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    ヒーロー?裏切り者?

    2月22日のサウサンプトン戦に先駆けて、LFC TVで昨年夏にサウサンプトンから来た3人が「初めての古巣訪問」について語った特番が話題を呼んだ。「サウサンプトンのファンは拍手で迎えてくれると思うか?」という質問に、リッキー・ランバートが「そうだったら嬉しいのだが、どうなるかは分からない」と答えた横から、デヤン・ロブレンが「リッキーは拍手してもらえることは間違いない。でも僕ら2人はダメだと思う」と、悲痛な面持ちで語った。

    ロブレンが昨年7月末に、殆ど喧嘩別れのような形でサウサンプトンを振り切ってLiverpool入りしたことは有名な話だった。その前年にリヨンから移籍し、プレミアリーグ初シーズンでサウサンプトンの守りの要として残留に貢献した後で、Liverpool行きのチャンスに乗って出て行ったロブレンが、サウサンプトンのクラブやファンに苦い記憶を残したことは想像に難くなかった。

    幸か不幸かプレミアリーグ開幕戦で古巣サウサンプトンと対戦したロブレンは、世間一般の予測が100%正しかったことを痛感させられた(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)。その試合でアンフィールド・ロード・スタンドにいた私は、右隣のアウェイ・サポーター・スタンドから最後まで飛び続けたブーイングは強い記憶に残っている。ロブレンがボールを得る度に轟く「ブー」に、我々ホーム・サポーター・スタンドのファンは即座に「イエス」チャントと拍手で対抗したのだが、そのブーイングは最後まで沈静することなく続き、サウサンプトン・ファンのロブレンに対する強い感情を実感させられた。

    そして、76分にサブで出場したリッキー・ランバートに対して、アウェイ・スタンドが総立ちで盛大な拍手を送ったことも印象的だった。

    LFC TVの特番で、ロブレン同様の「歓迎」を覚悟していると語ったアダム・ララーナは、ユース・チームから14年間を過ごした古巣との初対面に際して、複雑な感情を抱いていると告白した。「サウサンプトンは僕にとって特別なクラブ。昨年夏にLiverpoolに移籍が決まった時に、自分でもまずかったと反省するような言動をしてしまった。それに対して、僕のことを許せない奴だと思っている人々は少なくないと思う」。

    イングランド南部のハートフォードシャーで生まれ、12歳でサウサンプトンのアカデミー・チーム入りし、18歳でファーストチーム・デビューを果たした。スペイン人のおじいさんの姓と容貌を受け継いだララーナは、サウサンプトンで名を上げると同時に、CMのモデルとして引っ張りだことなった。2011年に23歳でクラブ主将となってからは、文字通りサウサンプトンの「顔」としてチームの復調を達成した。

    2012年にイングランド代表入りした時に、「同年代でサウサンプトンのアカデミーからアーセナルやトットナムのファーストチームに進んだガレス・ベイルやセオ・ウォルコットを見て『自分は乗り遅れた』と思ったことはないか」と質問されてララーナは、「彼らはユース・チーム時代から既に秀でた才能を開花させていたから、早々にビッグ・クラブに引き抜かれて行った。僕の場合は、サウサンプトンに残り、このクラブに育ててもらったお蔭で今の自分がある」と答えた。

    激しい雨に見舞われた2月22日のセントメアリーズでは、ホーム・スタンドからの、ロブレンに対する強烈なブーイングと、ウォームアップするランバートへの温かい拍手が飛び続ける中で、Liverpoolは2-0と勝利を収めた。そしてララーナは、まばらな拍手とそれより目立つブーイングに包まれて62分に交代した。

    しかし試合後のサウサンプトン・ファンの意見は揺れていた。

    「交替させられた時、ララーナは泣きそうな顔をしていた。あの表情を思い浮かべる度に胸が痛む。出て行った時の言動には、裏切られたと悔しかった。でも、もういいじゃないか。来年セントメアリーズに戻ってきた時には、拍手で迎えるべきだと思う」。

