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    誰も勝てると信じていなかった

    10月25日、久々の首位争いとなったマンチェスター・ダービーは、イングランド中の注目の中で、0-0のアンチクライマックスで終わった。試合後に、地元紙マンチェスター・イブニング・ニュースの各チーム版のインタビューで、ユナイテッドとシティの両ファン数人ずつが、どちらも同じマンチェスター・アクセントで、「勝てなかったのは残念だが、引き分けは許容範囲」と語った様子は、典型的イングランドのダービー風景だった。

    しかし、「月曜日に職場で、ライバル・ファンになんて言う?」に対する反応は、マンチェスター・ダービーの特色が出ていた。シティ・ファンは「我々はリーグ首位。彼らより上だということを思い出させてやる」と言い、ユナイテッド・ファンはニヤッと笑った。

    普通のダービーのファン同士は、お互いに相手チームのことを常に意識するが、マンチェスターの場合は、ユナイテッド・ファンが「我々の最大のライバルはLiverpool」と主張し、シティ・ファンの片思いぶりを露呈する慣習が続いている。

    さて、そのマンチェスター・ダービーの直後に行われて、ユナイテッド・ファンの最大の関心を集めた(はず)のLiverpool対サウサンプトンは、1-1と引き分けに終わった。

    イングランド中の注目の下で、10月8日に新監督に就任したユルゲン・クロップは、通算3戦3分と、またしても初勝利祝いを延期させられることになった。ただ、77分の先制ゴールで、メディアが「ドイツではすっかり有名な、ゴールの時にタッチラインで見せるクロップのユニークな反応」と喜んだ姿が一瞬、見えたことと、86分に同点に追いつかれた時の対照的な表情が、試合後の記者会見でも注目を集めた。

    「(ゴールが出た時に)今、喜んでおかなければ、次はいつ喜べるかわからないと思った。でも、この次は、ゴール喜ぶタイミングはもう少し考える」と語った後で、「次が来るまであまり待たなくて済むことを祈っている」と笑ったクロップの口調は印象的だった。

    「フリーキックを与えてしまって、同点ゴールを食らったことは、それはそれで問題はある。ただ、最も深刻なのは、同点にされた後で、まだ試合は10分近く残っていたのに、誰も勝てると信じていなかったこと」というクロップの言葉は、ファンの心を直撃した。

    クロップが引き継いだ時点のLiverpoolは、選手が自信を失っているというメンタルな問題と、チーム力の2つが顕著だとは、誰もが認識していた。

    「今のLiverpoolの選手の中に、トップ4のチームで主戦力として通用する選手が果たして何人いるか?」とは、ファンの間で何度も繰り返されている問答だった。「実績のある監督が来て、選手の自信は回復するかもしれない。でも、監督が必要とする戦力が補強されない限りは、成績の改善には限界がある。新生Liverpoolが、CLの常連かつ、毎季リーグ優勝候補入りするチームに復活するまでには、最低でも2-3回の移籍ウィンドウが必要だろう」。

    ジェイミー・キャラガーが、ファンの意見を裏付けた。「現在のチームは、バランスに欠いている。例えば、いわゆるNo.10は3人もいるのに対して、ウィングは1人しかいない。立場上、その時にははっきり言えなかったが、夏に監督交代すべきだった。そもそも、新監督が必要とする戦力を補強して、チーム作りをするためには時間が必要」。

    誰の目にも、今季スタートすべきでなかった前監督が、世間の批判の下で自らの運命を知った9月末に、記者会見の場で、「ツールがあれば勝てるチームにできることは実証済」と反論した。つまり、スティーブン・ジェラードとSASに加えて、ラヒーム・スターリングが急成長を見せた2013-14季には、あわやリーグ優勝という成績を達成した「実績」があるのだから、ツール(選手)を与えてくれれば勝てる、ということだった。

    これに対して、「£300Mの資金を使って必要な『ツール』を確保できなかった当の本人」に対する批判が激化しただけでなく、「間接的に『今のチーム力では勝てない』と言われたことで、選手たちの自信はどん底まで落ち込んだ」と、Liverpool陣営は困惑を深めたのだった。

    残り10分の時点で同点ゴールを食らって、「勝てると信じられなくなった」状況の立て直しは、既に大きなタスクになっていた。

    何より、Liverpoolが、ユナイテッド・ファンにとって「最大のライバル」という決まり文句に、本当の意味でマッチするチームに復活するには、25年間続いている冷え込みから打破することが必要だった。

