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    2018/12/28 マンチェスター観光(ユナイテッドのスタジアムツアー)

    ●2018/12/28 4:50起床、出発。
    4:50目覚める。時差ボケだ。でも、とりあえず眠ったので起床する。支度して、一服しに下に行く。今度は入り口のドアが開いている。
    目覚めた時にiPhoneを見ると、さっそくSlackに上司から連絡が入っている。年明けの予定が決定だ。旅行中はこれ以上、年明けの仕事のことを考えずに済みそうだ。

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    このPCの時間を英国時間に設定したままにしておいたので、今日本時間を知るのは+9で計算する必要がある。うむ。朝方は単純計算ですむのでいいが、夕方になると-24しなければならなくなるので面倒だ(笑)。

    この朝早起きの時間を使って、12/29の連絡をしよう、と思った。
    連絡をして、(一人は今、東京からロンドン行きの飛行機に乗っているはずの人)朝食に降りる。エレベーターで明らかにチェックアウトすると見える、荷物を持ったケニアから来ている女性とばったり会い、話しているうちに一緒に朝食取りましょうということになった。初日から、このような人に会えるとは嬉しいことだ。

    結局朝食は6時半からだったので、入り口のロビーで待っている間に会話する。この女性は公務員で、外交的な職務についているという人で、今回は仕事で来ているという。で、これから朝食を取ったらすぐロンドンに移動して、帰国するという。

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    朝食は前回同様にコンチネンタルだった。ただ、ハムとチーズがたっぷり食べられて、おいしいのがうれしい。クロワッサンも絶品だ。

    食後、ケニアの女性と別れて(バタバタと急いで駅まで向かった)。私はコーヒーを片手に一服。その後、すぐにTescoに行ってMENを買う。あら、見ると最後の1つだった。ラッキーだ。MENがないとマンチェスターは始まらない。80Pだった。

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    もどってMENを読む。一面記事が、ペップとユルゲン・クロップの写真だ。さすがMENだ。中を読むと、赤いページと青いページの勢いが逆転している。ユナイテッドは監督が代わってすぐに2連勝中で押せ押せムード、シティは2連敗で3位に転落、復帰が必要モード、という感じで、Liverpoolが目の上のたんこぶという感じの記事だった。1/3に直接対決があるまでにサウサンプトン戦で復帰しておく必要がある、という感じで。

    で、ニューカッスル戦でのPKについて全国メディアはモー・サラーの「ダイブ」について騒いでいるが、MENは「モーサラーはおとがめなしでシティ戦に出場する」と、あたかも犯罪者が無罪になったという感じの記事だ。

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    さて、今日は9時半のオフピーク時間が来たらすぐにトラムの一日チケットを買い、Emptihadに行って1/3の届いていないチケットの再発行をしてもらおうと思っている。その後は、まともにマンチェスター観光をしようと思っている。
    昼食は、たぶん、市内で伝統的な英国料理をという感じか。

    時差ボケで馬鹿みたいに早く起きたため、時間がある。もう少し待機して、その後で出かけよう。


    9:10頃にピカデリーガーデンズ駅からエティハド・キャンパス駅行きのトラムに乗る。その前に、ピカデリーガーデンズ駅付近でMENを無料で配っているスタッフ2人から声をかけられた。あ!今日って無料配布の日だっけ?あれ?木曜日だと思っていたところ、質問すると木金の2日になったそうだ。知らなかったので買ってしまったのです、と言うと、あ、そうなのと言われた。売る方も売る方だ、と思った。仕方ないか。知らなかった自分が悪い(?)。

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    Emptihadに行く。トイレなどを済ませて、チケットオフィスに行く。ところが、窓口の男性スタッフがえらい冷たい人で、問い合わせの返信(印刷して持参した紙)だけを見て、何も調べず「試合の日にボックスオフィスに行け」と言う。マッチデイに行列に着くのが嫌だからわざわざ来たのに、今日は発見してくれないのかと聞くと、冷たくNoという。何を言ってもダメだった。調べもせず。

    断念して、その足で市内に戻ることにした。買い物もする気になれなかった。いつからこんな機械的なクラブになったのか、という感じだ。ビッグクラブになると、スタッフの対応も冷たくなるのだ。外国から来たファンに対して、こういう対応になるのだから。。。

