FWAの最優秀選手賞に輝いた。

    プレミアリーグの各賞としては、BBCなど大手メディアが独自に、シーズン末もしくは年末に選出する賞が多数ある中で、フットボール・ライター協会(FWA)の最優秀選手賞と、プロ選手協会(PFA)の最優秀選手賞は、規模的にも伝統面でも圧倒的に上位を占める賞だった。

    プレミアリーグの全チームの全選手がシーズン終幕の3月から4月にかけて投票し、受賞者を決めるPFAの最優秀選手賞は、今季はロックダウンのために中断したままとなっているが、通常は、選手の目でライバル・チームの選手のパフォーマンスを評価することから、得点王やアシスト王、またはクリーンシートの数など、そのシーズン中に秀でた成績を残した選手が受賞する。

    いっぽう、フットボール・ライター協会に所属する400人超のジャーナリストが選ぶFWAの最優秀選手賞の方は、ピッチ上のパフォーマンスに加えて、ジャーナリストの視点である、ピッチ外の仕事を含めた総合的な業績が評価対象となる。

    「Liverpoolは、ヘンダーソンが出られなかった8試合(5勝1分2敗)で、ヘンダーソンが出た30試合(27勝2分1敗)よりも多くのポイントを落とした」と、その投票者の一人であるBBCのガース・クルックスは、ヘンダーソンのピッチ上の成績を指摘した。

    そして、マンチェスター・イブニング・ニュース紙のジャーナリストは、自らライバル・ファンの一人でもあり、プロのジャーナリストとしての立場から、ヘンダーソンのピッチ内外の仕事を称賛した。

    「ヘンダーソンは、主将としてLiverpoolの選手たちをリードして、チームの優勝を達成した。12月にコップが『我々は優勝する』というチャントを始めたことは、これまで30年間の苦悩を味わってきたファンが、軽々しく『優勝する』とは言わない慎重さを習慣としていたことを考えると、その意味は深かった。そのファンの声を背にして、若いLiverpoolの選手たちが『優勝』を意識して逆に自分たちにプレッシャーをかけるリスクを、ヘンダーソンは主将として防ぎ、チームメートの集中力をキープした」と、同紙は、Liverpoolのチーム全体のピッチ上の業績を、ヘンダーソンのリーダーシップの結果だと結論付けた。

    加えて、同紙はロックダウン中にヘンダーソンがプレミアリーグの全チームの全選手に提唱して、NHSへの基金(#PlayersTogether)を設立したピッチ外のリーダーシップを引用し、「ヘンダーソンはFWAの最優秀選手賞にふさわしい模範的なプロ」と締めくくった。

    16年ぶりのプレミアリーグ復帰&28年ぶりの「優勝杯」(リーズユナイテッド)

    イングランドの2019-20季は残り僅かとなった。Liverpoolのプレミアリーグ優勝とマンチェスターシティの2位が確定し、FAカップはチェルシーとアーセナルが決勝進出を決めた。上位の方では、トップ4の残り2枠の争いはチェルシー、レスター、マンチェスターユナイテッドの3チームに限定された。

    順位表の逆端では、既に降格決定のノリッジに合流する2枠を避けるべく、ボーンマス(残り1試合)、アストンビラ(残り2試合)、ワトフォード(残り2試合)がしのぎを削ることになった。

    そして2部から来季プレミアリーグに昇格するチームの第一号としてとして、7月17日にリーズユナイテッドが名乗りを上げた。2003-04季に降格し、財政破綻の末に3部に落ちた暗黒の時期(2007-2010)を乗り越えて、16年ぶりにプレミアリーグに復帰することになった。

    イングランド北部の大都市リーズ市にあり、トップ・ディビジョン優勝回数は通算3回(最後は1992年)というビッグクラブであるリーズユナイテッドは、熱心なファンがスタンドを埋め尽くすことでも定評があった。それだけに、今回の昇格決定、および翌日には2部の優勝が決定したリーズユナイテッドは、イングランド・フットボール界で大きな話題を呼んだ。

    言うまでもなく地元リーズ市では、2018年に監督に就任し、長年の悲願だったプレミアリーグ復帰を達成したマルセロ・ビエルサの人気は多大だった。16年ぶりのプレミアリーグ復帰を祝って、市の中心地にあるショッピングセンター「トリニティ・リーズ」に続く道の名前が「マルセロ・ビエルサ・ウェイ」と改名されることになった。そして、そのトリニティ・リーズは7月末まで「トリニティ・リーズユナイテッド」と標識を掲げることになったという。

