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    勝者の本能

    5月25日は毎年、Liverpoolのファンや地元紙が「イスタンブールの日」として思い出を語り合う日だ(※2005年のCL決勝戦)。15周年になる今年は、イングランドではまだシーズン中断ということもあり、全国メディアでも大々的に取り上げた。「LiverpoolがACミランに前半3-0とリードされながら3-3、PK戦で優勝に輝いた、CL史上最大の劇的な決勝戦」と、各紙が当時を振り返る記事を掲げた。

    必然的に、通算6回目のCL(ヨーロピアン・カップ)優勝となった昨年は、Liverpoolファンの間で、14年前との比較が話題になった。「イスタンブールとは何もかも対照的」と、誰もが頷いた。「事前予測ではACミランの方が圧倒的に優位で、チーム力の差は大きかった。今回は正反対に、プレッシャーは一方的にLiverpoolにあった。相手トットナムも劇的な大逆転勝利の末に決勝進出を決めていたし、面白い試合になるだろう、と世間は期待していた。ふたを開けると、内容的にはイスタンブールの正反対で、CL史上最悪のたいくつな決勝戦になった」と、Liverpoolファンはジョークを言って笑い合った。

    ファンの気持ちを裏付けるかのように、今年5月のロックダウン中の特別番組で、ユルゲン・クロップが昨季のCL決勝戦について意見を語った。

    昨季のCL全試合を通して、最も感動した場面は?と質問されて、クロップは「決勝戦のディボック・オリジのゴール」と答えた。

    「あれは我がチームにとってもトットナムにとってもベストの試合とは言えない内容だった。ただ、我がチームの方は、決勝戦では、ベストの試合が出来なければどうやって勝つかということを学んでいた。ディボックのゴールが出た時に、私は『使命を果たした』と思った」。

    その時に、スタンドで後輩たちの優勝を見届けたスティーブン・ジェラードは、自らの後任主将であるジョーダン・ヘンダーソンに、「CL優勝チームの主将になると、世間の目が一変するからね」と、アドバイスを与えたという。

    そして、ジェラードの言葉が真相だったことが判明するまでに時間はかからなかった。

    2019-20季の開幕と共に、ヘンダーソンは全国メディアのチーム・オブ・ザ・ウィークの常連となり、対戦相手の監督や選手はもちろん、アナリストも「好調なLiverpoolの中枢」と、称賛を重ねた。ライバル・ファンも、Liverpoolに対するやっかみを込めて、「本来は我がチームのケビン・デ・ブルイネがプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝くべきだが、この賞は例年Liverpool限定なので、ヘンダーソンが取るだろう」などとため息をついた。

    「世間の目が変わった」と、Liverpoolファンは苦笑した。「ハイライト番組を見ているだけのファンにはヘンドの真価は分からないのは仕方ないことだ。ハイライト番組では、得点チャンスしか映さないから、ゴールやアシスト、およびセンターバックの決定的なブロックやGKのスーパーセーブだけが脚光を浴びる。でも、相手からボールを奪って攻撃に繋げる、いわゆる『ダーティー・ワーク』を黙々とこなす選手は目立たない。ヘンドの場合は、それに加えてオーバーラップするフルバックをカバーする守りも果敢にこなしているので、文字通り『Liverpoolの中枢』の役割を果たしている。CL優勝を契機に、世間がやっとその真価に気づいた」。

    世間の反応の変化の中で、2011年夏にヘンダーソンをサンダーランドから獲得した時の移籍担当責任者だったデミアン・コモリが、「FSGから予算は£15mまでと言われていた。しかしサンダーランドからは£16mを要求されて、迷った時に聞いた話が予算オーバーの移籍を決定した」と、当時の逸話を明かした。