    ちなみに、その時のチケットオフィスは決して混んでおらず、外に出てもスタジアムにファンの数はまばらだ。今日なら何でもすぐに済ませられるだろうに。試合の日は人でごった返すのが目に見えている。30分くらい並ぶ羽目になりそうだ。それでも、問題が起きようものなら試合を見損なう。シティは試合の日の対応に時間がかかって、試合を見損なう人が続出、という話を地元のファンから聞いていたので。。。

    それを避けるためにも、事前にできるものは処理しておいて、試合の日はできるだけさっさとチケットもって入る人だけにすればよいのに。

    ため息。

    トラムの駅で電車を待っているうちに、ふと、ユナイテッドのスタジアムツアーに行こうという気になった。ツーリストインフォメーションセンターで予約してくれるのを何度も見ているので。

    ということで、トラムの一日券を買ったこともあり、ピカデリーガーデンズで降りてツーリストインフォメーションセンターに行く。親切そうな男性スタッフがすぐに対応してくれる。

    ただ、当日の予約は取れないのだそうだ。明日のならとれるよと言ってくれる。ただ、明日はLiverpoolに行くので、とは言わなかったが明日は時間がないので今日しかないというと、行ってみて、入れることを祈るしかないと言われる。ただ、頻度が違う。なんと8時半くらいから10分おきに4時半までずっと、やっているのだという。だから、たぶん、ちょっと待てば入れるよと言ってくれる。親切だ。

    行ってみることにした。

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    オールド・トラッフォード駅着。さすが、シティとは違って、試合の日でないのに、降りる人がすごく多かった。たぶん、みんなスタジアムツアーだろうと思った。地元の親子連れみたいな人もいた。この時期だし、子供にスタジアムを見せてあげようという地元のファンのように見えた。もちろん、たぶん日曜日の試合に来た外のファンとか、アジア系の外国人もものすごく多かった。

    さて、スタジアムに着く。メガストアの前で、スタジアムツアーのチケット売り場を質問する。ずっと奥だった。行ってみると、なんと長い列ができている。


    列について待つ。スタッフが、明るく話しかけていた。「勝てるようになったし、いい時期になったね」と。ニコニコ笑っている。「今、渋い顔してる人はLiverpoolファン?」と言って、みんなを笑わせている。一人の少年を指さして(ジョークで)「君、青いの来てるね。シティファンか?」と。みんな、爆笑。

    さて、やっと自分の番が来たかと思うと、入り口のスタッフが怖い顔して「バックを持っている人はあっちの列にならべ」と言う。むむむ。。。

    そこまで並んで、また別の列に並びなおしになった。うーむ。。。

    結局、40分くらい並んでやっと、中に入れる。途中でふと気づいたのだが、これはこのままスタジアムツアーが終わるまでタバコは吸えないな、と。吸うためには外に出る必要があり、いったん外に出るとまた荷物チェックのやり直しだから、最初から列に並ぶことになる。無理だ。うむ。タバコは我慢しよう、と。

    その通りだったが。先に気づくべきだった。ちょっと、我慢していた後のことだったので。

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    ただ、たばこは我慢するのは悪くない。我慢しよう、と決めて、そのまま待った。尚、試合のチケットを買うためにはオフィシャルのメンバー(年会費が£49など)になる必要があるが、そのメンバーカードを見せるとスタジアムツアーは割引になる。チケット以外にメンバーカードを使ったのは相当珍しい(初めてではなかったが)。

    11:35にチケットがもらえて、12:20のセッションだと言われる。ミュージアムで待つように言われる。ふむ、いい仕組みだ。ミュージアムなら時間つぶしに苦労しない。逆に時間が足りなければ後でまた戻ってくることも可能だ。

    ちなみに、ユナイテッドのミュージアムというから、すごいトロフィーだらけで足の置き場もないだろうと思っていたところ、意外とこじんまりとしていた。何よりビッグ・イヤーズが本物でないので!(5回勝てばもらえるやつ)

    ということで、一周してもすぐに終わってしまった。ふと見ると、ミュンヘンのミュージアムは部屋がわかれている。その中でしばらく過ごした。なかなか神妙になった。

    最後に5分くらい、ダンカン・エドワーズのプロフィールを見ているうちに、ツアーの呼び出しが来た。

    さて、ツアー開始。若い女性のガイドさんだった。「今日の参加者は全員ユナイテッド・ファンですか?」と質問。「はーーい」と答える人が多数(というか、私以外全員?)。それにしても、質問がうまかった。これに「はい」と答えない人がいてもわからないのだから。(苦笑)

