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    RIP ジェリー・バーン 鎖骨を折ったまま120分戦った伝説のヒーロー

    11月28日、Liverpoolのクラブ史上に残る、FAカップ初優勝チームのフルバック、バーンが77歳で亡くなったという悲報が流れた。地元出身で、15歳にLiverpoolのユース・チームに入りし、Liverpoolのワン・クラブ・マンとして引退したバーン(在籍は1957–1969)は、ビル・シャンクリーと共に、2部に低迷していたLiverpoolをヨーロッパの名門に引き上げた主役の一人だった。

    当時を見てきたベテラン・ファンは、「1950年代の、弱小チームだった頃のLiverpoolを知っているファンにとって、バーンはヒーロー中のヒーローだった」と振り返った。

    「エバトン・ファンから毎日、見下げられていた。1964年にリーグ優勝を達成した後も、あのYou'll Never Walk Aloneの替え歌の、『FAカップを取ったことがない』をさんざん聞かされていた我々ファンにとって、1965年のFAカップ初優勝はどれほど大きなものだったことか。メルウッドの隣で建築中だったビルに、Liverpoolファンだったに違いない職人が、1階ごとに『ウェンブリーへの道』と書いた紙を貼った様子も、ありありと記憶している」。

    Liverpoolファンが祈る中で行われたFAカップ決勝戦で、試合開始7分に相手選手の反則タックルを受けたバーンは、鎖骨を折ったまま120分を戦った。当時はサブのルールがなかったため、自分が外れればLiverpoolは残り83分を10人で戦わねばならなくなると、覚悟を固めたバーンは、折った鎖骨で最後まで走り続けた。しかも、先制ゴールに繋がるクロスを出す活躍を見せ、チームとファンの夢をかなえたのだった(試合結果は延長の末、2-1とLiverpoolがリーズに勝って優勝)。

    アシスタントだったボブ・ペイズリーが、後日、その時の真相を明かした言葉は、バーンという選手の人柄を表していた。

    「普段の行動から、選手が試合中に倒れた時に、それが深刻かさほどでもないかは瞬時に分かる。バーンは、痛い時にも決して弱音を吐かない選手だったから、あの試合で、タックルを受けて倒れた瞬間に、相当ひどい怪我だろうと直感した。しかし、私が担架を呼ぼうとしたら、本人はこのまま試合に出続けると主張し、『誰にも言わないでください』と懇願した」。

    「FAカップを待ち焦がれている地元のファンを思い、手ぶらで帰ることはできないと決意したバーンは、激痛に耐えながら120分を戦った。バーンが骨折していたことは、相手チームも含めて、試合後に明かすまで誰も気づかなかった」。

    真相を知った時に、シャンクリーが、「バーンは、FAカップ優勝メダル11個全部を、1人に上げたいような働きをした」と語った話も有名だ。

    かくして、「鎖骨を折ったまま120分戦った」バーンは、マージーサイドの伝説となった。擦り傷を作って、痛いと泣く子どもに向かって、親が「鎖骨を折りながらウェンブリーで120分戦ったLiverpoolの選手」のエピソードを聞かせて、なだめたものだった。

    翌11月29日、アンフィールドでは、プレミアリーグのスウォンジー戦の試合前に、バーンを追悼する1分間の拍手が行われた。

    そしてLiverpoolは、スウォンジーの堅い守りに苦戦を強いられた末に、62分のPKで1-0と勝ち、ユルゲン・クロップの監督就任10試合目にして、リーグ戦でアンフィールドでの初勝利を収めた(カップ戦、ELも含めて合計で6勝3分1敗)。

    木曜日のEL(対ボルドー、Liverpoolは2-1で勝って、グループラウンド勝ち抜き決定)から3日後のスウォンジー戦を終えて、また3日後にリーグカップ準々決勝のアウェイでのサウサンプトン戦と続いていた。

