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    通算100ゴール

    9月末のBBCの特別番組で、ガリー・リネカーとペップ・グアルディオーラが対談し、冒頭の会話が話題を飾った。リネカーがバルセロナのスター選手だった頃に、ユース・チームの一員として、グアルディオーラがカンプノウでボールボーイを勤めていた時の逸話だった。「私はいつも試合後に、あなたにシャツをくださいとお願いしたのに、あなたは一度もくれたことがなかった。私は絶対に許しませんからね!」と笑ったグアルディオーラに対して、リネカーは「あの時代は選手はシャツを1枚しか持ってなかったので、上げることはできなかった」とジョークで言い訳し、笑いを買った。

    折しも、アンフィールドでLiverpoolがバーンリーに1-1と引き分けた試合の後で、ダニエル・スタリッジがコップ・スタンドの少年ファンにシャツを上げた話が、Liverpoolファンの間で話題になった。

    「僕は少年時代に、チケット代は払えなかったが、サインが欲しくていつもスタジアムの前で選手が出てくるのを待ったものだった。くれなかった選手のことは決して忘れない。だから自分が選手になった今、少年たちにささやかな喜びを上げたいと思っている」と、スタリッジは微笑んだ。「何故なら、彼らは将来。これからの世界を変えることができる人望なのだから」。

    そのエピソードは、ファンのスタリッジ支持に拍車をかけた。キャリア通算100ゴールまであと1だったスタリッジが、バーンリー戦では自ら作ったゴールチャンスを、相手GKの目の前でジョーダン・ヘンダーソンに「譲った」ことについて、ファンの間で話題になっていたところだった。

    「ゴール前で、ヘンダーソンがノー・マークだったのを見て瞬発的にパスを出したスタリッジは、自分の得点記録よりチームを優先する典型的なプロ。しかもそのパスの正確さは超一流。Liverpoolに入ってくる前には、自己中心的でチームプレイができない自信過剰のストライカーという悪評判を耳にしたが、それが全く根も葉もない中傷だということを改めて見せつけた。さらに、TVカメラのないところで少年ファンを大切にする人格者」。

    かくして、お預けとなったスタリッジの通算100ゴールは、10月28日のハダースフィールド戦で実現した(うちLiverpoolでは62ゴール)。明らかに「バスを止める」方針でアンフィールドに来たハダースフィールドにLiverpoolは苦戦を強いられ、ハダースフィールドの戦略が実りそうな行方になっていた50分に、相手のミスから鮮やかな先制ゴールを決めたものだった。緊張が一気に解けたかのように、その後はLiverpoolが一方的な優位を保って3-0と勝利を得た。

    試合後に、ハダースフィールドの地元紙ハダースフィールド・エクザミナーはチームを絶賛した。「ダニエル・スタリッジが、超一流ストライカーのゴールで試合を変えた。でも、50分間果敢に守り、自分たちの役目を果たしたハダースフィールドの選手たちは胸を張るべき」。

    試合内容に関する分析は、Liverpool陣営でも一致していた。それだけに、通算100ゴールのマイルストーンにふさわしい重要な得点を、しかもコップの前で決めたスタリッジに対する絶賛は、後を絶たなかった。

    しかしスタリッジは、試合後の第一声で、自分の記録よりもチームの勝利に対する達成感を語った。「今日の試合が我々にとって必勝だったことは誰もが認識していた。それが実現できて、何よりも嬉しい」。

    24ゴールを記録した2013-14季にはリーグ25試合でスタートしたスタリッジは、その後負傷などのために数字は伸び悩み、昨2016-17季はわずか11スタートに終わった。深刻な負傷の心配からは解放されつつある今季も、スタートはわずか4試合目だった。

    なかなかスターティング・ラインナップ入りできない状況についてスタリッジは、「リズムが一定している方が調子が乗ることは確か。でも、チームを選出するのは監督。それについては不満を感じたことなどない。監督の決定に対しては常に尊重している」と語った。

    「今日の試合では、監督が僕を信頼してスタートさせてくれたことに心から感謝している。そして、その監督の信頼に答えられたと感じている」。

    100ゴールについての感想を問われてスタリッジは、「全く考えなかった。言われるまで忘れていた」と照れた後で、真顔で語った。「100ゴールのマイルストーンを達成できたことに感謝している。もっと多くの得点を取っているべきだったのかもしれない。でも、過去のことを考えても仕方ない。これからもゴールを重ねて、引退するまでには200に到達したい」。