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    Liverpoolのツアーは、冒頭に「どのチームのファンですか?」という質問だったような気がする。そして、必ずEvertonファンが2-3人紛れ込んでいる。「いつものことだ」と、必ずガイドさんが言う。そして、そこでEvertonファンと名乗った男の子(たいてい、男の子だ)が、ツアー中に何かにつけてコケにされる、という次第だった。

    でもユナイテッドの方は違うわけだ。ただ、シティファンがお金を払ってユナイテッドのスタジアムツアーに来るとは思えないが。。。筋金入りのシティファンは、「ダービーの時のアウェイのチケット代金以外は1ペニーもユナイテッドには払う気はない」とか言って、試合の日にスタジアムでビールを買うのも嫌だという人がほとんどだ。

    スタジアムツアーそのものは、どこでもある内容とほぼ同じ、オールド・トラッフォードは大きなスタジアムの割には古いので、設備は結構古い作りになっている。ただ、説明を聞いて、初めて知ったことがいくつかあった。

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    ・現在のトンネルは「ニュー・トンネル」と呼ばれていて、1993年に始まったものだから「ニュー」ではないが古い方もあるからいまだに「ニュー」と呼ばれているという。それが、テイラーレポートの結果、作られたものだということを、今日の説明で初めて知ったのだった。オールド・トラッフォードで「ヒルズバラ」という言葉を聞くとは思わなかった。。。

    ・ディレクターボックスは、ディレクターが基本的に一人4席ずつ持っているという。例外がサー・マット・バズビーの遺族が1枚になったこと、それとファーギーが8枚持っていること。「その理由は、サー・アレックスが欲しいと言ったから。サー・アレックスに対してNOと言える人はいませんから」と、ガイドさん。

    IMG_2772.jpg・ホームチームのドレッシングルームは、ジョゼ・モウリーニョが建て替えたのだそうだ。見ると、シティも今のはそうなのだが、四角い部屋ではなく丸い部屋になっている。要は、全員が全員の顔を見れるような作りになっている。
    ただ、シャワールームなどの設備は見せてもらえなかった。(たいていのクラブでは併設されていて、見せてくれるのだが、オールド・トラッフォードでは独立していた)

    ・オールド・トラッフォードのプレスボックスは、試合後の記者会見では今でも使っているが、新戦力の記者会見はキャリントンの方に移転したのだそうだ。記者席がオールド・トラッフォードは70くらいしかないから、ということだった。で、試合後の記者会見の最短は1分半で、例のモウリーニョの「リスペクト」だった。

    ツアーが終わり、メガストアで解散となる。私はまずトイレに駆け込み(外だった)、一服してそのまま市内に戻ることにした。ほぼ2時だ。おなかがすいていた。トラムでDeansgateまで行き、そこで降りてランチが取れる場所を探した。

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    結局、結構歩いてタウンホールを過ぎたあたりでイタリアンレストランが見つかりそこに入ることにした。悪くはなかったが、また行きたいという程でもなかった。

    明日は、市内に留まるのでぜひ英国伝統料理にチャレンジ、と思った。

    ランチを終えると暗くなっていたので、そのままホテルに戻る。5時近い。お茶を飲んで一休みすると、夕食を取るのは無理だと思ったので、少し休んでから軽いスナックとかドーナツか甘いパンを買いに出て、7時前にホテルに戻る。

    疲れた。時差ボケがまだある中で、今日は結構歩き回った。友人にメッセージを送り、年明けの東京出張の飛行機やらの手続き(JALへの問い合わせなど)を終えて、いつでも眠れる準備に入ることになった。

    9時前にもう眠くてふらふらしてくる。ベッドに入りEchoのアプリを閲覧していると、すぐに目が閉じてしまった。

    札幌の爆発事故(その1)2018/12/16

    9月に地震でブラックアウトになった時に、停電&断水が収まった後も2週間くらい物資不足やらで不自由な生活が続いた。体に損傷がなかったことはラッキーだったが、生活は大変で出費もかさみ、精神的に滅入ってしまった記憶が生々しい。

    それからわずか3か月で、今度は避難所で夜を明かす被害に合うとは、今年はなんという年なのかと頭を抱えてしまう。

    それは、日曜日の夜8時半のことだった。今日は深夜1時にリバプール対マンチェスターユナイテッドの試合がある。それに備えて、数週間前から準備を着々と進めていたのだった。PCブラウザだとDAZNの入りがあまり良くないので、(Androidのタブレットはほとんど使い物にならないため)、Docomoに乗り換えてiPhone8を無償で購入したと同時にiPadを買ったのだった。悪くない。これは行ける、と気合が入っていた。全ては12/16の決戦に備えて。

