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    ヒルズバラ悲劇(1/3) 「RIP (安らかに眠ってください)」と言えなかった27年間

    亡くなった人を偲ぶ時、「RIP (Rest In Peace/安らかに眠る)」という言葉が使われる。しかし、Liverpoolファンは、この27年間、ヒルズバラの96人に対して「RIP」という言葉が使えない年月を過ごした。

    96人が「RIP(安らかに眠ること)」ができる土台は、まだまだ出来ておらず、遺族グループがリバプール市民のバックアップの元に、それを求めて闘っていた。だから、ヒルズバラと96人が語られる時、誰もが「何故、今になっても96人は安らかに眠れることができないのか」という、「怒り」を抱き続けたのだった。

    2016年4月15日、27回目にしてアンフィールドでの最後のヒルズバラ追悼式典が行われた。これまで27回、アンフィールドで4月15日に行われてきた式典を、今回で最後にするというのは遺族の決定だった。折しも2014年㋂から続いていた裁判が、間もなく判決が下るという見込みとなった中で行われた最後の式典となった。

    裁判が行われている間は、判決に影響するような言動を公の場ですることは法に触れるため、ましてやLiverpoolのクラブが主導する式典で、そこで行われる内容は厳格に制限されていた中でのことだった。

    裁判を求めて27年間闘争した、ヒルズバラ遺族グループの代表者であるマーガレット・アスピナルや、2012年に明るみに出た秘匿文書を調査した独立機関の代表者であるジェームズ・ジョーンズが、その制限を言及しながら行った力強いスピーチは、出席者全員、特に今回初めてLiverpoolFCの一員として参列した面々に、強烈な印象を与えた。

    食い入るように見つめていた18歳のジョー・ゴメスは、スピーチが進む中で、次第に顔がこわばって行った。神妙な表情で人々の言葉を聞き入っていたユルゲン・クロップ一行は、憑かれたかのように目を光らせた。

    ヒルズバラが96人もの死者を出した悲劇であることは、今では誰もが知っている。しかし、このクラブの中に入って、正義を求める闘争を目の当たりにした時に、「27年も経ったのに、まだこの人たちは、亡くなった家族が『RIP(安らかに眠る)』ために闘っているのは、いったい何故?」という「怒り」に変わった様子が、その表情から明らかだった。

    そして、2016年4月26日11:00、27年間待ち続けた判決が下った。

    2年間の裁判で、繰り広げられた事件の証拠や証言の結論として、9人の陪審員が、14の質問に答えを出した。14の質問の中で、特に6と7が最大の注目を集めた。

    96人は、過失致死の被害者だった(質問6)。誰も責めを負わない状況で「不運な事故」で亡くなったのではなく。

    Liverpoolファンは、事件に於いて何ら責任はなかった(質問7)。「自分たちの仲間を死に追いやったフーリガン」ではなく。

    その他の12の質問で、事件の加害者が特定された。過失致死の直接的原因を作ったのはサウス・ヨークシャー警察で、その罪を逃れるために真相を隠ぺいした。救急部隊は、事件発生後に速やかに救命活動に入らなかったため、被害を増幅させた。スタジアムは、重大な事故が起こる可能性を持つ構造になっていたのに、所有者であるシェフィールド・ウェンズディFCは、それに対する適切な措置を取らなかった。

    その判決が、事件から27年余り経った2016年4月26日に、正式に下りたのだった。

    事件の全容は、この2年間の裁判の中で出た証言で判明した。ゲートCを開けたことが、リッピングレーン・スタンドの過密状態を悪化させ、96人の致死をもたらした。その「ゲートCを開ける」ことを命じたのは、スタジアム警察の責任者だった、サウス・ヨークシャー警察の主任警視デビッド・ダックンフィールドだった。しかしダックンフィールドは、責任を逃れるために、「酔っぱらって凶暴になったLiverpoolファンが、ゲートCを押し破った」と嘘をついた。

    更に、その嘘を貫くために、被害を悪化させた。15:30になって到着した救急部隊44人に対して、「フーリガンのLiverpoolファンが、スタジアムの中で暴れているから、今は中に入るな」と命じて、救助活動を遅らせた。