    良いとこなしの試合

    9月26日のCLスパルタクモスクワ戦の前の記者会見で、現地のジャーナリストがユルゲン・クロップに的外れの質問をして、イングランド中の冷笑を買ったことがあった。それは、「マウリシオ・ボチェティーノはハリー・ケインが大好きだと言っています。あなたは、Liverpoolの選手の中で大好きなのは誰ですか?」というものだった。通訳ごしに質問を聞いたクロップは、我慢強く笑顔を維持しながらも、冷たく答えた。「私もハリー・ケインは大好きですよ。はい、次の質問は?」。そしてクロップは、訳し始めた通訳に向かって言った。「CLの記者会見で、このような質問を受けるとは思わなかった。訳さなくていいですよ。わざわざ訳す価値はない」。

    一連の会話をTVで見ていたファンは、「イングランドのメディアよりもレベルが低いジャーナリストがいるとは驚いた。それにしてもこの質問、現実とは思えない」と顔を見合わせた。

    ともあれ、このジャーナリストですら名前を知っているくらいに、ケインの評価は急上昇していた。例年のごとくスロースターターで、9月に初ゴールが出たのを皮切りに、トットナムでもイングランド代表チームでも第一人者になっていた。

    しかし、プレミアリーグの得点ランキング首位に立つケインは、ホームでの得点がないまま10月22日のLiverpool戦を迎えた。トットナムも、伝統的なホーム・スタジアムであるホワイトハート・レーンの改装工事中の限定で、暫定ホームとなっているウェンブリーで苦戦を強いられていた。前週10月14日のボーンマス戦で、リーグでの初勝利を上げたばかりだった(試合結果は1-0)。

    そのような状況もあり、10月22日のビッグ・マッチは、直前のCL戦(対マリボル、試合結果は7-0でLiverpoolの勝利)で攻撃陣が復調したLiverpoolと、互角の対戦を予測する声が圧倒的に多かった。

    ふたを開けるとLiverpoolは、またもディフェンスの弱点が露呈して、ケインのホームでの今季初ゴールを含む2得点とトットナムのホームでの2勝目を献上した(試合結果は4-1)。

    試合開始25分にミスから2-0となったLiverpoolのディフェンスについて、全国紙は「Liverpoolのディフェンスは、ハリー・ケインを怖がって逃げまくった末に、捕まって処分された」と痛烈だった。

    地元紙リバプール・エコーも、「Liverpoolのディフェンスは、間違えてホワイトハート・レーンに行ってしまったようだ」と、容赦なかった。リーグ9試合で16失点は、1964-65季以来のワースト記録の更新だった。

    アナリストも一斉に猛批判を浴びせた中で、ガリー・ネビルは冷静に語った。「Liverpoolは、全開した時はプレミアリーグで最も面白いフットボールをする、第三者としては最も見たいチームの一つ。しかし、今日のウェンブリーでは、デヤン・ロブレンの致命的なミスから与えた2失点が、チーム全体を地獄に突き落とした」。元マンチェスターユナイテッドのガリー・ネビルの口調には、同情がこもっていた。

    「今日のLiverpoolは悲しいチームに見えた。こんな印象を受けたのは、ユルゲン・クロップが監督になって以来、初めてのことだ」。

    ユルゲン・クロップは、試合開始31分に、「チーム全体をいきなり地獄に突き落とした」ロブレンを下した決定について、「チームに落ち着きを取り戻すために、変化が必要だと判断した。結果的に、あまり効果はなかったが」と説明した。

    「ひどい試合だった。もちろん、トットナムは良いチームだ。でも、我々のディフェンスがトットナムの仕事をラクにした。先制ゴールは、説明の余地がないような最悪の守りから出たもの。ヘッドラインを飾るようなことは言いたくないが、ディフェンスのミスが試合を決めた。今日の試合では、良かった点について語る気にはなれない」。

    今後の試合については、全てを振り出しに戻し、努力してポジションを勝ち取った選手だけがスターティング・メンバー入りすることになる、と締めくくった。

    今後のラインナップについてのファンの意見は、ほぼ一致していた。「直接失点に結び付くミスを繰り返したロブレンとシモン・ミニョレは暫くスタンドで頭を冷やすことが必要。他の選手も、責任の重さではそれほど差はない」。

