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    新たな「古き良き時代」へ

    プレミアリーグが中断して、フットボールなしの日々が続く中、ファンの間の話題は、必然的に、過去の名勝負の思い出話が中心となっている。そして少なくない人が、今季これまでの全試合を振り返って、あと2勝まで上り詰める興奮を味わいつつシーズン再開を待っている。

    その例に従って、今季プレミアリーグに復帰したばかりのノリッジをホームに迎えた開幕初戦(試合結果は4-1でLiverpoolの勝利)を再生すると、最初にアンフィールドでノリッジ戦を見た時の記憶がよみがえってきた。1994年4月30日のことで、Liverpoolファンの間では「コップ最後の試合」として折に付け話題になる試合だった。

    その翌週が1993-94季の最終戦だったが、Liverpoolはアウェイだったためノリッジ戦がコップ最終の試合となった。それは、テイラー・レポート(※)によりイングランドの上位2部リーグからテラスが撤廃され、全座席化が義務付けられたための措置だった。
    ※テイラー・レポート:ヒルズバラ悲劇の初公判で、事件現場となったテラスのスタンドがファンの安全性を確保できない構造だったという調査結果に基づき、全座席化を義務付けた判決。

    最初に全座席化したのは1992年のマンチェスターユナイテッド(オールド・トラッフォードのストレトフォード・エンド・スタンド)とアーセナル(ハイバリーのノース・バンク・スタンド)で、その2年後にアストンビラ(ビラ・パークのホルト・エンド・スタンド)と同時にアンフィールドのスパイオン・コップ・スタンドが続いた。

    テラスとは、現在のスタンドから座席を取り外したような形状で、段状のコンクリートの上にファンが立ち並ぶ。隙間なしに立てばより多くのファンが入れるため、正確な収容人数は算出できず、アンフィールドの最多入場記録は61,905人だった(1952年のウルブス戦)。コップが全座席化した後(2016年のメイン・スタンドの大改築前)の収容人数が45,362人だったことを考えると、その混雑状態は想像しがたい。

    立ち席なので、身長が高くない人は視界が遮られるし、試合の間ずっと立ちっぱなしということもあり、コップに立つ人は、体が大きくて体力がある就労年齢の男性が中心だった。家族連れや体力的に厳しい人々はメイン・スタンドなど椅子席のスタンドに入る。また、体が出来ていない年齢の子供たちは「ボーイズ・ペン」という子ども用のスタンドに入り、コップ・スタンドに立つことが「一人前になる」ステップだったという。

    コップは、テラスの一般的なデメリットを持ちながらも、子供たちが目標にするような、特殊な場所だった。

    Liverpoolのクラブ史上で有名な「コップがボールをゴールに吸い込む」現象は、毎試合同じ場所で肩をすり合わせて立つ中で連帯意識ができたファンが、文字通り力を合わせて全力でチームを応援するところから派生したものだった。他のスタンドのファンは基本的に「ゆったり座って試合を見る」人々が中心で、コップが指揮者役になってチームを応援し、対岸のアウェイ・サポーターとジョークを交わし、ユーモアたっぷりのチャントで他スタンドのファンに笑いを与え、時には他スタンドのファンも合流できるように歌を歌ったという。

    かくして、1905年から89年に渡って様々な思い出が蓄積されたコップが、1994年のノリッジ戦で最後を迎えた。

    試合前に、ノリッジ監督のジョン・ディーハンは「コップに敬意を表して、トスに勝っても後半のコップ側の攻撃はLiverpoolに譲る」と宣言した。「ただし、それ以外の譲歩はしない」と付け加えることも忘れなかった。

    そして、ノリッジの選手たちはディーハンの言葉を忠実に守り、1-0と勝って「コップ最後の試合」を締めくくった。

    そのシーズンは、最終順位でLiverpoolは8位、ノリッジは12位と、いわゆる「何も賭けていないチーム同士の対戦」だった。もちろん、いかなる状況であっても「勝敗はどうでも良い」試合はあり得ない。ただ、この日の主役は間違いなくコップだった。