    地元紙リーズ・ライブは、何ページにもわたってビエルサとそのヒーローたちの特集記事を掲げ、有名人リーズ・ファンの喜びのメッセージを並べた。

    そして、勢いに乗って「宿敵マンチェスターユナイテッド」へのメッセージを送った。いわく、リーズ優勝決定後の最初の試合はダービー・カウンティ戦(試合結果は3-1でリーズの勝利)で、「マンチェスターユナイテッドのレジェンドであるウェイン・ルーニーがリーズ一行にガード・オブ・オナーをした」記事を誇らしげに掲げ、ビエルサとはアスレティック・ビルバオ時代に共に働いた経歴を持つアンデル・エレーラがポストしたお祝いメッセージを、「マンチェスターユナイテッド・ファンの神経を逆なでする行為?」と、ジョークの絵文字付きで引用した。

    リーズユナイテッドのマンチェスターユナイテッドに対するライバル意識が、15世紀のばら戦争に起因していることは有名な話だ。白ばらのヨーク家(※現在のリーズ)が、赤ばらのランカスター家(※現在のマンチェスター)に敗れた、その30年間の内戦は、それから4世紀以上後に創立された2つのフットボール・クラブのライバル関係の原因ということだった。もちろん、これは赤ばらと白ばらの対決であるため、マンチェスターでも青をチームカラーとするシティは除外されていた。

    その5世紀に渡る(?)ライバルであるリーズユナイテッドのプレミアリーグ復帰は、必然的に、マンチェスターユナイテッド・ファンの間で大きな話題になった。「16年ぶりだから、我がチームの若手選手たちが、チーム間のライバル意識をちゃんと先輩から教わっているかと不安だ」と、あるマンチェスターユナイテッド・ファンがつぶやいた。

    その直後に、マーカス・ラッシュフォードが「リーズユナイテッドへ。昇格おめでとう」というメッセージをSNSにポストし、数分後に削除したという実話が流れた。マンチェスターユナイテッド・ファンは、「ラッシュフォードはさっそく勉強したようだ」と、ジョークを言って笑った。

    Liverpoolファンの間では、リーズユナイテッドの復帰を素直に喜ぶ声が圧倒的多数を占めた。「リーズユナイテッドは、歴史のあるビッグクラブで、痛い敗戦の記憶もあるが、常に強敵として敬意を抱いているチーム」と、多くのファンが頷いた。ビル・シャンクリーは、当時のリーズ監督ドン・レビーと「良きライバル」だったことも有名だ。

    Liverpoolファンの歓迎が聞こえたかのように、リーズ・ファンが「アンフィールドのアウェイ・スタンドで、『マンチェスターユナイテッドが嫌いな人は立ち上がって!』とチャンとしたら、全スタンドが総立ちになってみんなで爆笑したことがあった」と、昔話を口にした。

    「Liverpoolが30年ぶりの優勝に輝いたシーズンに、リーズユナイテッドが16年ぶりのプレミアリーグ復帰を達成するとは、ノスタルジックに浸るようなシーズン」と、Liverpoolファンは微笑んだ。。

    リーズ・ライブがLiverpoolファンのノスタルジーを引き取った。「ビエルサは、ヨーロピアン・チャンピオンでありワールド・クラブ・チャンピオンでもあり、そしてプレミアリーグのチャンピオンとなったLiverpoolを崇拝し、お手本としていると語った」。

    「リバプール市は、ロックダウンが解けた暁には必ず、ファンが安全に参加できる方法でLiverpoolの30年ぶりの優勝を称える祝勝パレードを行うと公表した。そしてリーズ市は、リバプール市の計画に習って、リーズユナイテッドの16年ぶりのプレミアリーグ復帰&28年ぶりの『優勝杯』を祝う準備を進めている」。

    2つの国のレジェンド(RIPビッグ・ジャック)

    7月10日、ジャック・チャールトンが亡くなったという悲報が伝えられた(享年85歳)。1966年W杯優勝イレブンの1人を失ったイングランドのフットボール界は、代表チームや現役時代の21年間を過ごしたリーズ・ユナイテッドはもちろん、全ての関係者やファンが、ビッグ・ジャックへの追悼を掲げた。

    翌7月11日の週末に行われたプレミアリーグ、およびイングランドリーグの全ての試合で、1分間の黙とうが行われた。実況放送のイングランド人コメンテイターは、神妙な声で、「イングランドのレジェンドでした」と言った。

    並行して、アイルランドでは、マイクル・ヒギンズ大統領が直々に追悼メッセージを出した。アイルランドのFA(FAI)は、「アイルランドのフットボールに永久的な変革をもたらしたレジェンド」と、史上初のW杯および欧州選手権本大会出場を達成した監督を偲んだ。