    「今日の試合では決して良い出来とは言えなかったが、若手で頑張っているジョー・ゴメスをセンターバックに入れて育てる方が望みは大きい。それ以外にも、試合に出る機会が得られずにいるアンディ・ロバートソン、マルコ・グルイッチ、ベン・ウッドバーンらを試すべき。少なくとも、これまでレギュラーだった選手たちは全員が、試合に出してもらうために努力すべきだ」。

    同時に、ファンのサポートは強かった。「今は、チームが我々ファンのサポートを必要としている時。特に、世間の風当たりを受けている監督に対して、ファンの信頼は変わらないことを示す時。状況にあるクラブに来てくれて、盛り上げてくれたクロップが、将来を見据えたチーム強化の計画を実現してくれるためにも、全面的な支持を表明しよう」。

    キング・ケニー・スタンド

    Liverpoolファンの歌と言うと、誰もがYou'll Never Walk Aloneを浮かべる。勿論、これはクラブ歌でもあり、外国ではアンフィールドを聖地と讃える背景でもある。ただ、特別な機会でない限り、You'll Never Walk Aloneは試合前と試合の終幕という、2回の定位置でのみ歌われるのに対して、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードは試合を通して歌われる。試合中に、苦境に陥ったチームを励ますために、あるいはアウェイの試合で、「我々はここから応援しているよ」と、存在感を強調するために、必ず出るスタンドの定番は、1979年の「フィールド・オブ・アテンリー」をアレンジして、Liverpoolファンがオリジナルの応援歌にした、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードの2節目だ。

    All round the Fields of Anfield Road
    Where once we watched the King Kenny play (and could he play)
    Steve Heighway on the wing
    We had dreams and songs to sing
    Of the glory round the Fields of Anfield Road

    そのフィールド・オブ・アンフィールド・ロードの中で最初に出てくる名前である「キング・ケニー」は、70,80年代の黄金時代を作ったレジェンドであり、クラブ史上最も重要な人物の一人として、今でもファンから慕われ続けている。

    昨季終幕の5月に、Liverpool FCの創立125周年を記念して、センテナリー・スタンド(1992年以前はケムリン・ロード・スタンド)をケニー・ダルグリーシュ・スタンドと改名する計画が発表された時、誰もが一斉に大賛成を表明した。

    キング・ケニーが、母国スコットランドのセルチックから、クラブ記録の£440,000でLiverpool入りしたのは1977年のことだった。1985年からのプレイヤーマネジャー時代を通算して、515出場172得点、リーグ優勝8回、ヨーロピアン・カップ優勝3回、FAカップ2回、リーグカップ5回と、「キング」の名にふさわしい栄誉記録を作った。

    そして、キング・ケニーがファンの間で常に語られる背景には、ピッチの上での業績に加えて、クラブ史上最悪の悲劇に直面して、誠意を尽くして生存者や遺族の方々をサポートした、人間的な面があった。

    当時すでに大人だった、少なくとも物心がついていた年代層のファンにとって、キング・ケニーはLiverpool FCの神髄ともいえる存在だった。

    それだけに、2012年に、キング・ケニーが現オーナー下で「解任」という形で2度目の監督在任を打ち切られた時には、それらのファンに「アンチ・オーナー」意識を植え付けた程だった。その後2013年に、オーナーの意向により、非常勤役員としてキング・ケニーが復職した時にも、しこりは晴れなかった。

    そして、今回のスタンド改名は、それらファンの「アンチ・オーナー」意識を一気に軽減したのだった。

    ユルゲン・クロップが2015年にLiverpool監督に就任が決まった時に、最初にやったことが、ヒルズバラ悲劇のビデオを見て歴史を学ぶことだった、という逸話が、ドイツのジャーナリストから漏れ伝わった。これに対してLiverpoolファンは大きく頷いた。

    同じように、控えめながら力強いインパクトをファンに与えた自伝の中で、キング・ケニーが明かした。「あの試合では、私の息子もスタンドにいた。悲劇の発生を知ってから暫くして、無事に帰ってきた息子を見た時の安堵は決して忘れられない。その時に、私のような運に恵まれなかったご家族の方々の気持ちを思うと、心が引き裂かれる気がした」。