    キックオフの4時間半前の8時半に、シャワーを浴びて夕食の支度を始めた。食事しながら前哨戦のチェルシー戦を見ようと思っていた時だった。日曜日の夕食はいつも結構贅沢するので、その日もデパ地下でいろんなものを買い込んだり料理したり、と張り切っていた。

    その時だった。

    バーン、バリバリバリっというすごい音がした。平岸通りの方向からだった。うちの玄関に面した道路だ。玄関に出てみる。なにが起こったのだろう?

    たまたま方向的に、良く見えなかった。(問題のビルは、平岸通りの方向で、うちの玄関の左側になる。私は右側の方ばかり見て、左は見なかった。何も起きてないように感じた。

    その時、廊下で声が聞こえてきたので、ドアののぞき窓から見る。近所の2人の女性だ。あのブラックリストの時に暗闇の中で数時間話こんだお隣さん2人。

    早速、私も廊下に出た。2人と会話しようと思って。

    廊下に出て、事態の異常に気付いた。なんと廊下はガラスの破片で埋もれていたのだった。えっ!見ると、ビルの平岸通側の窓ガラスが全部、割れてガラスの破片が廊下に散っていたのだった。

    3人で会話しながら窓の外を見る。なんと、向かいのビルが全壊して煙が出ていた。その時点では火は見えなかった。

    間もなく、4人目のご近所さんが出てくる。ブラックアウトの時に水のことで会話した男性だった。ただ、その人のドアの前がガラスの破片で埋まっていてドアがなかなか開かなかったという感じだ。

    4人で会話しながら、ガラスの破片をホウキではいたり非常ドアを開けたりし始めた。

    割れた窓ガラス越しに下を見る。警察や消防車がいる。

    間もなく、向かいのビル(爆発の現場)から発火してすごい勢いで火が出ている。危ないのではないだろうかと思った。消防車はその時点では1台しかなく、火が消えそうに見えなかった。暫くして、数台の応援がきて消火に勤め始めた。

    近所の面々で、ガラスの破片をホウキで吐きながら、会話を交わす。我々はここにいてもいいものか、とか。

    暫くして、警官が「非難してください」と叫んでいる。家にいてはいけないということか?と4人で顔を見合わせる。ケアマネジャーの女性が、下に行って警官に聞いてくる、と行った。

    すぐに戻ってきて、向かいのビルのガス爆発の副次災害の可能性があるから、このビルから出て非難しろと言われたという。なんと。。。

    みんな部屋着だったので、それぞれ家に戻って着替えて避難しようということになった。

    戻って、温かいズボンに履き替えて、上は部屋ぎのままで、バッグを持って出ることにした。バッグの中には最低のものが一式入っている。もうコンタクトも外してしまっていたので眼鏡をかけて、ジャケットを着て外に出る。

    廊下で隣の足の悪い女性と一緒になったので、二人で下に行く。隣の男性も一緒になった。ケアマネジャーの女性は一足先に出たらしい。

    ビルの入り口もガラスの破片で埋まっていた。ああ、凄い事件の中にいるのだ、と実感した。

    警察が「立ち入り禁止」のテープを張っているから、その外に出て待機してくださいと言われる。その方向に行くと、ビルから50メートルくらいの信号交差点のところが「立ち入り禁止」のテープだった。みんな、そこで立って待つことになった。

    雨が降っている。雪ではなかったのが幸いというか、その日は札幌には珍しく、この時間で気温がプラスだった。普通の気温だったら1時間くらいでみんな倒れていただろうと思う。それから3時間、その場所に立たされ続けた結果となったのだ。

    ともあれ、雨の中、プラスとは言え寒い。みんな、夕食の支度をしていたところだった人が多かったようで、立って会話をすると、寒い、おなかすいたという言葉が飛び出ていた。車いすに乗った男性が辛そうにしていた。

    なんで、こんな目に合うのだろう?と、いう気がした。ともあれ、同じビルの住民のお隣さん同士で会話をしながら、現場の消化状況を見ながら、ひたすら過ごした。

    外に立って間もなく、電話やメッセージがき始めた。最初は苫小牧の親戚からの電話だった。「あなたの住所に近いと思って電話した」とのこと。「うちの向かいのビルで爆発して、今避難させられている」というと、電話の先で叔母が絶句していた。