    それは、ダービー(対ニューカッスル)の試合で、ヘンダーソンがフリーキックをスタンドに蹴り入れてしまい、ニューカッスル・ファンから一斉に嘲笑を浴びた、というものだった。その翌週のトレーニングで、ヘンダーソンはフリーキックの特訓を続け、300本を超えたところで「これ以上やると怪我をするから」と、コーチが無理やり止めさせた、ということだった。

    「この選手は絶対に大物になる、と確信した。この向上意欲は、勝者の本能だ」。

    かくして、ヘンダーソンをサンダーランドからLiverpoolに引き抜いた勝者の本能は、2019年CL優勝という業績をもたらした。そして、「世間の目が変わった」今も、ヘンダーソンの向上意欲は留まるところを知らなかった。

    「前年のCL決勝戦(対レアルマドリード、試合結果は3-1でLiverpoolは敗戦)と、2018-19季のリーグ(※最終日に1ポイント差でマンチェスターシティを抜けずに2位で終わる)、その前2016年のEL決勝戦(対セビーリャ、試合結果は3-1でLiverpoolは敗戦)とリーグカップ決勝(対マンチェスターシティ、試合結果は1-1、PK戦でLiverpoolは敗戦)と、我々は共に辛い敗戦を味わった。それが機動力となって昨季のCL優勝を達成した」と、ヘンダーソンは、ロックダウン中のBTスポーツのインタビューで語った。

    「我々は常に、失意を跳ね返すべく前向きに進んできたし、これからも向上し続ける」。


    夢の裏

    シーズンが中断し、生の試合がなくなったことで、BTスポーツが5月7日に「アンフィールドのミラクル」と題して、1年前のCL準決勝のバルセロナ戦を放送した(試合結果は4-0、通算4-3でLiverpoolが勝ち抜き)。様々な話題を呼んだこの試合は、決勝ゴールのディボック・オリジはLiverpoolファンの間でカルト・ヒーローとしての地位を固め、アシストのコーナーを蹴ったトレント・アレクサンダー・アーノルドはイングランド中のフットボール・ファンとアナリストに強烈な印象を植え付けた。

    その1周年放送が再び世間の話題に上る中、Liverpoolのユニフォーム一式を管理する責任者(キット・マネジャー)であるリー・ラトクリフは、「トレントが、66番の背番号を付けてあのコーナーを蹴った姿を見て、複雑な感情を抱いた」と、静かに語った。

    トレントが2016年夏に、ユルゲン・クロップのファーストチームのトレーニング・グラウンドに召集され、プリシーズンの試合に出るようになった時に、トレントに66番の背番号を渡したのがラトクリフだった。

    「アカデミーチームから上がってきたばかりの若手には、必ず大きい数字の背番号を渡すことにしている。まだ経験が少ない若手が、いきなり小さい数字の背番号をもらえば、へんなうぬぼれを抱く危険性があるから。トレントの場合も同じで、その時に空いていた大きな背番号を渡した」と、ラトクリフは振り返った。

    「通常は、それら若手がファーストチームに常駐するようになって翌年くらいに、小さい数字の背番号を下さいと言って来る。それが、トレントはいつまでたっても来ない。2年連続CL決勝でスタートした最年少記録を作り、ヨーロピアン・チャンピオンになったトレントが、66番の背番号を当たり前のように着ているのを見て、何とも言えない気持ちになる」と、ラトクリフは苦笑した。

    折しも、ユルゲン・クロップが、BBCスポーツのインタビューで「リバプールの監督になってからのベスト・サインは誰?」と聞かれて、トレントの名を上げたばかりのことだった。

    「移籍金を払って他のクラブから獲得したのではなく、アカデミーチームのコーチが連れてきた選手がトレントだった。2016年のプリシーズンのトレーニングで、初めてトレントを見た時、『わーお!』と感じた」と、クロップは輝く笑顔で語った。