    その言葉の通り、キング・ケニーがヒルズバラ悲劇の生存者や遺族の方々のお見舞いに奔走したことは周知の通りだった。そして1991年2月、リーグ首位の時に、キング・ケニーはLiverpool監督を辞任した。本人は一言も語らなかったが、その原因がヒルズバラ悲劇の心労の蓄積であったことは、誰の目にも明らかだった。

    マージーサイドに居を構え、Liverpool FCを去ってからもヒルズバラ遺族グループのサポートを続けたキング・ケニーは、その後イングランド1部(現プレミアリーグ)の複数のクラブから監督として引き合いが来たという。その中の一つがシェフィールド・ウェンズディだった。「Liverpoolファンのことを考えると、ヒルズバラをホーム・スタジアムにしているクラブの監督になることはできないと思った」と、キング・ケニーは明かした。

    2016年4月、ヒルズバラ悲劇の判決が下った直後に、遺族グループから「27年間、闘争を支えてくれたキング・ケニーにナイトを(※サーの称号)」という主張が出たのも自然な動きだった。

    これに対して、ファンは一斉に同意の拍手を送った後で、笑顔で語りあった。「ただ、『サー』になっても、我々ファンの間では『キング』であり続けることは間違いない」。

    今回のスタンド改名に際して、キング・ケニーは、持ち前の控えめなコメントを出した。「私の一家は、外からやって来てここに住み着いたアダプテット・スカウサー。私たちが他の人たちの手伝いをしたことはあったが、私たちも周りから助けて頂いたことがたくさんある。その一家をこうして受け入れてくれたことに感謝していると同時に、こんなにしてもらっても良いのかと戸惑っている。私よりももっと、スタンドの名にふさわしい人物が現れるかもしてないし」。

    「ただ、それまでの間、ありがたく受けさせて頂こうと思う。ケムリン・ロード・スタンド(※センテナリー・スタンドと改名される前の名称)に、私の席を確保してもらえるのだと思うと、嬉しい」。


    ユルゲン・クロップが声援をもたらした

    2年前の10月8日、ユルゲン・クロップのLiverpool監督就任のニュースがイングランド中のヘッドラインを独占した。クロップの最初の言葉の一つが「懐疑心を信頼に変える」というものだった。それから2年が経ち、トロフィーゼロ、戦績では111試合55勝32分24敗、得点201で失点が125という数字と、この夏の戦力補強の欠如、特に、急務だったセンターバックとディフェンシブ・ミッドフィールダー部門で、それぞれ筆頭候補がボツになった時点で代替策を取らなかったことで、多くの全国メディアから「信頼を懐疑心に変えた」と批判を受けていた。

    「では、果たしてファンは、クロップの2年間についてどのような評価を下しているか?」という見出しで、地元紙リバプール・エコーが特集記事を組んだ。

    折しも、この2年間の節目を迎えて、ファンの間でも自発的な議論が出ていたところだった。地元の大多数のファンの間では、直近7試合でわずか1勝という成績を楽観視している人は皆無に等しく、いくつかの要素においてクロップの決断ミスを指摘する声も少なくなかったが、同時に、「軌道修正して不調を乗り越えるために、クロップより適任者はいない」という意見では一致していた。

    「私は人生を通してずっと、アンフィールドに通い続けている。この56年間、チームが良い時も、あまり良くない時も、変わらずチームをサポートし続けてきた」と、あるベテラン・ファンは切り出した。「勝てなかった試合の後で、即座にTV番組に電話したり、SNSに『監督クビ』を求めるメッセージをポストするような『インタネット戦士』は、本当にクロップに出て行かれたら果たして今のLiverpoolがどうなるか、考える頭すら持っていない人々」。

    別のファンが、11月に出版される、ドイツ通の著名なスポーツ・ジャーナリストによる、クロップの2年間をまとめた「ユルゲン・クロップが声援をもたらした」という本の予告版を紹介した。

    同書は、フォーンビー(※リバプール市のベットタウン)の「クイズ・ナイト」の話で始まっていた。毎週火曜日に開催され、多い時には100人の参加者を集める人気企画で、クロップの住居から徒歩5分の距離にあるそのパブの「クイズ・ナイト」は、クロップもレギュラーの一人だった。