    唯一のゴールは、35分にノリッジのジェレミー・ゴスがコップの前で決めた。相手チームのボールを「ゴールに吸い込んだ」コップは、一瞬の間を置いて、ゴスに暖かい拍手を送った。そして、Liverpoolへの応援をさらに強めた。

    ファイナル・ホイッスルの後で、全員揃ってコップの前に行き、挨拶をしたノリッジの選手たちに対して、コップは「ノリッジ、ノリッジ」と、大音量のチャントを返した。

    1969年に、リーズがアンフィールドで2位のLiverpoolに0-0と引き分けて優勝を決めた時に、監督ドン・レビーの指示でコップの前に行き、優勝杯を掲げたリーズの選手たちに対して、コップが「チャンピオン、チャンピオン」とチャントして優勝を祝ったエピソードは有名だった。「コップは最高のスポーツマンシップを持ったファン」と、後日レビーがお礼の手紙をLiverpoolに宛てたという結末だった。

    「コップ最後の試合」は、そのような様々な逸話を彷彿させるものだった。

    1991年に、ヒルズバラ悲劇の苦悩と過労によるストレスのためケニー・ダルグリーシュが辞任し、後任監督としてレンジャーズから引き抜いたグレアム・スーネスが、3年弱の在任期間中にピッチ内外の過ちでチームは急降下した。降格ゾーンにも入るどん底まで落ちた後で、再建を目指して1994年1月にビル・シャンクリーのブート・ルームの一員だったロイ・エバンスが監督に就任したが、暗黒の時代は続いた。

    並行して、「コップがボールをゴールに吸い込む」現象も低迷した原因として「椅子席では隣のファンとの距離があるし、座っていると声に力が入らないから」という意見が飛び交った。

    そのような時期を経て、2019年8月にノリッジを迎えたアンフィールドは、「コップ最後の試合」で閉じた「古き良き時代」を引き継いで、新たな章を開始した。

    最後のメモリアルサービス

    昇格シーズンながら、来季のEL出場権を争う程の好成績を上げているシェフィールドユナイテッドは、今季プレミアリーグの注目チームになっている。必然的に話題に上がることが多いシェフィールドユナイテッドを「シェフィールド」と、しかもイングランド外の複数の国籍の人が表現するのを聞き、面食らったことがあった。それは、例えばマンチェスターユナイテッドを「マンチェスター」と呼ぶに等しいかもしれないが、Liverpoolファンの口から聞いた時には、戸惑いを感じた。

    シェフィールドには、ウェンズディとユナイテッドの2つのビッグ・クラブがあり、市の主要産業(製鉄)から、両チームの対戦は「スティール・シティ・ダービー(※製鉄の市のダービー)」と呼ばれている。ただ、プレミアリーグでの最後のダービーは1993-94季で、ウェンズディが2000年に降格してからは、シェフィールド市はプレミアリーグの地図から姿を消した。

    かくして、Liverpoolファンが、年1回ヒルズバラ・スタジアム(※シェフィールドウェンズディのホーム・スタジアム)に行く必要はなくなった。

    FAカップ準決勝は、今でこそ、ウェンブリー・スタジアムの改造費を回収する目的で、毎年固定でウェンブリーで行われているが、それまでは伝統的に、対戦チームの中間地点にある1部リーグのクラブのホーム・スタジアムを「ニュートラルなスタジアム」として決めていた。そして、準決勝が2年連続で同じ顔合わせとなった1989年のノッティンガムフォレスト対Liverpoolは、前年と同じく、当時1部リーグにいたシェフィールドウェンズディのホームであるヒルズバラ・スタジアムで行われることになった。

    そして、96人のLiverpoolファンが、二度と帰ぬ人になった。

    Liverpoolが最後にリーグ優勝した1989-90季は、シーズンを通して僅か5敗だった、そのうちの1敗は、11月のアウェイでのシェフィールドウェンズディ戦だった(試合結果は2-0)。私がそのシーズンにアンフィールドで見た試合の一つが12月のシェフィールドウェンズディ戦で(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)、その時に、11月のアウェイの試合の話を聞いた。悲劇から7か月しか経っていなかった時点で、その悲劇の現場に行くことはできないと、本来はチームの応援のために全国を駆けまわる忠誠なファンの大多数が断念したという。