    RIPハワード・ケンドール

    10月17日、Liverpoolはランチタイム・キックオフでアウェイのトットナム戦(試合結果は0-0)に臨み、エバトンはグッディソン・パークで、午後3時のマンチェスターユナイテッド戦を控えて、イングランド中がマッチ・デイ・モードになっていた時に、青天の霹靂のごとく、ハワード・ケンドールが亡くなったという知らせが流れた。

    エバトンFCの選手として、1970年にリーグ優勝を達成した「ホリー・トリニティ」の一員だったケンドールは、1981–1987年には監督として、リーグ優勝2、FAカップ1、ヨーロッパのカップ・ウィナーズ・カップ1という輝かしい記録を作り、今でも全てのエバトン・ファンが、一致して「クラブ史上最大の監督」として名を上げる、エバトンFCを代表するレジェンドとなった。

    1998年に3期目のエバトン監督を退き(2期目は1990–1993年)、約1年後の1999年に引退してからは、エバトンFCのアンバサダーとして勤めていたケンドールは、69歳になった今年もほぼ全ての試合でグッディソン・パークのスタンドに姿を現していただけに、イングランドのフットボール界は、突然の悲報に大きな驚きに包まれた。

    急きょ、試合前にケンドールを偲ぶ1分間の拍手が行われることになったグッディソン・パークでは、心の準備をする余裕もなかったスタンドのファンが、「オンリー・ワン・ハワード・ケンドール」のチャントで、クラブ史上最大の監督を見送った。

    試合では、熱烈なエバトン・ファンとして生まれ育ったユナイテッド主将のウェイン・ルーニーが、得点した直後に、神妙な表情で天国のケンドールに向かって挨拶をした姿がテレビカメラを通じてイングランド中に伝わった(試合結果は3-0でユナイテッドの勝利)。

    Liverpoolのレジェンドであり、少年時代は熱烈なエバトン・ファンだったことで有名なジェイミー・キャラガーは、「エバトンFCの史上最大の監督として、ケンドールは、様々な思い出を与えてくれた。特に、1984-85季は最高だった」と、感謝を表明した。

    マージーサイドが「イングランドのフットボールの首都」だった1980年代に、Liverpoolの選手及び監督として、ケンドールとしのぎを削ったケニー・ダルグリーシュが、追悼を表明した。

    「80年代は、Liverpoolとエバトンで優勝を奪い合った。熾烈なライバル同士だったが、試合を離れた時には、いつも良き友人だった。ハワードは、マージーサイドの赤と青を結ぶ象徴そのものだった」。

    ケンドールの現役時代に、エバトンで共に働いた選手たちや、宿敵Liverpoolのレジェンドからのエピソードが飛び交う中に、ベテランのエバトン・ファンからの心の籠った追悼が流れた。

    先祖代々エバトン・ファンというこのファンは、1985年に、元シーズン・チケット・ホルダーだったお母さんが余命長くないと判った時に、「お母さんに最後の思い出を作ってあげたい」と、エバトンのクラブに働きかけた時の話を振り返った。当時監督だったケンドールが、このファンの悲願に応えて、お母さんをVIPとして迎えてくれたのだった。お母さんは、息を引き取るまで「ケンドールとの対面」の思い出を語り続けた、ということだった。

    「その後、母のことでお礼を言いに行った時に、私のことを覚えていてくれただけでなく、まるで友人のように対応してくれた。クラブ史上最大の監督であり、ファンと積極的につながりを持ち、ファン一人ひとりを大切にした、真の紳士」と、そのファンは続けた。

    「会話の中で、『アンフィールドにはビル・シャンクリーとボブ・ペイズリーという、クラブ史上に残る名監督が刻まれている。でも、グッディソン・パークには、選手としてのレジェンドの銅像しかない。エバトンFCは、グッディソン・パークにハワード・ケンドールの銅像を建てるべきだ』と言うと、ハワードは真面目な顔で首を横に振った。まるで自分はディキシー・ディーンと肩を並べる程の貢献はしていない、とでも言うように」。

    「ざんざん議論した末に、折れたハワードは、『もし私の銅像を建てるとしたら、もっと髪がふさふさしていた、若い頃の私にしてほしい』と、笑った」。

    ファンとのつながりを大切にした昔かたぎの偉大なレジェンドが亡くなり、マージーサイドのフットボール史は、また一つの章を終えた。

    懐疑心から希望へ

    10月8日の夕方、3年契約でユルゲン・クロップがリバプール監督に就任する正式発表が行われた。Liverpoolファンは、「このところフットボールを楽しむ気持ちが持てずにいたが、一気に希望が湧いてきた」と、誰もが笑顔を浮かべた。