    試合後の記者会見で、初勝利の感想を問われてクロップは、「喜んでいる余裕はない」と笑った。「今日の試合が終わった後で、例えばアルベルト・モレノは、控室まで自力で歩けないような状態だった。良く見ると、全身に打撲を負っていた。今の選手たちは、皆そんな状態」と、過密日程の中で全力を捧げる選手たちに対する誇りを語った。

    「でも、チームの士気は非常に高い。さっそく明日から、サウサンプトンに向けて進む」と、クロップは、目を輝かせて宣言した。

    鎖骨を折ったまま120分戦ったバーンが、天国に行く前に、今のLiverpoolの選手たちに魂を注いでくれたのかもしれない。

    バナーとフラグがコップから消えた日

    今季開幕直後の、8月29日のアンフィールドでのウエストハム戦(試合結果は0-3でLiverpoolの敗戦)で、暫く前からコップ・スタンドの代名詞になっていた、特大サイズのバナーやフラグが消えたことで、Liverpoolファンの間で大きな話題となった。

    そのバナーやフラグは、「スパイオン・コップ1906」というファン・グループが所有・管理しているもので、その時点では法的な理由で詳細は明かされなかったが、Liverpool FCのクラブとの間で相違が発生したことから、抗議行動として引き上げたという説明が流れた。その後、スパイオン・コップ1906とクラブとの話し合いで打開したことで、次のノリッジ戦(試合結果は1-1)から、コップ・スタンドにバナーとフラグが復帰した。

    ところが、11月8日のクリスタルパレス戦(試合結果は1-2でLiverpoolの敗戦)で、再びバナーとフラグが消えた。

    同時に、その時点では、先の法的な理由が消滅したため、事件の詳細が明るみに出たのだった。

    事の発端は、昨季のアンフィールドでの最終戦となった5月16日のクリスタルパレス戦だった(試合結果は1-3でLiverpoolの敗戦)。この試合を最後にLiverpoolを去るスティーブン・ジェラードを見送るために、クラブがファンの協力を得て、スタンドでモザイクなどが行われた。勿論、これらは、通常の試合のバナーやフラグと同じく、あくまで試合前の計画であり、試合中は全スタンドが試合に集中した。

    ジェラードが入場して来てガード・オブ・オナーが行われていた時に、コップ・スタンドの車いす専用スタンドにいた、車いすユーザーの奥さんに付き添っていた61歳の男性が、「バナーが視界を遮っているから、避けて欲しい」と、スパイオン・コップ1906のメンバーである20歳の男性(以下、JP)に依頼したところ、両者の間で議論になった。後日、その男性がクラブに苦情を訴え、JPが「車いすのファンに対して威嚇的な言葉を吐いた」容疑で逮捕された。

    これを受けて、クラブがスパイオン・コップ1906に対して、「アンフィールドにバナーやフラグを持ち込むには事前登録が必要」という措置を課したことから、8月の抗議となった。

    そして、11月4日に判決が下り、JPは容疑を否定したが有罪となった。裁判とは別に、Liverpool FCはJPに対して3年間の出入り禁止処分を科した。

    2度目のスパイオン・コップ1906の抗議の背景には、「クラブとファンとの分断」があった。ジェラードの最後の試合に際して、スパイオン・コップ1906は、記念バナーの持ち込みを事前にクラブに話をした上で許可を得ていたのに、試合当日のスタジアム係員への通達がなかったため、バナーを良く思わないファンに対するケアが十分に出来なかった。その結果、JPの事件が発生してしまった。

    JPの有罪判決により事件が収拾した、と思い込んでいたクラブに対して、スパイオン・コップ1906は再び立ち上がることになった。

    「そもそも、コップのバナーやフラグは、スタンドの雰囲気を盛り上げ、チームを応援するために、ファンが自主的に、時間とお金を費やして制作したもの。それは、『アンフィールドの風物詩』となっているし、クラブもオフィシャルの写真に使っており、スポンサーも流用するなどクラブは財政的な恩恵すら受けている。しかし、クラブが我々ファンの意義を認めず、ファンの声を無視すれば、残念な問題が起こり得るということを、クラブは認識して欲しい」。