    悲劇の時とほぼ同じ顔ぶれだったチーム一行も、ファン同様に、ヒルズバラ・スタジアムのピッチの上では、試合に集中することが出来なかったことは、想像に難くなかった。

    そのシーズンは、まだシャンクリーゲート横にはヒルズバラ記念碑はなかった。その時点では、後に96人目となるトニー・ブラントは、意識を取り戻す見込みは殆どないと言われながら、病院で生命維持装置を付けていた(※1993年3月に装置が取り外された)。

    月日は流れ、ヒルズバラ悲劇はイングランドのフットボール界に様々な改革をもたらした。スタンドとピッチを隔離するフェンスが撤去され、1994年にはプレミアリーグと2部リーグの全スタジアムで、テラスと呼ばれる立ち席が廃止され、全座席化した。

    その間、シェフィールドウェンズディFCもヒルズバラ・スタジアムを改築し、悲劇の現場となった「ペン」(区画)は撤廃された。

    それでも、Liverpoolファンの間では、今でもカップ戦でアウェイでシェフィールドウェンズディと対戦することに抵抗を感じると言う人は少なくない。

    毎年4月15日に、1989年の悲劇を偲ぶメモリアルサービスが行われてきた。アンフィールドのスタンドに詰めかけたファンと歴代選手コーチが、遺族や生存者と共に96人を追悼するものだった。2016年には遺族グループの意向により、アンフィールドでの開催ではなく、市の大聖堂で関係者だけが出席するメモリアルサービスとなった。ただし、30周年にあたる2019年は、アンフィールドで最後のメモリアルサービスを行うことになっていた。

    しかし、2019年4月15日にはヒルズバラ悲劇の刑事裁判が行われていたため、法的な理由によりアンフィールドでの開催は断念せざるを得なくなり、1年後に延期された。

    2020年11月に判決が下り、裁判が終わったため、2020年4月15日の31周年には、アンフィールドでの最後のメモリアルサービスが行われることになった。それが今回のコロナウィルス危機のため、延期となった。

    最後のアンフィールドでのメモリアルサービスが、このような形で延期となることに対して、「少しでも多くの人に出席して欲しいから、安全が確保されるまで待つことに異論はない」と、正義を求めて30年近くもの間戦い続けた、遺族グループの代表であるマーガレット・アスピナルは前向きだった。

    Liverpoolファンにとって4月15日のメモリアルサービスは、1989年の悲劇の時の苦悩を思い浮かべ、影響を受けた人々と共に96人を偲ぶ場だった。それは、不慮の事態で延期となった今年も、アンフィールドでの最後のメモリアルサービスが行われた後も、永遠に変わらない。


    勝ち目がない戦い

    3月13日にシーズン中断に入って3週間余り経った4月3日に、プレミアリーグの全クラブのトップ会談(緊急TVミーティング)が行われ、中断期間の延期が決定された。その間のコロナウィルス危機悪化状況から、「安全が確保されるまで中断」は意義を挟む余地がないもので、物議をかもしたのは、同時に発表された財政的な決議だった。各クラブは選手の給料を、当面は30%減額し、状況により再調整することと、プレミアリーグとして医療機関(NHS)に£20m、下位リーグに£125mの助成金を出すという議事が、直後に発表されたプロ選手協会(PFA)の反発を呼んだのだった。

    この一連の動きは、その前日に、厚生労働大臣マット・ハンコックが「プレミアリーグの選手たちは、自主的に給料を減額してクラブの財政を援助すべき」と批判したことで、プレミアリーグが対策を立てたもので、PFAの反論は「30%減額で総額£500mとなり、結果的に税収が£200m減額することになる。NHSに£20mしか助成金を出さないのは少な過ぎる」というものだった。

    厚生労働大臣の言葉で世間の目が「プレミアリーグの選手たち」に集まっていたところで、今回の議論は、「フットボール界は内部分裂している」と、世間の目に映った。

    更に、そのゴタゴタの中で、Liverpoolが一般スタッフの給料を支払うために政府の補助金を利用するという決定を公表したことで、英国中が大騒動となった。Liverpoolファンや元選手から「FSGのオウン・ゴール」と批判が出る中、世間の非難は「減給を拒否する億万長者の選手たち」に集中した。