    仕事の上司とはSlackで対話した。上司も絶句していた。

    そもそも札幌は人口が2百万ちかくいる。その市の一角で起こった爆発事故に、自分の知り合いが巻き込まれるとは誰も思っていないらしかった。私も、自分のことでなければ同じだったろうと思うが。

    それにしても、現場のビルの火が消えるまでに1時間近くかかり、煙が消えるまでに3時間以上かかった。それを、札幌の冬に外に立ってジーっと見ていた自分らも悲しいが、凄い事件だと感じた。

    21:30ころに、トイレに行きたくなる。言うと、ケアマネジャーの女性も行きたいというので、二人で近所のスーパー(500Mくらい先にある西友)に行くことにした。ブラックアウトの時とは違って、避難させられている自分たち以外はこの一帯の住民も店舗も通常の生活をしているので、トイレに困ることはなかった。西友の隣にあるマックで帰りにコーヒーを買って、持ち帰り、またみんなと一緒に立っている場所に戻って、一服した。

    コーヒーとタバコ。少し、気持ちが落ち着いた。その時実家の母から電話が入った。苫小牧の親戚から聞いたのだという。まだ同じ話をする。今もこの寒空の下で立っているのだ、と。

    そうこうしているうちに、ケアマネジャーの女性が美園のお姉さんのところに行く、と言った。翌日の仕事は早番だったが、職場の人と対話したところ、遅番にしてもらえたのでとのことだった。

    「この感じだと当分、家に帰れそうにないから」と、言って。

    そんな感じだった。「立ち入り禁止」のテープを持っていた警官が、状況を(知っている限り)説明してくれた。日付が変わるかもしれない、と言われたのはそのころだった。22:30

    ふむ。。。

    試合に間に合うだろうか?と心配になった。微妙だ。

    避難令が出て外に立たされて2時間経った。みんな、いら立ちが出てきたようで、警官にいろいろ言い始めた。こんなところに立たされていては病気になりそうだ、とか飲まず食わずで倒れそうだ、トイレに行きたい、うんぬん。

    警官は困っていたようだったが、その時点では何とも言えない、と繰り返すだけだった。

    22:45ころ、再度トイレに行きたくなった。隣の男性と会話していたので、その人にそれを伝えて一人で西友に向かった。「たぶん、戻って来た頃にもまだ同じ状況だと思いますよ」とその男性は言う。だんだん、みんな悲観的になってきたのだった。

    西友を出て、平岸通に沿って歩く。現場のビルの煙が、遠くからは見えなかった。前回のトイレの時は西友を出た瞬間に煙が見えたのに。そろそろ、家に帰れるだろうか?と期待しながら歩いた。

    しかし、まだまだダメらしい、と言われる。ため息が出る。

    23:20頃になって、警官が「区民センターが避難所として開放されることになった」と伝えてくれた。「少なくとも、暖房とトイレはありますから」と。

    ふむ、それでは日付が変わるどころか、朝になるのだろうか、と隣の男性と顔を見合わせた。避難所に行くしかなさそうだった。その男性と、もう一人2階の住民という女性と3人で会話していたので、3人で一緒に向かうことになった。

    事故現場を突っ切れば近いのだが、そこは「立ち入り禁止」のテープの中なので、迂回するしかない。雨が降る中、寒い思いをしながら3人で歩いた。

    その2階の女性は、引っ越してから半年くらいでこの近所の地理は詳しくないという。3人で仕事のことなど会話しながら歩いた。迂回して、区民センターに着いた。

    入ると、報道陣が来ていて避難所に来ていた住民にインタビューしていた。我々3人は嫌だね、と言って顔を見合わせた。

    広い会議室が住民に開放されていた。テーブルを組み立て、折り畳み椅子を持ってきて、3人で座った。

    24:00くらいになっていた。センターのスタッフが来て、リストに名前と住所を書いてくださいと言う。みんな順番に書いた。

    それから、2階の女性がセブンイレブンに買い物に行くと言って出て行った。その間、隣の男性と二人で会話した。ふと見ると、報道の女性が我々のテーブルに来た。そして、私に向かって「おかあさん」という。私はむっとして「おかあさんではありません」と言うと、その女性は隣の男性の方に行った。なんと失礼なことだろう。トシを取っている女性に対して「おかあさん」と声をかけるのが普通のことなのだろうか?と嫌な気持ちになった。その報道人はNHKだと言った。