    スパイオン・コップ1906の主張は、「コップは伝統的に、試合を通して、大声援でチームを応援するファンが集まるスタンド。遠方から、生涯に数回だけの貴重な訪問をするファンや、声を枯らして歌い続けるよりは、アンフィールドの雰囲気を体験したいファンは、コップよりはゆったりして視界の良い他スタンドに入ることで、意図せず他のファンに迷惑をかける心配もなく、皆が自分に合った役割を果たすことができる」というもので、それは、コップのシーズンチケット・ホルダーの大多数の意見でもあった。

    それに対して、クラブは一向に対策を取らず、コップ・スタンドに一般客を入れ続けている。結果的に、試合中に、コップ・スタンドでもフラッシュが光り、You'll Never Walk Aloneの合唱風景をタブレットで録画したり、応援そっちのけで自取に専念する姿が後を絶たない。

    折しも、パレス戦の後で、ユルゲン・クロップが「ひどく孤独を感じた」と語ったことが、スパイオン・コップ1906の抗議の背景にある問題が、改めて露呈させた。

    もちろん、クロップの言葉は、その後で自ら補足したように、「スタンドのファンが最後まで信じて応援できるような試合をするのがチームの責任」であり、ファンに対する失望や批判ではなかった。しかし、チームの応援に全力を捧げたいファンの熱意に対して、クラブが水をかけているように感じたファンの抗議行動は、回りまわってクロップへの背信となった。

    11月21日のマンチェスターシティ戦(試合結果は1-4でLiverpoolの勝利)で、ファイナル・ホイッスルの後も、全員がアウェイ・スタンドに残り、チーム一行に拍手とチャントを送り続けていたトラベリング・コップに対して、選手と一緒に挨拶に行ったクロップが、飛び上がってガッツ・ポーズを送った姿は、ファンの心に響いた。

    「クロップが来てから、選手たちは自信を取り戻し、監督を信頼して生き生きとプレイするようになった。ここまで情熱を注いでくれているクロップに対して、我々ファンは、信頼と声援を返す任務がある。クロップのためにも、ファンとしての役割を果たそう」。

    アカデミー・チームの若手たち

    11月14日の週のインターナショナル・ウィークは、ヨーロッパではフル代表の公式戦はユーロ2016のプレイオフのみだったが、各地でベテランのチャリティ戦からユースチームの親善試合など多くの試合が行われた。その中で、マンチェスター市で行われたアンダー19代表のイングランド対日本の試合が、静かな注目を受けた(試合結果は5-1でイングランドの勝利)。

    昨年夏に完成した、マンチェスターシティのアカデミー・スタジアムでの初の代表戦で、地元シティとユナイテッドのアカデミー・チームの選手に加えて、Liverpoolからは18歳のセイ・オジョがベンチ入りと、イングランドの将来を担う若手が、このレベルでは異例とイングランド中の羨望を集めているスタジアムで、若々しいプレイを披露したのだった。

    試合に際して、MLSのシーズンが終わって休暇で地元マージーサイドに帰省していたスティーブン・ジェラードが、観客として駆けつけたことも、イングランドのフットボール界に笑顔を加えた。「元イングランド代表主将のスティーブン・ジェラードが、試合前に控室を訪れて、ヤング・ライオンズを激励した」という情報が流れ、ファンの拍手が続いた。

    この、シティのアカデミー・スタジアムは、ファーストチームのエティハド・スタジアムから僅か1キロの敷地に建てられたもので、両スタジアムは橋で結ばれている。これは、2008年にシティを買収し、プレミアリーグの頂点に立つチームとなった、アブ・ダビの大富豪である現オーナーの、「シティを世界的ブランドにする」長期計画の一環だった。

    シティのプレミアリーグでの隆盛ぶりに関しては、他チームのファンから「金持ちのオーナーが、湯水のように資金を投入して、世界中からスター選手を集めてトロフィーをお金で買った」と陰口を叩かれるネタになっている一方で、主としてシティ・ファンや地元紙が反論として主張する、「地元社会の発展への多大な貢献」は、はたからも明らかだった。