    「同感だ。そもそもララーナは14年間サウサンプトンに忠誠を尽くした。クラブが倒産して、降格を重ねた暗黒の時期を経て、出て行くチャンスはいくらでもあったのに、それでもララーナはサウサンプトンに残った。チームをどん底から引き上げて、プレミアリーグに復帰・定着するところまで責任を尽くした。その14年間の貢献を無視して、裏切り者扱いするのは間違い」。

    サウサンプトンには、ファンにとって永遠のヒーローとして語られ続けているマシュー・ルティシエ(1986-2002)がいる。27歳でイングランド代表入りし、マンチェスターユナイテッドやトットナムから熱烈に引っ張られながらも、地元のチームであり少年時代にファンだったサウサンプトンで引退したルティシエを、チームを問わず全ファンが真のレジェンドと振り返る。一方で、中立のアナリストの中には「ルティシエは野心が欠けていた。ビッグ・クラブに行ってポジション争いをすることでもっと成長できた筈」という正反対の意見もある。

    後者を選んだララーナは、古巣のファンから手厳しい「歓迎」を受けたが、どちらが正しい道となるかは、まだ答えは出ていない。

    リベンジ・ミッション

    近年、プレミアリーグの監督のクビが軽くなった中で、今季は監督交代という意味では比較的波乱の少ないシーズンとなった。クリスタルパレスのニール・ウォーノックと、2日後にWBAのアラン・アービンが解任1,2号となったのが後半に差し掛かる12月27日のことだった。退陣5人目で、2月11日にクビになったアストンビラのポール・ランバート同様に、誰もが「やむを得ない結論」と納得せざるを得ない結末だった。例年のような、クラブ史上初、もしくは長年ぶりの昇格を達成した監督が、成績不振を理由に簡単にクビを切られるケースはまだ出ていない。

    その中で最も話題を集めたのが、1月2日にニューカッスルからクリスタルパレスに「移籍」したアラン・パーデューだった。ニューカッスルでの4年の在任中、特に昨季以来ずっと「監督クビ候補」リストの上位を占め続けた末で、パレスから所望されたものだった。ニューカッスルの地元紙や一部のアナリストから「ビッグ・クラブに引き抜かれたならばさておき、いわゆる下位のクラブに行く人材がわがクラブの監督を勤めていたとは心外」という批判は上がったものの、パレス側は「わがクラブの伝統を知っている監督が来てくれた」と、ファンを始め関係者一同は大歓迎だった。

    その時点では多くは語らなかったが、パーデューの心の中には常にパレスがあったことは明らかで、それが選手たちに浸透するまでに時間はかからなかった。試合終幕の同点ゴール、決勝ゴールでポイントを重ね、新監督下で見違えるように勝ち始めたパレスは、7戦5勝1分1敗と、降格ゾーンの18位から安全地帯の13位に急上昇した。

    そして2月14日、FAカップ5回戦でセルハーストパークにLiverpoolを迎えたパレスの地元は、自信がピークに達していた。25年前の記憶を呼び起こし、「リベンジ・ミッション」のスローガンが飛び交った。これは、昇格シーズンだった1990年にパレスがFAカップ決勝進出の偉業を達成した、その準決勝で対戦したのがLiverpool、そのシーズンのリーグ優勝チームでありカップ優勝候補のチームだった。そのシーズン早々の1989年9月12に、アンフィールドで9-0と屈辱的な敗戦を喫してトップ・ディビジョンの洗礼を受けたパレスが、その後立ち直って、FAカップ準決勝でLiverpoolに4-3と雪辱を果たしたのだった。その熱戦で、延長119分の決勝ゴールを決めたのが現監督のアラン・パーデューだった。

    ノスタルジーに浸ったセルハーストパークは、1990年の「リベンジ・ミッション」が2月14日のマッチプログラムの表紙を飾り、1990年に続いてFAカップ決勝へ、と声が高まった。