    ラグビーでは強国として海外に名が通っていたが、フットボールでは小国だったアイルランドが、1986年にイングランド人のジャック・チャールトンを監督として迎えてからは、まさに「永久的な変革」を成し遂げた。制度面の改革として、アイルランド代表選手の資格を緩和し(※)、イングランド生まれの選手を代表チームに選出するようになった時には、眉を吊り上げる人もあった。
    ※アイルランドで生まれたか、親がアイルランド人という資格を、祖父母まで拡大した。新制度下で、トニー・カスカリーノ、ジョン・オールドリッジらがアイルランド代表選手になった。

    しかし、最初のメジャーな大会だった1988年欧州選手権で本大会出場を達成し、アイルランドをヨーロッパの地図に載せただけでなく、本大会でイングランドを1-0と破ったことで、ビッグ・ジャックは一気にアイルランドのヒーローとなった。国内のあらゆるところでビッグ・ジャックのポスターが飾られ、オフサイドが何かもわからないような国民ですら、憧れのまなざしでビッグ・ジャックの名を語るようになった。

    当時のアイルランドは政治的に、英国、特にイングランドに対する反感は強く(※)、UEFAのメンバー国としては他国に当たる北アイルランドを自国と定義し、国民の間には「イングランドが我が国の一部を占領している」という感情が根付いていた。ベルファストでは、英国軍が銃を持って街中を警備していた時代だった。
    ※スコットランドとウェールズはアイルランドと同じケルト民族のため、「反英」はイングランドに向かっていた。

    ゴールウェイの観光バスに乗った時に、ガイドさんが開口一番に「イングランド人の方はいますか?」と乗客に質問し、誰もいないと確認した上で、占領地時代にイングランド人が地元市民を虐殺した歴史をえんえんと語ったことがあった。

    そのような時代に、イングランド人のビッグ・ジャックが、アイルランドにフットボール熱をもたらしたのだった。

    いっぽう、1966年W杯優勝を達成したヒーローであるビッグ・ジャックの悲報は、イングランドのフットボール・ファンにも衝撃を与えた。「時代は変わったから、今では信じられない話だが、1966年W杯の時に、ビッグ・ジャックとボビーのチャールトン兄弟のお父さんは、炭鉱の仕事で出勤しなければならなかったため、2人の息子が出ていた試合を見られなかったという。その実話を聞いて、ビッグ・ジャックに対する尊敬が一層深まった」と、あるベテラン・ファンが目を濡らしながら語った。

    引退した後に、「選手として最も思い出に残る試合は1966年W杯優勝ですか?」と質問されて、ビッグ・ジャックはくびを振った。「アンフィールドでリーズがリーグ優勝を決めた試合(※1969年、2位のLiverpoolとの直接対決だった試合で結果は0-0)が、選手として最も嬉しかった思い出だ」。

    ビル・シャンクリーがビッグ・ジャック獲得に動き、リーズの抵抗にあって断念したことは、Liverpoolファンの間で有名な話だった。そしてリーズのワン・クラブ・マンとして現役を終えたビッグ・ジャックは、クラブの優勝の方がW杯優勝よりも嬉しかったと、本心から語ったのか、それとも特有のユーモア精神から出た回答だったか、今ではわからない。

    そのようなビッグ・ジャック語録の一つを、レイ・ハウトンが披露した。Liverpoolの前回優勝メンバー(1989-90季)であり、アイルランドのW杯初出場ヒーローの一人だったハウトンは、欧州選手権のイングランド戦で唯一のゴールを決めた試合の後でビッグ・ジャックから言われた言葉を明かした。

    「監督から、『二度とするなよ』と言われたので、『何をですか?イングランド戦で得点することですか?』と聞き返した。『いや、違う。あんなに早く得点するのはダメだ。あの後の84分間は、私の人生の中で最も長い84分だった』と。本当に、ユーモアに満ちた人だった」。

    ハウトンと同じくアイルランドのW杯初出場ヒーローの一人であり、ビッグ・ジャック退陣後にアイルランド代表監督を勤めたミック・マッカーシーが語った。

    「ビッグ・ジャックの悲報は、アイルランドとイングランドの両方に大きな打撃を与えた。イングランドのファンは、1966W杯優勝ヒーローを失った。ただ、アイルランドのファンとアイルランドの国の方が大きな影響を受けたと言えるだろう」。