    元ドイツ代表のディディ・ハマンが、「ドルトムントはマージーサイドと同じように労働者の町。フットボールが生活そのものという点で、市民の気質も似ている。クロップはきっと、マージーサイドを好きになるだろうし、ドルトムントでの7年間で2回のリーグ優勝、カップ優勝、CL決勝進出に導いたような成功を、Liverpoolでも達成するだろう」と熱く語った。同時に、元選手から一斉に、賛意と歓迎のメッセージが飛んだ。

    翌10月9日朝に行われた記者会見では、ジャーナリストから「ジョゼ・モウリーニョが初めてイングランドに来た時に、自分を『スペシャル・ワン(特別な人)』と表現したが、あなたは?」と質問されて、「私は普通の人間。『ノーマル・ワン(普通の人)』だ」と答えたクロップの言葉が、さっそくイングランド中でヘッドラインを飾った。

    ドルトムント時代からユーモアで有名だったクロップが、イングランドのメディアの間で急速な人気を集める中で、地元紙リバプール・エコーは、クロップ本人の業績と人柄を賞賛し、Liverpool FCの伝統といかにマッチしているかを詳細に分析する記事を掲げた。

    「記者会見で、決まり文句を殆ど使わず、全て自分の言葉で表現したクロップは、本物だと感じさせられた。ファン、元選手やメディア、現役選手たち、クラブのトップと、ここまで全ての筋が満場一致で就任を歓迎した監督は、随分久しぶりのこと」という切り口で、いくつかのキーとなるポイントに焦点を当てた。

    現在のLiverpoolのチームについて、まずは最近3試合のビデオを見たと言うクロップは、「人々は今季これまでの成績について、悲惨なスタートと言うが、トップ4に3ポイント差という現状は、危機とは言えない。しかも、Liverpoolは、素晴らしい選手を揃えている。有能なディフェンダー、得点力のあるストライカー、クリエイティブな選手、そしてスピードもある。良い選手ばかりだ」と、肯定的に語った。「選手たちはプレッシャーでがちがちになっている。『ドイツ人が来て、これからは今までと違うのだ』と、選手たちは気持ちを変えて欲しい。自信を取り戻して、フットボールを楽しむ必要がある」。

    同時に、任務の困難さをも認識していた。

    「私は魔法使いではないから、『即座に世界一のチームにする』と公言するつもりはない。時間がかかることは間違いない。ただ、20年待ってください、とは言わない。4年後に私がこの場にいるとしたら、それはリーグ優勝を達成しているからだと思う。それが出来なければ、4年後は私は(Liverpoolをクビになって)スイスに行っているだろう」。

    今季の目標は?との質問に、クロップは「リーグ順位とかトロフィーなどの目標はない。まずは、アイデンティティを取り戻すこと」と答えた。

    そして、クロップは断言した。「重要なのは、来た時ではなく、去る時」。

    自分にとって「特別なクラブ」と表現したドルトムントでの7年間について、「素晴らしい6年間と、ちょっと残念だった1年」と語ったように、最後となった2014-15季は苦戦を重ねた末に7位で終わったことは記憶に深かった。

    しかし、ドルトムントの人々のクロップに対する気持ちは「素晴らしい6年間」と何ら変わっていなかったことは、最後のホームの試合でスタンドを覆った「ありがとうユルゲン」の大きなバナーが物語っていた。

    エコー紙は、地元出身で熱烈なドルトムント・ファンのジャーナリストの言葉を引用した。「クロップが去った時、ドルトムントの市全体が沈んだ。ドルトムントでは、試合の日のスタンドで、街中のカフェで、誰もがクロップと何らかの繋がりを持っていた。だから、クロップを失った時には誰もが親しい友人を失ったように悲しんだ」。

    Liverpoolは伝統的に、ファンと監督・チームとのつながりは深い。そのファンが、このところスタンドで無反応だったことについて、クロップは認識していた。「アンフィールドは、熱心なファンが素晴らしい雰囲気を作ることで有名なスタジアム。でも、今の状況はベストとは言えない。チームが先制しても、スタンドはディフェンスのミスで失点するのではないかと不安が先に来ているように見える」。