    いっぽうLiverpoolは、2月14日は真の「リベンジ・ミッション」だった。Liverpoolファンにとって、1990年はもちろん、セルハーストパークは直近のリーグ2試合で痛い思い出があった。昨季5月のリーグ優勝の望みが絶たれた3-3に続き、雪辱戦だったはずの今季11月のアウェイでのパレス戦は、ブレンダン・ロジャーズが初めて「監督クビ候補」トップ5入りした程に、どん底だった。リーグとCL通算3連敗の後で、背水の陣で臨んだLiverpoolは、良いとこなしで1-3とパレスに完敗を食らったのだった。

    2月14日のFAカップ5回戦は、両チームのファンの様々な思いの中で、Liverpoolの「リベンジ・ミッション」に軍配が上がった(試合結果は2-1)。

    その試合で、ダニエル・スタリッジが同点ゴールを決めた時に、アルベルト・モレノが隣で一緒にダンスをした姿が、その日のヘッドラインを飾った。ハイライト番組は、スタリッジのゴールそのもの以上に2人のダンスに焦点を当てた。試合前日のトレーニングで、スタリッジがモレノに「次に僕が得点したら一緒にダンスしてくれるよね」と迫り、爆笑するチームメイトの前でモレノが同意させられたビデオが流れた。「モレノは、その約束を履行するまでに猶予はありませんでした」のナレーションに、イングランド中で笑いが飛んだ。

    Liverpoolファンは「モレノのダンスの下手くそさは目を覆いたくなる」と顔をしかめるふりをしながら、「この調子が続けば、今季終幕にはスタリッジのゴールに、ベンチも含めてチーム全員が一緒にダンスすることになるかもしれない」と微笑んだ。

    「11月のどん底の時には、監督クビのオッズに交じって『内部分裂』の憶測がメディアを飾り、みんな厳しい表情でトレーニングしていた。それが今は打って変わって、チームはまとまって明るい雰囲気で、選手全員が自信に目を輝かせている」。

    さてLiverpoolは、ここに至るまで3回戦でAFCウィンブルドンに1988年決勝戦(試合結果は1-0でウィンブルドンが優勝)の雪辱を果たし、4回戦でボルトンに1993年3回戦(0-2でLiverpoolの敗戦)の雪辱を果たし、そしてパレスに1990年の雪辱を果たした。6回戦(準々決勝)では、2000年のFAカップ4回戦(0-1でLiverpoolの敗戦)の雪辱を胸にブラックバーンをホームに迎える。

    9年ぶりのFAカップ優勝を目指して、リベンジ・ミッションは続く。

    隔離されたマージーサイド・ダービー

    2月7日の通算224回目のマージーサイド・ダービーは、例年通りテレビ放送戦に選ばれて、試合時間が土曜日の3時から5時半キックオフに変更されることが12月早々に決定された。同じ日のトットナム対アーセナルの北ロンドン・ダービーも、テレビ放送戦として12時45分に前倒しとなった。

    イングランドでは伝統的に土曜日3時に試合が行われており、スタジアムに試合を見に行くことを奨励すため、テレビの生放送は禁止されていた。1992年にプレミアリーグが創立されてからも、この「土曜日3時の試合」は生放送できない時間帯という慣習は維持され、テレビ放送収入増のために試合時間および曜日が変更されるようになった。放送する試合はテレビ局が選定し、シーズン中一定回数の査定期間に、順位争いの直接対決などの注目戦がピックアップされる。

    ファンの間では「試合時間を決めるのはプレミアリーグではなくテレビ局」という批判は根強いが、各地区のダービーなど順位に関わらずテレビ放送戦になることがほぼ確実な試合に関しては、「土曜日3時」から変更される予測の元に、渋々ながらも運用されていた。

    ところが今回のマージーサイド・ダービーの変更に対して、地元マージーサイド警察から強硬な反抗が出た。「夕刻のキックオフとなると、試合前に飲酒する時間が増えるため、スタジアム内外の安全性が危惧される」として、プレミアリーグに試合開始時間の前倒しを要求した。それがプレミアリーグから却下されたため、地方裁判所に差し止めを求める訴訟を起こしたのだった。