    2002年に、コモンウェルスのオリンピックに際して建造されたオリンピック・スタジアムを、マンチェスター市から200年リースで譲り受けて、増改築工事を施して2003-04季からシティのホーム・スタジアムになったシティ・オブ・マンチェスター・スタジアム(2011年にスポンサー契約によりエティハド・スタジアムと改名)は、隣のユナイテッド・ファンから、ジョークで「カウンシル・ハウス(公民館)の間借り人」と呼ばれ続けていた。

    それは、地元カウンシルの「売却して一時金を貰うよりは、将来的に安定した収入が確保できる現在のリース契約の方が市に利益になる」という希望を尊重したという背景があった。加えて、シティのオーナーは、アカデミー・スタジアムの建造など周辺地区開拓で、市の財政に直接・間接的に貢献し、地元の産業活性化をもたらしてきた。

    フットボール面でも、アカデミー・チームの設備を増強しただけでなく、ファーストチームのスタジアムと橋で繋ぐことにより、将来のスターを目指す若手に、セルヒオ・アグエロやダビド・シルバを直接、見ながら育つ環境を提供することになった。

    そんな恵まれた環境にあるシティでも、若手が育つ設備は作ったものの、実際にこれら若手がファーストチームの経験を積む見込みは、決して明るくなかった。

    11月15日のアンダー19代表チームで、1ゴールを記録した、マンチェスター出身の若手であるパトリック・ロバーツに拍手を送りながら、ファンの間では、「スター揃いのファーストチームで、試合に出してもらえる若手は、 £49mで獲得した、他のクラブで育った選手のみ、というのが現状。ロバーツも、ローンに出される運命だろう」と、憂いは消せなかった。

    折しも、その£49mの若手、ラヒーム・スターリングを出した側のLiverpoolでも、アカデミー・チームの選手の育て方が、話題に上がっていた。

    それは、ドイツではイングランドとは違い、若手に試合の経験を積ませるために、ローンに出す図式が一般的ではないことから、ユルゲン・クロップが、「自分のチームの若手を見るために、全国各地のクラブを別々に訪問しなければならないのは非効率」と語ったことで、議論が開始したものだった。

    現在の、ローンを経て一流選手になる出世モデルが一般化する前に、自分のクラブだけで育ったジェラードが、「若手にとって、自分のチームの先輩であるスター選手を直接見て学ぶことは非常に重要」と、これまで何度も唱えてきたように、シティのアカデミー・スタジアムの控室で、ヤング・ライオンズの後輩たちに、その思いを伝えたのだった。

    クロップの下で、Liverpoolの若手がどのように育つのか、その答えが出るのはまだ先のことだった。

    アーリー・リーバーズ

    今のイングランドでは、どのスタジアムでも、例えばやる気が見えないチームに対する批判を込めて、あるいは、より多くのケースがこれに当たるが、試合経過に関わらず、試合後の交通渋滞を避けるために、試合終了数分前に出口へと向かう、「アーリー・リーバーズ」と呼ばれるファンの姿が目に付くようになった。

    アンフィールドでは、伝統的に、負けた試合でも相手チームに拍手を送るファンのフェアプレイが、対戦相手の選手や監督の証言にあるように、アーリー・リーバーズとは縁がなかった。

    しかし、その伝統は薄れ、今ではファイナル・ホイッスルを待たずにスタンドを去るファンの姿が、少数派とは言え、ほぼ毎試合で見られるようになった。

    11月8日のアンフィールドで、クリスタルパレスに1-2と敗れて、Liverpool監督就任7戦目にして初黒星を喫したユルゲン・クロップは、試合後のインタビューで、「82分の決勝ゴールの後で、スタンドでは多くの人が出て行った。それを見て、私は孤独を感じた」と、悲しそうに語った。

    この時、私の頭の中に、1998年2月にアンフィールドで初めてアーリー・リーバーズを見た時の記憶が、生々しく浮かんだ(対サウサンプトン、試合結果は2-3でLiverpoolの敗戦)。その時までに何度もLiverpoolの負け試合に当たっていたが、途中で出てゆく人などなかった。しかし、そのサウサンプトン戦では、85分の失点の瞬間に、出口へと急ぐ人々にさんざん視界を遮られた末に、空席の中にポツンと一人取り残されたような孤独を感じた。