    「ある時ひょっこり現れて、自然なしぐさで近くのテーブルのグループに合流し、クイズに参加したクロップは、全く違和感なく地元社会に溶け込んだ」と、ある住民が語った。マージーサイドの裕福な地区にあるフォーンビーでは、有名人の住民は珍しくなく、地元の人々はクロップに対しても駆け寄って騒ぐようなことは一切せず、普通の隣人として接しているという。「クロップは、フットボールだけでなく、いろんな分野の知識があり、クイズも良くできるし、会話していて楽しい人」。

    同じくフォーンビーに住むデビッド・フェアクラフ(Liverpool在籍は1975–1983)は、地元で犬の散歩をしていた時に、クロップと初めて出くわした。「クロップも犬を連れていたので、会話は犬の話になった。その時、クロップは果たして、私が元Liverpoolの選手だと気づいていたかどうかは不明」と、フェアクラフは笑った。

    犬の散歩で何度か出会い、顔見知りになった頃に、地元のパブで奥さんと一緒にランチを取っていたクロップを見かけたフェアクラフは、近寄って会話を始めた。そして、ランチのフィッシュアンドチップスの感想を尋ねたら、クロップは、感情を込めて「絶品でしたよ!」と返したという。その時、フェアクラフは「クロップにビル・シャンクリーの面影を見た」と語った。「分け隔てなく地元の人々と触れ合うクロップは、人々から熱烈に好かれる人柄で、人々に対して情熱を抱いている」。

    フェアクラフは、Liverpoolが昨季のシーズン末にオーストラリアで親善試合を行った時のエピソードを明かした。「試合前に、クロップは選手たちに向かって真剣な口調で語った。『この試合を見るために、大金を費やして来てくれた8万人のファンに、喜んでもらえるプレイをしなさい』と。私が知る限り、そんなことを言った歴代Liverpool監督は、シャンクリーだけ」。

    「クロップがシャンクリーと同じくらいこのクラブにいて、同じくらい栄誉を取ったら、恐らくクロップはシャンクリーと同じくらいのレガシーを残すだろう」と、フェアクラフは締めくくった。

    同書は、リバプール市出身で熱烈なLiverpoolファンとして有名なポップ・バンド「ファーム」のピーター・フートンの証言を引用した。9歳の時にコップ・スタンドで、シャンクリーを目の前で見た時のことだった。同年代の少年ファンが投げたスカーフが、コップとシャンクリーの間に立っていたスタジアム警官の足元に着地した。その警官がスカーフを足蹴にしたのに対して、シャンクリーは「あなたにとっては単なるスカーフかもしれない。でも、この少年にとっては宝物なのだ」と言って、スカーフを拾って自分の首に巻いた。

    「救世主がシャンクリーとしてこの世に戻ってきたのだ、と思った」と、シャンクリーの思い出の後で、フートンは語った。「クロップがファンを大切に思ってくれていることは明らかだし、ファンは誰もがクロップの熱情に魅かれていると思う。ただ、シャンクリーがコップ・スタンドに手を差し伸べる位置に立っていたのに対して、クロップとコップとの間には、まだ目に見えない境界線があるように感じる」。

    「我々ファンにとっては、様々な事情で、毎試合かつてのような大声援を発し続けているわけではないから、クロップをがっかりさせているに違いないという後ろめたさが心の底にある」。

    「ただ、クロップはきっと、トロフィーを取った時にその境界線を乗り越えて手を差し伸べてくれるのではないかと思う。そうだとしたら、待つ甲斐がある」

    スペシャルなクラブ

    10月1日、セントジェームス・パークで、Liverpoolは「またも」内容で優位に立ち、先制しながらディフェンスのミスで同点ゴールを食らい、1-1の引き分けで終わった。CLとカップ戦を含めて7試合僅か1勝となったこの試合のレビューで、地元紙リバプール・エコーは「Liverpoolの試合の記事はコピペで十分」と痛烈な批判を掲げた。

    同時に、「ラファは今でも変わらず、LiverpoolFCの一員である証を示した」と、同紙はもう一つの話題の方に焦点を当てた。その中には、ラファがこの試合の賓客として、ヒルズバラ遺族グループの代表であるマーガレット・アスピナルを招待したという逸話があった。