    その時点で救命活動が即座に開始されていたならば、96人のうち58人は助かっただろう、という証言も明らかになった。

    判決の報道に続いて、イングランド中から、ヒルズバラ遺族に対する敬意と感情の籠ったメッセージが出た。最初のリーグ戦が行われる4月30日~5月1日の試合に際して、追悼を実施するという計画が、自発的に各クラブから出た。

    イングランドだけではなかった。Liverpoolにとっての最初の試合となった4月28日のEL戦で、対戦相手であるスペインのビヤレアルが、96人を追悼するバナーを掲げた。

    27年間の闘争を、Liverpool FCと共にサポートし続けたエバトンFCは、4月30日のリーグ戦(対ボーンマス)のマッチ・プログラムの表紙に、96人への追悼を掲げた。

    27年の苦しい戦いの末に、やっと96人に対して「RIP (安らかに眠ってください)」と言えるようになった。

    ラファの2度目のアンフィールド訪問

    3月11日に、ラファエル・ベニテスが、今季の残り10試合でニューカッスルをプレミアリーグ残留させる指名を背負って監督に就任した時、世論は二分した。賛成派の代表はニューカッスル・ファンで、素直に「やっと一流監督が来てくれた」という歓迎の声が圧倒的多数派を占めた。

    ここ2年間、シーズン終幕に辛うじて降格を免れる憂き目にあるニューカッスルのファンは、2年間で4人の監督交替が、いずれも同じ運命に到達している状況にうんざりし、残留争いに疲れ果てていた。イングランドで4番目の収容人数(52,000)を誇るスタジアムが、ほぼ毎試合満席になるほどにチームに対する忠誠心が強いファンにとって、「勝てるチーム作り」のための投資もそこそこに、収益を上げているオーナーと、外れ続きの監督選出に対する怒りから、荒んだ日々を過ごしてきた。

    そんな中で、CL優勝1回、EL2回、スペインリーグ2回など、ヨーロッパ各地の名門クラブで監督を勤めたベニテスに対して、歓迎したのは自然な流れだった。

    一方で、疑問を投げかけた側の言い分は、「残り10試合で残留を達成することが目的というチームにとって、今、必要なのは、ビッグ・クラブにトロフィーをもたらせた実績を持つ一流監督ではなく、プレミアリーグ残留争いに実績を持つ監督」というものだった。

    隣のサンダーランドが、後者の理論でサム・アラダイスを監督に迎えたことは周知の通りで、ベニテスを選んだニューカッスルとの間で繰り広げる残留争いは、ニュートラルなファンやメディアの注目を引いていた。

    そして、初戦に絶好調のレスターと対戦して黒星(試合結果は1-0)のスタートを切ったベニテスは、サンダーランドに1-1と引き分けて、ダービーの連敗を6で阻止したことで、ファンの支持は着実に固まって行った。

    その新星ニューカッスルに転機をもたらしたのは4月16日のスウォンジー戦だった(3-0でニューカッスルの勝利)。次のマンチェスターシティ戦で、先制されながら1-1と引き分けた後で、カップ戦も含めて4連勝中の好調Liverpoolに前半2-0とリードされて、2-2と貴重なポイントを収めたのだった。

    試合後の記者会見で、「我が選手たちは実力がある。自信を取り戻せば、必ず勝てると思っていた。マンチェスターシティとLiverpoolというトップ・クラブに、先制されながら追いついたこの2戦では、選手たちは戦意を見せた。そして、ファンが選手の意欲を認めてくれて、最後までバックアップしてくれている」と語ったベニテスに、ニューカッスルの地元紙や、元選手のアナリストは一斉に絶賛を掲げた。

    「今のニューカッスルは、やる気満々の選手をファンが全力でバックアップする上昇気流にある。それは、苦しい試合を盛り返すことでは第一人者のベニテスがもたらした効果。ベニテスは、たとえ今季限りで去ったとしても、十分なレガシーを残した」。

    いっぽう、ラファを対戦相手の監督として2度目に迎えたLiverpoolの側では、地元紙リバプール・エコーが、その状況の「2つの共通点」に着目した。

    「2013年4月に、チェルシー監督としてラファを迎えた時、Liverpoolはクラブ史に汚点を残す大事件に見舞われた。試合終盤に、ルイス・スアレスがブラニスラブ・イワノビッチを噛んだ事件だった。そして今回は、試合の前日にママドゥ・サコーのドーピング事件が発覚した。前回は事件がオフィシャルになる前に、スアレスが96分にゴールを決めて2-2と終わったのに対して、今回は、試合前に度胆を抜かれ、後半の巻き返しを食らって勝ち試合を落とした」。