    「その時のトレントの唯一の問題は、まだ体が出来ていない子どもだったこと。それ以外は何もかも持っていた」。

    そしてトレントは、そのシーズン2017年1月に、負傷のためアウェイのマンチェスターユナイテッド戦でプレミアリーグ・デビューを飾った(試合結果は1-1)。その翌シーズンのビッグ・マッチで(試合結果は2-1でマンチェスターユナイテッドの勝利)、トレントは相手マーカス・ラッシュフォードに1対1で抜かれて失点を食らう窮地を味わった。

    「あれは私のミス。トレントがラッシュフォードに抜かれたのは、私がそのようなケースの対処を教えなかったのが悪かった。世間があの試合を見て『ライトバックの補強が必要』などと叫んだのは全く不当な話だった。そしてトレントは、周囲の雑音を吹き飛ばす強い意志で、急成長し続けて、数か月後にはラッシュフォードと一緒にイングランド代表チームでプレイするようになった」と、クロップは目を細めた。

    トレントよりまる1歳上のラッシュフォードは、ほぼ1年先に地元のクラブであるマンチェスターユナイテッドのアカデミーチームからファーストチームに昇格した。プレミアリーグ・デビューを飾った2016年には39番の背番号だったラッシュフォードは、翌季に19番に格上げされ、現在は10番を着けていた。

    「いまだに66番の背番号で試合に出るトレントを見ていると、その『66番』に新たしい価値が生み出されたような気がする」と、キット・マネジャーのラトクリフは頷いた。

    マージーサイドでは、「66番」のトレントの名入りのシャツを着てボールを蹴る少年たちの姿が至る所で見られるようになった。

    そして、そのトレントの短期間の出世街道を描いたドキュメンタリー「夢の裏」が、4月下旬に放映された。リバプール市出身のタレントがナレーター役となり、トレントに同伴してカークビーのアカデミーチームのトレーニング・グラウンドを訪れるという演出だった。

    アカデミーチーム出身でクラブのレジェンドとなったスティーブン・ジェラードとジェイミー・キャラガーの写真の前で立ち止まり、トレントは自分がこのグラウンドに通っていた数年前を振り返った。

    「僕は、子供の頃にジェラードやキャラガーを見て、自分も彼らのようになる、と誓った。それは、アカデミーチームのスカウサーの少年たちにとって共通の夢だった」。

    そう言ったトレントは、その隣に新た加わった、CL優勝杯を掲げる自分の写真を見て言葉を失った。

    「知らなかった。アカデミーチームのグラウンドに自分の写真が飾られるなんて、本当に夢の実現だ」と、つぶやいたトレントは、その写真で自分が66番の背番号を着けていることなどどうでも良いとばかりに、目を輝かせた。

    「このクラブですべての優勝杯を取りたい。人々からレジェンドと言われる選手になりたい」。

    マイクル・ロビンソン You'll Never Walk Alone

    4月27日、マイクル・ロビンソンが1年半の闘いの末に悪性黒色腫で亡くなったというニュースが伝わった。Liverpoolが黄金時代の真っただ中にあり、リーグ、ヨーロピアン・カップ、リーグカップの3冠を達成した1983-84季にLiverpoolの選手だった。Liverpoolファンの間で「ローマでローマに勝った」という呼称で語られ続けている、通算4回目のヨーロピアン・カップ優勝だった(試合結果は1-1、PK戦4-2)。

    ヨーロピアン・カップ優勝メダルを保持する歴代選手は、全員がクラブ史上に残るヒーローだ。1989年にスペインのオサスナで現役引退し、そのままスペインに住み着いてアナリストとして大成功を収めたロビンソンは、英国メディアの目が届かないところに行ってしまったことで、リバプール・エコー紙にとっては、そこで終止符を打つ選手だった。

    並行して、スペインでは追悼メッセージが怒涛のように寄せられた。イケル・カシージャス、セルヒオ・ラモス、サビ・アロンソ、セスク・ファブレガスらフットボール界のスーパースターはもちろん、フットボール・ファンとして有名なテニスのラファ・ナダルも、心から悲しむメッセージを捧げた。