    結果的に、判決が出ないまま時間切れとなり、試合前週の2月3日になって訴訟を取り下げたマージーサイド警察が、「スタンドでの両ファンの隔離」の条件付で「5時半キックオフ」を受け入れることになった。つまり、グッディソン・パークのホーム・サポーター・スタンドにLiverpoolファンが入ることを厳重に禁止する、ということだった。

    これに対して、地元リバプール・エコーが痛烈な批判記事を掲げた。「イングランドで『フレンドリー・ダービー』として知られているマージーサイド・ダービーでは、これまで試合に際する事件は記録されていない。そもそも、宗教や地域による決定的な差異があるわけではない両クラブにとって、事件に発展するような対立を起こす理由はない。家族、地域、職場、学校の親しい人々の中に相手チームのファンがいない人の方が珍しいマージーサイドで、警察の主張は言いがかりにしか聞こえない。マージーサイド・ダービーの良き伝統の一つに、スタンド内で赤と青の両ファンが肩を並べて自分のチームを応援する風景がある。その伝統を壊すのは間違い」。

    エコー紙の記事に深く頷きながら、Liverpoolファンは、警察が「両ファンの隔離」を強行することは避けられないとため息をついた。「初めてのダービーの記憶として心に残っているのは、Liverpoolファンとエバトン・ファンの2人の兄が、赤と青のシャツを着てスタンドで隣り合って座り、一緒に'愛こそはすべて'を歌った姿。しかし、社会の変化と共に、堂々とチーム・カラーを身に付けて相手スタンドに入り込んでも何の心配もなかった時代は過去の歴史になってしまうのだろうか」。

    スタンリー・パークを隔てて僅か1.3キロの距離にあるエバトンとLiverpoolは、イングランドのダービーの中でノッティンガム市のノッツ・カウンティとノッティンガム・フォレストの1.2キロに次いで2番目の近距離だ。3番目のフラムとチェルシーが1.9キロで、アーセナルとトットナムの4キロ、マンチェスターのシティとユナイテッドの5.2キロなどよりも遥かに近く、「同じ町で共に生活している仲間」という意識は強い。

    「ヒルズバラ悲劇の後で、グッディソン・パークからアンフィールドまでの1.3キロを、エバトン・ファンとLiverpoolファンが手に手を取って赤と青のスカーフを連ねた風景は、今でも脳裏にくっきり残っている」と、ヒルズバラでLiverpoolファンの弟を失ったエバトン・ファンのスティーブ・ケリーは振り返った。

    エバトンFCがグッディソン・パークにヒルズバラ記念碑を設置することになり、その公開式典が2月7日のダービーの試合前に行われた。2012年のヒルズバラ追悼試合(対ニューカッスル、試合結果は2-2)で、背番号9の青いシャツを着た女の子と6の赤いシャツを着た男の子が手を繋いで歩いた写真に「エバトンFCは96人を永遠に忘れない」というメッセージが刻まれたもので、スティーブ・ケリーを中心にエバトン・ファンが提議して実現したものだった。

    企画者であるエバトン・ファンと、ビル・ケンライト(エバトンFCのオーナー)、マーガレット・アスピナル(ヒルズバラ遺族グループ代表)、そしてヒルズバラ悲劇の時の両チームの監督ケニー・ダルグリーシュとコリン・ハーベイという面々が幕を開けて記念碑を公開する姿を、試合に向かう両ファンが、寄り添いながら大きな拍手で見守った。

    単調な内容の後で0-0で終わった224回目のマージーサイド・ダービーは、隔離されたホーム・アウェイ両スタンド間でジョークの応酬が行われ、警察の危惧は単なる杞憂で終わった。ピッチの上では勝者はなかったものの、両ファンが勝利を収めたことは誰の目にも明らかだった。
    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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