    サコーの陽性反応は、3月17日のELラスト16でのことで(対マンチェスターユナイテッド2戦目、試合結果は1-1)、4月22日の金曜日にUEFAから正式な通達を受けたものだった。発見されたのはダイエット剤として知られているファットバーナーで、現時点では、サコーはUEFAに対してBサンプルのテストを申請するものと見られており、これが陽性と判定されれば、2年間の出場停止が推定されている。

    その暗い事件を除くと、2013年とのもう一つの共通点は、ラファを歓迎するチャントと拍手がスタンドから沸き起こったことだった。

    試合後の記者会見で、「Liverpoolファンが私の名前をチャントしてくれたことは、感激した。そして、その後にニューカッスル・ファンが私の名前をチャントしてくれた」と、ラファは頬を紅潮させて語った。「私はLiverpoolには特別の思い出がある。ELではぜひ、勝って欲しいと祈っている」。

    Liverpoolファンがラファに対して「特別の思い出」を永遠に抱き続けることは当然、と断言したエコーは、2013年と今回との最も大きな違いを掲げた。

    「2013年にラファを迎えた時、Liverpoolファンは、ラファに対して、戻って来て欲しいという哀愁の気持ちを半分抱きながら、ラファの名前をチャントした。それは、就任以来ずっとラファに対してブーイングし続けていたチェルシー・ファンに対するカウンターだけではなかった。ラファが去ってからずっと、並の成績に低迷していたLiverpoolの現状に対する憂いがあった」。

    「しかし、今回は、クロップの下で確実に前進しているチームに対する誇りと期待で、ラファに対しても明るく素直に感謝する余裕が、ファンのチャントに込められていた」。

    ミラクルを起こしたのは誰?

    4月14日のアンフィールドでのEL準々決勝で、前半終わって0-2、通算1-3とドルトムントが優位に立っていた時に、テレグラフのオンライン紙が、20:42のタイムスタンプで「アダム・ララーナの『空振り』は、前半のLiverpoolを象徴していたコメディ」というgif付きの記事を掲げ、イングランド中の笑いをそそった。それに続いて、この類のジョークで定評があるメディアが、ララーナが出演しているLiverpoolのオフィシャル・スポンサーであるニベアのCMをパロって、「ニベアを膝に塗ったらこうなる」と畳みかけた。

    この時点では、イングランド中がドルトムントの楽勝を予測していた。翌朝のメディアは「イングランドの恥」というヘッドラインで埋め尽くされることは不可避で、テレグラフ紙は、試合終了まで待つ必要性を感じなかったように見えた。

    しかし、試合後に「コメディ」と笑いものになったのはテレグラフ紙の方だった。後半に4点取って4-3、通算5-4の大逆転勝ち抜きを決めたLiverpoolに、イングランド中のニュートラルなファンが一斉に拍手を送った。

    そんな中で、マンチェスターユナイテッド・ファンが、Liverpoolに対するライバル意識をむき出しにしつつ、「嫉妬で目がくらむ」と、正直な感想を表現した。

    「ユルゲン・クロップがLiverpoolにもたらした数々の要素は、全て、我々ファンがユナイテッドに求めて悲痛な叫びを続けているものばかり。熱情、エネルギー、信念、テンポ、ゴール、そして野望。クロップは、前監督から引き継いだ選手たちに大改革をもたらした。世間一般の評価では『並の選手だらけ』のLiverpoolの選手たちが、プロとして立派な仕事をやっているだけでなく、闘志をむき出しにして戦っている。クロップは、クラブを団結させ、ファンに誇りを与えている。ああ、クロップが我がチームに来てくれていたら、今頃我がチームは、リーグと全カップ戦で優勝を狙う位置にいただろうに。そのクロップが、宿敵Liverpoolに行ってしまって、Liverpoolを、何があっても最後まで諦めない、面白い試合をするチームにしてしまった」。