    政治的な情勢はこの30年で変わったが、アイルランドとイングランドの両国から崇拝されるビッグ・ジャックは、永遠にレジェンドであり続ける。


    優勝の実績が良い選手を作るのではない

    プレミアリーグの6月17日の再開に向けて、着々とステップを踏んでいた5月31日、シェフィールドユナイテッドの地元紙ヨークシャー・イブニング・ポストが、「最後にシェフィールドユナイテッドが6月にリーグ戦を戦った時、ブレーズ(※シェフィールドユナイテッド)はLiverpoolにリーグ優勝をもたらした」という見出しで、1947年を振り返った。

    今季、世界的パンデミックのために試合が中断し、通常ならばユーロやW杯などの代表チームの大会限定で、クラブの試合はあり得ない6月・7月にプレミアリーグの残日程が入った例外的な事態について、過去の事例を引き出して、いずれもLiverpoolがリーグ優勝に輝いたという共通点を紐解いたものだった。

    1946-47季は、20世紀最悪という悪天候に見舞われ、12月から2月にかけて延期・再日程となった試合が相次いだことから、最終日が6月14日、ブラモール・レーンでのシェフィールドユナイテッド対ストークシティの1試合だけが残った。5月31日に全日程を終えていたLiverpoolは、ストークに2ポイント差の首位だった。当時のイングランドリーグのシステムは、勝利は2ポイントだったが、得失点差で圧倒的に勝っていたストークは、最終日に勝てば優勝だった。

    そして試合は、シェフィールドユナイテッドが2-1で勝ち、「ブレーズがLiverpoolにリーグ優勝をもたらした」結末となった。開幕前に優勝候補と言われていたストークは、逆転を目指して猛攻撃に出た後半に、「レフリーの怪しげな判定の数々に涙をのんだ。ただ、ストークは、この試合の前にベスト・プレイヤーのサー・スタンリー・マシューズを売りに出してしまったのだから、勝てなかったのは自業自得」とは、同紙の結論だった。

    たまたま同期をとるように、リバプール・エコー紙が「前回、Liverpoolがリーグ優勝を待たされた1947年」として、同じ話を掲載した。ストークの敗戦の原因として、マシューズの移籍を上げたところまではヨークシャー・イブニング・ポストと共通していたが、同記事では、ブラモール・レーンの試合内容より、Liverpool陣営の動きに焦点を当てていた。

    インターネットも携帯電話もなかった時代のことで、自分たちの優勝の行方を追う手段がなかったLiverpoolファンのために、クラブが知恵を絞り、ブラモール・レーンの試合より15分遅れのキックオフで、アンフィールドでエバトンとの親善試合を行ったのだった。この試合はLiverpoolが2-1で勝ったが、満員のファンの関心はアンフィールドのピッチ上ではなく、スタンドに掲げられたブラモール・レーンの試合経過に集中していたことは言うまでもなかったが、ピッチの上の選手たちも、掲示板に目が向いていたという。

    かくして、6月14日まで待たされた1947年はシェフィールドユナイテッドが、日付という点では最遅記録となった2020年6月25日はチェルシーが、Liverpoolにリーグ優勝をもたらした。

    記録という点では、残り6試合となった今季、Liverpoolは、128年前のサンダーランドの「シーズン通してホームで全勝」にあと2勝、2018年のマンチェスターシティの100ポイントにあと4勝、同シーズンの最多ポイント差19などのチーム記録に加え、モー・サラーの3年連続得点王やアリソンのゴールデン・グラブという個人賞があった。

    ファンの間では、可能な限り多くの記録達成を目指すべき、という声と、来季に向けてのプリシーズン期間が十分に取れないだろうという前提で、残り試合で若手に経験を積ませるべきだという声が混在していた。ただ、誰もが一致していたのは、優勝という最大の目標を達成したチームに対する信頼だった。

    「2週間の間、他の試合の結果を祈るしかなかった1947年は、番外で開始したシーズンにそこまで行き着いた結果の優勝として大いに誇るべき。そして今季、3か月の不明瞭な期間をも克服して達成した優勝は、それを目指して進み続けたチームが自力で勝ち取ったもの。今季がどのような数字で幕を閉じようとも、次の目標への土台になることは間違いない」。

    ユルゲン・クロップが、ファンの信頼を裏付けた。「ファンが歌う'Allez Allez Allez'(アレ、アレ、アレ)の、『我々は決して止まらずに進み続ける』という一節は、今のチームを象徴している。今のチームはまさにその精神力を持っている。みんなで力を合わせて多くの優勝を達成したが、これで満足したから一休み、ということはあり得ない」。

    「自分の向上すべき点を直視してそれを克服するために日々努力し続ける。チームとして、クラブとして、一個人として、達成した業績を自慢するようなおごりは決して持たず、常により良くなれるよう働き続ける」。

    「優勝の実績が良い選手を作るのではない。向上するためには日々の努力しかない」。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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