    ラファが、Liverpool監督時代(2004–2010)に購入したウィラル(リバプール市郊外)の家に、今でも住んでいることは有名な話だった。折につけ、ヒルズバラ遺族グループに対して寄贈などのサポートをしてきたラファが、自宅に戻っていた2011年4月15日に、ヒルズバラ記念式典に参列し、マーガレット・アスピナルのスピーチに涙をぬぐった姿をTVカメラが捉えたことも、Liverpool陣営内では有名な話だった。

    ニューカッスル監督に就任してからは、ニューカッスル近郊に単身赴任しているものの、ご家族は今でもマージーサイドの住民だった。「ジョーディー(ニューカッスル地区のアクセント)とスカウサーとどちらが難しいかって?私の息子はスカウサーを話すので、若干スカウサーの方が慣れているかもしれないが、でも私にとっては、どちらも理解不能!」と、ラファはジョークを言って笑った。

    この夏、戦力補強資金を巡って、ラファがニューカッスルのオーナー、マイク・アシュリーと対立したことが話題になった。英国の大手スポーツ用品店スポーツダイレクトの経営者でもあるアシュリーは、2007年にニューカッスルを買収して以来、ニューカッスル・ファンから「戦力補強よりも収益金を上げる方を優先している」と批判されてきた人だった。2016年に、CLとEL優勝を始めヨーロッパのビッグクラブで実績を持つラファを監督に引き抜いたことで、株が上がったのもつかの間だった。1シーズンでプレミアリーグ復帰を達成したラファに対して、「クラブの収益金は全額、戦力補強に充てる」と約束した口が乾かぬうちに、資金を出し渋ったことで、ファンも地元紙も圧倒的にラファ支持というニューカッスルで、アシュリーが四面楚歌に陥る騒ぎとなった。

    ニューカッスル・ファンとLiverpoolファンが、順番にラファ・チャントを飛ばす様子を、目を細めて見つめていたラファは、この試合のマッチ・プログラムで、「Liverpoolはスペシャルなクラブ。素晴らしい思い出がたくさんある」と、Liverpoolに対する感傷を掲げた。

    「ニューカッスルとは多くの共通点を持つ。どちらも伝統のあるクラブで、熱心で忠誠心の強いファンに恵まれている」。

    Liverpoolファンも、ラファに対して熱い感情を抱き続けていた。「ラファがLiverpoolをスペシャルなクラブと称し、この町を気に入って住み着いてくれているのだから、このクラブの一員であることは間違いない」。

    折しも、アルベルト・モレノから、「僕はこのクラブが好きだし、この町が大好き」と、Liverpoolファンにとっては意外とも言えることに、同様に熱い「ラブコール」が出たところだった。それは、この夏にメディアから「出て行くことがほぼ確実な余剰戦力」に入れられながらも留まり、今季は見違えるプレイでレギュラーの座を奪還したモレノが明かした言葉だった。

    「夏の間、出て行くべきだと批判された。でも、僕はこのスペシャルなクラブで、頑張ってポジション争いに勝ちたいと思った。だから、プリシーズンのトレーニングが始まってすぐに、監督に相談に行った。監督に、正直に僕の気持ちを伝えた。このクラブに留まりたい。どうやったら使ってもらえる戦力になれますか?と」。

    「監督は、率直に答えてくれた。約束はできないし、レフトバックを獲得する計画がある、と。でも、ポジション争いに全力を尽くす決意があるならば、頑張れば評価する、と言ってくれた。他のクラブからの話もあった。でも、僕はLiverpoolに残してもらえることが最大の希望だったので、頑張った。自分のこのクラブでの将来を築くためにも、キャリアを賭けようと決意した」。

    そして、モレノは、リバプール・エコー紙が「コピペで十分」と言う程にひどいディフェンスの中で、最も良くやっている戦力として評価されていた。ファンの間でも、昨季はミッドフィールダーから転向したジェームズ・ミルナーにポジションを奪われたモレノが、失望して出て行くどころか一変して外せない戦力になったことで、次第に評価が高まっていたところだった。

    「ピッチの上では、かつての弱点をほぼ克服して、安定したプレイを見せている。何より、このクラブが好きでこの町が大好きと言ってくれる選手に対して、気合を入れて応援できるのはファンとしても嬉しいことだ」。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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