    このユナイテッド・ファンの嘆きの声を聞いて、Liverpoolファンは深く頷いた。「今季始めには、クロップをユナイテッドに取られるのではないかと覚悟したこともあった。そのクロップが、我がチームに来てくれたとは、今でも信じられないくらいの幸運」。

    クロップがドルトムント戦のハーフタイムに、選手に闘志を注いだ言葉を、ディボック・オリジが証言した。イスタンブール(2005年、CL決初戦で前半3-0とACミランにリードされながら延長を終えて3-3、PK戦で優勝)を引き合いに出して、「君たちの孫の代まで語り継がれるようなものを見せなさい」と言ったという。

    試合後の記者会見で、それについて質問されて、クロップは「確かに、そう言った」と微笑んだ。「しかし、言うのは簡単で、実行に移すことは非常に大変なこと。その大変なことをやり遂げた選手たちを誇りに思う」。

    続いて、試合後にLiverpoolの選手全員がコップの前に立って、手を繋いでファンに挨拶をしたことについて、「WBA戦(12月13日、Liverpoolは96分の同点ゴールで2-2と引き分けた試合)と同じ指令を出したのか?」と質問されて、クロップは首を横に振った。「いや、私はあれについては何もしていない。選手が自主的にやったこと」。

    「ファンは試合前からチーム・バスを大声援で迎えてくれた。試合中もずっと声援を絶やさず、チームを助けてくれた。今日の勝利は、選手とファンが共同で達成したもの。だから、選手たちがファンと一緒に祝ったのは、まさに的確な行動だったと思う」。

    ママドゥ・サコーが、試合後のインタビューでクロップの言葉を裏付けた。「我々は全員が、最後までハートを持って戦った。それは、スタンドのファンが最後まで我々を見放さなかったからこそ、できたこと。今日の試合は、『リバプール国』の勝利」。

    敗れたドルトムント監督トーマス・トゥヘルは、記者会見で「敗因は?」との質問に、「原因を言えるのは、ロジックがあることについてだけ。今日の試合について、私は事実を答えることはできるが、理由を説明することはできない。何故なら、この試合はロジックではなかったから」と答えた。

    「このクラブは、ACミランに前半3-0と負けていた試合をひっくり返した経験を持つクラブ。後半、激しい反撃から1点取られた時には、我がチームは落ち着いて3-1と優位を取り戻した。しかし、このスタジアムには熱意とエネルギーが住み着いていて、ロジックでは説明できない結果を作り出した」。

    「同点ゴールが出た時、このスタジアムの中にいた誰もが、ミラクルが起こる運命を確信したように思う」。

    ケニヤのフットボール一家から来たヒーロー

    4月10日のアンフィールドで、Liverpoolがストークシティに4-1と快勝した試合の後で、ユルゲン・クロップがこの日の2ゴール・ヒーロー、デボック・オリジの小さなエピソードを明かした。「昨年夏にLiverpoolに来た時、オリジは初めてのプレミアリーグに苦戦した。私が監督に就任した時には、負傷を負って、思うように調整が進まずに苦しんでいた。そんな中でデボックは、前向きにトレーニングに取り組んで着実に成長した。前回の負傷欠場時には、リハビリ中にジムで筋肉増強に励んだ結果、シャツのサイズが変わった」。

    2014年夏に、1年ローンの条件付き契約でLiverpool入りが正式に決まって、そのままリールに残ったオリジは、思うようなプレイが出来ず、スタンドからブーイングされることも珍しくなかった。噂では、リール・ファンの間で、「オリジのプレイを見ていると、気持ちは既にLiverpoolに行ってしまったとしか思えない」という批判が出ていたという。

    そして、「フランス・リーグの2014-15季ワースト・プレイヤー」という汚名を着せられて、2015年夏にLiverpool入りしたオリジは、プレミアリーグの洗礼と負傷のダブル・パンチの中で、不振に苦しんだ。

    いっぽう、イングランドのファンは、往々にして、自分のチームの外国リーグから来た選手、特に20歳前後の若手に対しては、気長に見守る傾向がある。そのカテゴリーに入るオリジも例外ではなかった。