    その試合の後で、街中で会話を交わしたLiverpoolファンの中に、数人のアーリー・リーバーズがいた。いずれも英国の遠方地区や、アイルランドから1泊で来ていた人々で、「あまりにもひどいプレイに耐えられなくなって、途中で出た」と、ファイナル・ホイッスルを待たずに出て行った行動が、間違っていると感じない語り口に、改めてショックを受けた。

    試合内容に対する抗議であれ、試合後の交通渋滞を避けるためであれ、アンフィールドでもアーリー・リーバーズが珍しくなくなって以来、地元紙リバプール・エコーや様々なファン・グループが、折に付け、批判を込めて、「ファンの任務は、どんな内容の試合であろうと、最後まで勝ちを目指してチームを応援すること」と、Liverpoolファンの伝統を説いてきた。

    ファンがチームを応援する、という図式がぐらついてきた背景には、プレミアリーグが世界的スター選手を集める、贅沢なエンターテインメント化した状況がある。物価上昇率の8倍と高騰するチケット代金は、「高すぎて払えなくなった」と、伝統的なファンが断念する実例を招いた。

    このような状況に歯止めをかけるために、全国各クラブのファン・グループが団結して、「ファンがいないフットボールはあり得ない」というスローガンを掲げて、チケット代金値下げを求める合同デモは、目指すべき理想形として、ドイツを掲げている。

    「ドイツでは、プレミアリーグの5~10分の1の良心的なチケット代で、今でもフットボールは庶民のスポーツとして草の根の人気を保っている。先祖代々スタジアムに通う人々が、子ども連れで気軽に出かけることで、ファン同士のきずなを深め、次世代のファンに、チームを熱心に応援する伝統を継承している」。

    イングランドでは、これらの人々がスタジアムに行けなくなり始めたと同時に、アーリー・リーバーズが日常化した。

    ここ10余年、アンフィールドに行く度に仲間に入れてもらっている、地元の先祖代々シーズン・チケット・ホルダーという知人は、全員が「これまで一度も試合の途中で出たことはない」と、Liverpoolファンの伝統を維持しており、私個人は、彼らから教えてもらうファン精神を大切にしている。

    そもそも、ファイナル・ホイッスルが鳴るまで試合は決まらない。上述のサウサンプトン戦では、アーリー・リーバーズが去った後で2ゴール(90分、94分)が出た。2004年11月のアーセナル戦では、85分に出て行った人々は、92分のニール・メラーの決勝ゴールを見逃したと知った時に、悔しい思いに駆られたに違いない(2-1でLiverpoolが勝利)。そして、最後までスタンドに残った我々ファンの声援が勝利に加担したのだという誇りが、何があってもチームをバックアップする決意と希望へと駆り立てる。

    パレス戦の後の記者会見で、「アーリー・リーバーズに対して失望したか?」との質問に、クロップは首を横に振って、きっぱりと語った。

    「ファイナル・ホイッスルが鳴るまで何が起きるかわからないから、途中で出てゆくことなどできない、とファンが信じられるような試合をしなければならない。今日は、それができなかった。ファンが最後までスタンドに留まれるようにするのが我々の責任」。

    メディアの注目を独占するチェルシーのお家騒動

    10月31日のビッグ・マッチ、スタンフォードブリッジでのチェルシー対Liverpoolは、試合前からメディアの注目が、全く異なる理由で両監督に集中した。

    大陸から実績のある監督が来た時の定例でもあり、元々イングランドのメディアから好かれていたユルゲン・クロップは、直前10月28日のリーグカップ4回戦で、ボーンマスに1-0と勝ち、Liverpool監督としての4試合目でやっと初勝利を飾ったところだった。リーグ初勝利を目指す意気込みや、ドルトムント時代にレアルマドリードのジョゼ・モウリーニョと対戦したなど様々な質問に、ジョークを交えて明るく対応したクロップは、「メディアの人気者」状態を維持した。