    最後に、Liverpoolファンに対するメッセージを問われて、クロップは目を輝かせて語った。「懐疑心を希望に変えることが必要」。

    Liverpool監督の最後の言葉

    10月4日、通算225回目のマージーサイド・ダービーは、1-1の引き分けで終わった。試合後のインタビューで、ダービー・デビューで初ゴールを決めたダニー・イングスは、1ポイントに満足しているか?との質問に、「もちろん!」と自信満々に答え、「特に前半は、攻撃も冴えたし、良く守った。試合を通して、チームは一丸となって闘士を見せた」と、胸を張った。

    いっぽう、45分に同点ゴールを決めたエバトンのロメル・ルカクは、翌日からのインターナショナル・ウィークで、ベルギー代表チームで共に働く相手GKを名指しし、「シモン・ミニョレのスーパーセーブのお蔭でわがチームは勝ちを逃した」と、悔しがった。

    2013/14季、マンチェスターユナイテッドが26年ぶりの監督交代シーズンを迎えて、翌季のCL出場が絶望になった4月に、地元紙マンチェスター・イブニング・ニュース紙が、深刻な記事を掲げた。チームが苦戦を重ねた末に全カップ戦に敗退し、リーグ順位も先が見えて、クラブがデビッド・モーイズを解任する前週のことだった。

    「サー・アレックス・ファーガソンが監督だった頃には、チームが成績不振に陥ると、世の中の非難の眼差しは100%、選手に向かった。何故なら、これまで勝ってきた監督が間違っている筈がないので、悪いのは選手が決まっている、と誰もが思ったから。だから選手は、なんとしても勝たねばと必死になる」。

    「逆に、実績がない監督が就任したばかりの時には、新獲得の方がやり玉に上がる。そもそも、この選手たちはほぼ全員が、1年前にはプレミアリーグ優勝に輝いたのだ。誰の目にも、成績不振の原因は監督にあると映る。選手にとっては、『勝てなくても、自分は非難されない』状況に、無意識に胡坐をかいてしまう」。

    Liverpoolでは、「選手たちが無意識に胡坐をかいている」状況が、あまりにも長く続いた。

    背水の陣で臨んだ筈のビッグ・マッチで、ましてやダービーで勝てなかった結果について、選手が躊躇せずに「引き分けて満足」と公言し、イングランド代表初選出とダービー初ゴールの個人栄誉が続いたことで、チームの成績はさておき、「自分にとって素晴らしい週だった」と、悪びれずに語ることが当たり前になってしまった。

    Liverpoolのチーム内で、「監督が控室を失った」致命的な状況が露呈したのは、昨シーズン終幕のことだった。全く熱意が見られないままアストンビラに完敗したFAカップ準決勝(試合結果は2-1)、ストークに大敗を食らったプレミアリーグ最終戦(試合結果は6-1)は、最悪中の最悪として引用され続けた。

    イングランド中のメディアや、圧倒的多数のファンが、夏の間に監督交替を予測していたが、結末は、アシスタントとコーチが解任されただけのマイナー・チェンジに留まった。

    しかし、残留となった監督は、シーズン開始前から既に、「クリスマスまで暫定的な猶予を与えられた」と噂が飛び交う中、誰もがクラブの奇妙な方針に疑問を掲げるに至った。

    1試合1試合が「世間の厳しい査定」に問われるという不安定な状況で、激しいプレッシャーにかられている監督が、果たして適切な戦略が取れるのだろうか?ましてや、選手たちは、深層心理の中に「この監督は長くない」という意識が常に消せない状態で、毎試合で気合いを保ち続けることができるだろうか?

    そして、10月4日のダービーの試合終了数時間後に、クラブの決定機関の致命的な欠陥が浮き彫りにされた。

    試合後のインタビューは、解任発表前の、ブレンダン・ロジャーズのLiverpool監督としての最後の言葉となった。

    「プレッシャーなど感じていない。私にとっては、毎日、自分の仕事に最善を尽くすことしか考えていない。私の仕事は、このチームを少しでも良い方向に導くこと。クビにならない限りは、外からいかなる雑音が発せられようとも、それは常に同じだし、自分の仕事に集中している」。

    「この仕事を追われる日がくれば、それは受け入れるつもりでいる。ただ、このクラブは素晴らしいクラブで、このクラブで働けたことを心から誇りに思っている」。

    「今は、もう少し長くこの仕事を続けたいと願っている」。
    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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