    「体格ありスピードがあるオリジは、相手ディフェンスをかき乱して、チームメートにスペースを与えてる役割を果たしている。プレミアリーグに順応してゴールが出始めた時が楽しみ」と、Liverpoolファンは、辛抱強くオリジを応援し続けた。

    10月にクロップが監督に就任してから、飛躍的に向上したと言われている選手の中でも筆頭格として語られるようになったオリジが、12月にはリーグ・カップ準々決勝でのハットトリック(対サウサンプトン、試合結果は6-1でLiverpoolの勝利)、WBA戦でのプレミアリーグ初ゴール(試合結果は2-2)を突破口に、着実に存在感を増す中で、スタンドのオリジ・チャントは次第に大きくなって行った。

    何より、苦しいスタートを切ったオリジが、不調の最中にもLiverpoolファンから暖かい声援を受け続けた背景には、ひたむきに努力する本人の姿勢があった。

    アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領の遠縁にあたる家系に生まれたオリジは、お父さんはケニヤ代表選手として100キャップ超の経歴を持つエリートだった。お父さんがフットボールでベルギーに移転して、家庭を構え、オリジが誕生した。お父さんの兄弟もケニヤ代表選手歴を持つという、フットボール一家に生まれたオリジが、同じ道を目指し始めたのは、血筋だった。

    そして、地元ベルギーのゲンクのアカデミー・チームに入り、プレミアリーグを夢見る少年オリジにとって、お父さんがメンターだった。

    「常に努力することに加えて、どんな時にも自信を持ち続けることが必要だ、とお父さんは教えてくれた。そして、ピッチの上だけでなく、私生活でも誠実を貫き、人々から尊敬される人間になりなさい、と」。

    そのオリジが、憧れのプレミアリーグに行くチャンスを得たのは、リールのユース・チーム入りが決まったばかりの時だった。マンチェスターユナイテッドから誘われているという話を伝えたお父さんは、15歳の息子に向かって、「お前が自分の意思で決めなさい」と言ったという。

    「マンチェスターユナイテッドに対してどうの、ということではない。あの時は、まずはリールで成長することが先だを思った」と、オリジは振り返った。

    かくして、お父さんの指導下で人格を形成し、プロとして十分な成長を遂げたオリジは、2014年にLiverpoolの話が出た時には、プレミアリーグの夢を実現させる決意に至った。マンチェスターユナイテッドを断ったことは全く後悔していないと断言したオリジは、「Liverpoolのようなビッグ・クラブに入れるとは、光栄」と、目を輝かせた。

    その後、1年余りの苦悩が待っていたことは前述の通りだった。「2014-15季は、早くLiverpoolに入りたいという気持ちが先走った。そして、2015年にやっと実現した時は、プレミアリーグに順応するのに時間がかかった」。

    リールでの最後のシーズンに、自分のチームのファンからブーイングされた辛い思い出については一切触れず、オリジは、Liverpoolファンの温かい声援に感謝を表明した。

    「コップから自分の名前のチャントが聞こえる度に、全身に勇気が湧き起こる。ファンがサポートしてくれているという実感と、監督から信頼されているという自信が、僕を駆り立る」。

    ストーク戦での2ゴールについて、クロップは目を細めて語った。「自信がプレイを変える典型」。その自信は、本人の前向きな態度と努力で勝ち取ったものであることを、誰もが知っていた。

    ライブ・イズ・ライフ

    4月2日、1-1の引き分けに終わったアンフィールドでのトットナム戦の試合後に、ユルゲン・クロップが、トンネルの前でハリー・ケインの肩を抱いて、笑顔で会話した姿がテレビカメラに映った。インタビューで会話の内容を問われたケインが、「素晴らしいゴールだったね、と言ってくれた」と真相を明かした。「もし僕が2点目を決めていたら、あんなに親切な言葉はかけてくれなかったと思うけど」とジョークを言って、視聴者の笑いを買った。

    こうしてクロップは、イングランドのファンやメディアだけでなく、対戦相手の選手の間にも着実に「クロップ・ファン」を増やしていた。

    それでもドイツのクロップ・ファンには到底及ばないことが、ドルトムントでのEL戦が次戦となった週明け4月4日に、改めて確認させられた。なんとこの試合では、ドイツのテレビ局SPORT1が、「クロップ・カム」と題して、試合中のクロップを、90分間映し続ける企画を組んでいた。並行して、クロップがLiverpool一行を引き連れてドルトムント入りしてから去るまでの、6時間に及ぶドキュメンタリーも制作されることが判明した。