    いっぽう、Liverpoolに負けたらクビが決定という情報が出回っていたモウリーニョは、1-3と敗れたLiverpool戦の試合後の記者会見で、「何も言うことはない」を連呼し、回答を拒否したことで、イングランド中のメディアの批判やクビの憶測をさらに悪化させた。

    11月2日には、前週のウエストハム戦(2-1でウエストハムの勝利)で、ハーフタイムにレフリーの控室に「押し入った」行為に対して、4万ポンドの罰金と1試合のスタジアム入り禁止処分が下った。

    ほぼ同時期に、開幕戦(対スウォンジー、試合結果は2-2)の試合中に、倒れたエデン・アザールの手当てをしにピッチに入ったことで、モウリーニョから「フットボールを知らない」と公の場で批判され、チーム・ドクターとして降格させられた末に退職に追い込まれたエバ・カルネイロが、損害賠償を求めてモウリーニョを訴える計画が報道されたところだった。

    ピッチ内外でのプレッシャーは、容赦なくモウリーニョを襲い続けた。同日中に、匿名のチェルシーの選手が「モウリーニョのために勝つくらいならば、負けた方が良い」と言った、という噂が流れ、翌日には具体的な名前(セスク・ファブレガス)がメディアを飾った。

    そんな中で、トーク・スポーツの記者が「モウリーニョのクビは決定した。チェルシーは、発表のタイミングを見ているところ」と、「内部情報」を掲載するに至った。インターナショナル・ウィーク前の11月7日のストーク戦の直後になるだろう、と推測する記事の中で、「モウリーニョが留まる可能性は限りなくゼロに近い」と結論した。

    「負けた試合の後で、メディアの批判から選手を守るために、問題発言をして注目を自分に集めたモウリーニョのやり方は、レフリーや相手監督・選手、FAを非難していた間はそれなりに効果があったが、その矛先が、クラブの内部やファンへと、次第に内部に向かったことが破たんをもたらした」。

    しかし、次の「問題発言」は、11月4日のCLディナモキエフ戦の前の記者会見で、主将のジョン・テリーから出た。

    これは、Liverpool戦のハイライト番組で、リオ・ファーディナンド、ガリー・ネビル、ジェイミー・キャラガーら、テリーにとってはイングランド代表チームでの元同僚に当たるアナリストから「ショッキングなディフェンス」と酷評された後で、BBCのアナリストとして活躍している元ウェールズ代表のロビー・サビッジから、畳み込むように厳しい批判が出たことへの反論だった。

    「選手として敬意を抱いているリオ、ガリー・ネビル、キャラからの批判は、ありがたい叱咤として耳を傾ける。でも、そもそも選手として特に顕著な業績があるわけでもない人からの言葉は、何とも思わない。例えばロビー・サビッジのような」。

    さっそくヘッドラインを独占したこの発言は、多くの人が「テリーは、メディアの注目をモウリーニョから肩代わりする意図でやった」と唱え、チェルシーのお家騒動の深刻さを更に強調した。

    一連のやり取りの中で、「世の中の話題はチェルシーに集中し、Liverpoolが順位表の上半分に上がることが出来た程に低迷している状況などどうでも良いかのようだ。日陰でじっくり自分たちの任務に専念できるとは、ありがたい」と、Liverpoolファンはホッと胸をなでおろした。

    チェルシー戦の試合後の記者会見で、クロップは「あっさり先制ゴールを食らうという悪いスタートを切ったが、その後の反撃という点では、わが選手たちは良くやった。もっと良いプレイができるというのは確かだが、今はまず、ミスを犯したことについて考え過ぎることなく、気持ちを切り替えて勝ちを目指して戦ったことを、誇りに思う」と、選手を激励した。

    結果的に、チェルシーの「ショッキングなディフェンス」のお蔭で、貴重なリーグ初勝利を上げたLiverpoolは、取戻しつつある自信を胸に、更に前進し続ける。
    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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