    BBCの一般ニュースで、財政の専門家が登場し、「大富豪のLiverpool」を始めプレミアリーグの5クラブが政府の補助金を利用する意向について、「億万長者の選手たちが減給を拒否していることが原因」と語った。「減給は税収の減額につながるからとPFAは説明していますが?」とのBBCの質問に、財政の専門家は皮肉な笑いを浮かべた。「億万長者の選手たちは、どのみち合法的な脱税をやっているくせに」。

    かくして、少年たちの憧れのヒーローだったプレミアリーグの選手たちが一転して諸悪の根源となった状況について、翌4月5日のタイムズ紙の論説で、ウエイン・ルーニー(現ダービー・カウンティのプレイヤー・コーチ)が「プレミアリーグの選手たちに勝ち目はない」と書いた。

    「正直、フットボーラーは多額の給料を貰っていると思うし、今このような状況下で、財政面で貢献すべきと感じてる選手は多い。しかし、厚生労働大臣が、他のスポーツ界の金持ちのプロの中には税金を逃れるためにモナコに住んでいる人もいることは不問にし、最も標的にしやすいフットボール界を指させば、我々は壁に突き付けられたような感触になっている」。

    「個々人で事情は異なるので、各クラブが選手と直接話をして減給の額を決めるべきだと思う。30%よりも多く減額できる選手もいるし、5%が限界という人もいるだろう。そこで差が出ることに不満を言う選手はいないと思う」。

    プレミアリーグの選手の平均年収は£3.5m(※日本円で5億円超)で、一般的な会社員の平均年収の50倍超だ。平たく言うと、プレミアリーグで1年間勤めれば、普通の職業の人が定年まで働き続けて得られる収入を上回る。ただし、これはあくまで平均であり、ビッグ・クラブの超スター選手は平均の5倍以上貰っている分、平均を大きく下回る選手もいる。

    更に、育った環境により給料の使途も様々だ。2017年に、中国のクラブでトレーニング中に急病で倒れて亡くなったシェイク・ティオテは、コートジボワールの貧しいご家庭で育ち、プロのフットボーラーとして多額の給料を貰えるようになってからは、自分の家族(奥さんとお子さん、親兄弟)だけでなく、叔父さん、叔母さん、従妹を含む全親族を財政的に支えていたという。ルーニーが言う、「個々人で事情は異なる」とは文字通りのものだった。

    「NHSに£20mというのは、太平洋に一滴注ぐようなものだ。プレミアリーグはもっと多額の援助が出来るはずだ」と、ルーニーは続けた。「しかも、ジョーダン・ヘンダーソンが提唱して、各クラブの主将たちが協力して自分たちがやるべきことを進めていた時に、プレミアリーグが不適切な動きをしたために、世間の批判の向き先は選手に集中した。我々選手たちに勝ち目はない」。

    ヘンダーソンが発起人となって、全20クラブの主将が合同でNHSに寄付する計画については、厚生労働大臣が「減給を拒否する億万長者の選手たち」を批判した直後に、トットナムのダニー・ローズ(現ニューカッスルにローン中)が明かしたことだった。

    そして、ウルブス主将のコナー・コーディが、「ジョーダン(ヘンダーソン)は2週間以上も前から計画を進めていた。本当に素晴らしいと思う」と、ローズの言葉を裏付けた。「僕自身も、今回のコロナウィルス危機の中で人命救助のために働いているNHSのスタッフを見て心から感謝していたし、他にも多くの選手が、財政的な援助をしたいと言っていた。それを、ジョーダンが全クラブの選手に働きかけて、みんなで協力して実現させるべく、行動に移した。全20クラブの主将と話をするのは時間がかかることだった」。

    Liverpool時代から友人だったコーディや、イングランド代表チームで顔見知りのハリー・マグアイア(マンチェスターユナイテッド主将)らが順次ヘンダーソンに合流し、多額の基金を集める計画を進めていたことは、「減給を拒否する億万長者の選手たち」を非難するニュースの中では一切言及されなかった。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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