    ドイツのクロップ熱に比べたら些細とは言え、2015年10月に、クロップのLiverpool監督就任が発表された時には、Liverpoolファンは、総立ちで手に手を取って祝い、ライバル・ファンは悔しさの悲鳴を上げた騒ぎを巻き起こした。

    そして、LFC TVが早々に制作・放映したドキュメンタリー、「ユルゲン・クロップがコップにたどり着くまでの道のり」は、クロップ熱の背景を伝えていた。

    「選手として身を立てるのは無理と悟った」クロップは、25歳で監督を目指し始めたが、チャンスが巡ってきたのは33歳の時だった。選手として11年間勤めてきた2部のマインツが、降格の背水の陣にあった時に、オーナーとディレクターが「残り12試合で残留を勝ち取る」賭けを、クロップに託したのだった。期待に応えたクロップは、就任僅か7試合で残留を確定した。

    「あの後の残り試合は、これ以上望めないようなラクな日々だった」と笑ったクロップは、「そして、あのシーズンの苦しさを、二度と味わうことがないように、翌シーズンからは全力で頑張る決意を固めた」。

    その言葉通り、マインツはクロップの監督としての初シーズンで、残留争いどころか、あわや昇格、という好成績を記録した。しかし、残り3試合で3ポイント取れば昇格だったのに、2ポイントしか取れずに最終日に涙を飲んだクロップは、深い挫折を味わった。「こんなチャンスは二度とないだろうに、逃してしまった、と、落ち込んだ」。マインツにとっては、100年の歴史で一度も経験したことのない、ブンデスリーガの夢が、あと一歩のところで散ったのだった。

    「しかし、地元に帰った時に、町の人々が、まるで勝ったかのような笑顔で迎えてくれたのを見て、勇気が湧いてきた。この人たちと一緒に、みんなでやれば出来るんじゃないか、と」。

    クロップに運命を託したマインツのオーナーとディレクターは、ドキュメンタリーの中で語った。「あれが、クロップがそれからの名監督への道を歩む転機となった」。

    翌シーズンにも、最終日に降格を逃す憂き目に合ったマインツの、オーナーを始め選手や地元の人々に勇気を与えたのはクロップだった。ディレクターは、「失望で立ち直れない気持ちになっていた我々に、クロップの力強い言葉は、心に響くものを持っていた」と振り返った。

    「クロップは、絶やさない笑顔と並行して、常に真剣にトレーニングに取り組んだ。自分たちを信じて、その自信を裏付けるために全力を注いだ」。

    翌年には3度目の正直でブンデスリーガに到達したマインツは、昇格シーズンに11位と驚きの勢力になり、2007年に力尽きて降格するまの4年間、ドイツの最高リーグに定住した。

    オーナーは、2008年にクロップが去る決意を告げた時のことを、「身を切られる程辛かった。でも、クロップはブンデスリーガで大成功すべき人物だから、これ以上引き留めてはいけないと思った」と語った。

    そのオーナーの言葉は、最終日にスタンドでYou'll Never Walk Aloneを歌ったマインツ・ファンと、地元市民総出で行われた、クロップに対する感謝表明が裏付けていた。

    その後、ブンデスリーガ中から引っ張られたクロップは、当時「スリーピング・ジャイアンツ」と言われたドルトムントに入り、2008年から2015年までの7年間で、リーグ優勝2回、カップ1回に加えてCL決勝進出を達成し、ヨーロッパ有数の監督となった。

    クロップがLiverpoolに来て早々に、ファンの「懐疑心を希望に変えた」時、Liverpoolファンの間で、自然発生的に生まれたクロップの歌「ライブ・イズ・ライフ(※オーストリアのバンド、オーパスの1985年のヒット曲)」は、ドキュメンタリー「ユルゲン・クロップがコップにたどり着くまでの道のり」の中で、クロップ本人やその道のりを支えた人の証言を象徴していた。

    「皆で力を合わせて全力を出す時、我々のベストを尽くすことが出来る。他のことは考えず、今この時に全力を出すんだ」

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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