    1990年代から2000年代にかけて、スペインリーグの解説者として第一人者という地位を築いたロビンソンは、スペインの圧倒的多数のフットボール・ファンが「大好きなアナリスト」として名を上げる人だった。「解説者としての分析が鋭いだけでなく、独特なユーモアで笑わせてくれる」と、誰もがロビンソンの解説を楽しんだ。

    その当時のLiverpoolファンは、ロビンソンがスペインでアナリストとして活躍していることを純粋に喜ぶと同時に、Liverpoolの選手だった頃のロビンソンを振り返った。「1983年夏にLiverpoolがロビンソンを獲得した時のことをよーく覚えている。なんで取ったのだろう?とみんな驚いた」と、あるファンが語った。

    「1シーズンだけで去って行ったロビンソンは、予想を大きく覆したという程ではないが、『ローマでローマに勝った』チームの一員として、それなりに貢献してくれた」。

    ロビンソンの訃報に際して、そのシーズンに共に働いた一人であり、イングランドでアナリストとして活躍しているマーク・ローレンソンが追悼を語った。「彼の素晴らしい人格の一つが、選手としての自分の限界を認識していたことだった」。

    スペインでは、1981年のヨーロピアン・カップ決勝でレアルマドリードを1-0と破って以来、特に、Liverpoolは超名門クラブとして見上げられていた。しかし、ロビンソンは、「元Liverpool」の経歴を売り物にすることなく、自らの仕事で人気アナリストとしての地位を勝ち取った。

    それでも、ロビンソンの心の中には常にLiverpoolがあった。

    2018年5月、CL決勝戦のレアルマドリード対Liverpoolを控えて、AS紙がロビンソンの独占インタビューを掲載した。「ユルゲン・クロップはLiverpoolにアイデンティティを据え付けた。今のLiverpoolは、これから長年にわたって成功するための土台を持つチーム」と、ロビンソンはアナリストとしての見解を語った。

    そしてインタビューは、「ローマでローマに勝った」1984年ヨーロピアン・カップ決勝のPK戦のエピソードから、ロビンソンのLiverpoolに対する思いまで多岐にわたった。

    「私がLiverpoolにいた時には、チームバスに乗ると真っ先に『スーパーサブの席』を探した」と、ロビンソンは、自分の選手としての限界を率直に、かつユーモアを込めて語った。

    「Liverpoolがスペシャルである理由は何?」という質問に、ロビンソンは「スピリット、マジック、そして、スペシャルなアンフィールドがLiverpoolをスペシャルなクラブにしている」と答えた。

    近隣都市のブラックプールで少年時代を送っていた時に、お父さんに連れられて初めてアンフィールドに行き、コップに立った時の思い出を語った。「まだ子供で背が低かったので、試合を見るのに苦戦した」と、ロビンソンは笑った。以来、毎試合コップに通うようになったという。

    選手としてアンフィールドに立った時の思い出を問われて、ロビンソンはまたしても、持ち前のユーモア精神を発揮した。「私が初めてアンフィールドのピッチに立ったのは、他のチームの選手としてだった。トンネルの『This Is Anfied』を通ってピッチに出た時に、コップの大音量を聞いて、いったい何点取られるのかと萎縮させられた。『早く試合が終わりますように』と心の中で祈った」。

    「初めてLiverpoolの選手としてアンフィールドのピッチに立った時のことは忘れられない。試合前にジョー・フェーガンが言った。『このファンは君たちを熱烈に支持していることを忘れてはいけない。このファンにとって、君たちが唯一の誇りなのだ。ファンが君たちを思ってくれてるのと同じくらい、君たちはファンのことを思いなさい』と」。

    AS紙は、ロビンソンの訃報をトップ記事で伝えた。「マイクル・ロビンソン You'll Never Walk Alone」という見出しだった。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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