    隣の男性は、ガラスの破片で埋まっている廊下の写真をNHKの女性に見せる。するとNHKの女性は、「その写真頂いていいですか」と言う。AirDropで写真を渡すことになった。なんと、という感じだ。

    センターの中には、ぐってり疲れた住民と、報道陣が混じっていたという感じだ。なんかね、この疲れた姿を勝手にカメラに収めて放送するのだろうか、いやだね、と顔を見合わせた。

    24:30ころ、2階の女性がセブンイレブンから戻って来た。なんと、暖かい飲み物とサンドウィッチとお寿司を買ってきてくれたのだ。「お腹すいたでしょ。食べましょう」と言って、分けてくれたのだった。なんと!

    3人で夕食となった。あっという間になくなった。では、次は私が買いに行きますと言って、出た。タバコを吸いに行くついでに、と。

    セブンイレブンはセンターから10メートルくらいのところにある。行くと、避難所に来ていた住民が結構いて、同じように軽食を仕入れていた。

    お茶、水、サンドイッチ、お寿司などを買ってセンターに戻る。すると、2階の女性はテーブルに座ったまま眠っていたようだった。男性は、起きている。というか、眠る場所もないし、起きてるしかないですよね、という感じで。

    2人で軽食を食べて、また会話を始める。24:30私は試合のことが気になってきた。それを、男性に言うと、そうですか、と笑う。その人はスポーツは好きだが、DAZNを視聴するほどではない、ということだった。またタバコに行こうとしたら、その人も一緒に行くという。なんと、この男性も喫煙者だった。

    二人でセンターの玄関を出たところでタバコを吸いながら会話をする。その人は自転車が好きで、暇があればサイクリングに行くという。気が向けば夕張まで行くということだった。60キロを自転車で?なんと!

    そんな感じで、会話をしながら過ごす。センターの人が時々、状況の説明に来てくれた。まだまだ、家には帰れないということだった。

    24:50 あと10分で試合が始まる。うーん。ここはWiFiがないから、ここでDAZNを見ようものなら大変なことになる、と私は苦笑しながらその男性と話していた。

    でも、お金かかっても諦める方が精神的に悪い、見よう、と思った。

    それから、iPhone8にDAZNをダウンロードして(すべてWiFiなしの環境で。。。)、ログインして試合に繋ぐ。隣の男性が、一緒に見たいと言ってくれたので、一緒に試合を見ることにした。iPhone8の画面で。けっこう、笑える光景かもしれない。

    ただ、避難中の住民は誰もが、みんな起きていた。そもそも、眠る場所もないので起きているしかないのだ。みんな、数人で固まって会話をしていた。それ以外にやることないのだから。。。

    さて、試合が始まる。ちなみに、翌朝家に戻ってWiFiの下でMyDocomoでデータ量をチェックしたら絶句した。なんと、わずか1試合(2時間)で7.1G使ったのだ!ふたん、1か月1GBしか使わない私が。。。。

    ともあれ、試合。

    隣の男性に両チームのことを簡単に説明しながら、一緒に試合を見る。サディオの先制ゴールの時には、私は口を手でふさぎながらガッツポーズをする。隣の男性は笑っていた。そして、向かいで居眠りしていた2階の女性が、私のジェスチャー(の音)で目を覚ましたらしい。すみません、と謝って事情を説明する。その女性も笑っていた。

    ハーフタイム。男性と一緒にタバコに行く。試合は1-1だった。ため息。

    後半、また席に戻ると、このセンターに来る前にはぐれた隣の足が悪い女性が来た。外に立たされていた時、警察が(寒かったので)車の中に座らせてくれたとのことのことだった。

    その女性が、我々に合流することになった。アンラッキーなことに、真ん中に座ったものだから、試合を映していたiPhone8の画面が小さいのにさらに遠くなった。でも、まあ、こんな非常事態だから仕方ない。

    私はひたすら試合に集中している間、隣の男性と隣の女性とが会話をしていた。私も時々、会話に参加しながら試合を見ていた。

    3:00、試合に勝った喜びで私は(避難生活の)苦悩がやや晴れて、ニコニコ笑う。隣のみんなは笑っている。

    さて、そうこうしている時に、ちょうどセンターの人が来て、状況の変化を伝えてくれた。やっと消防車のOKが出て、警察が最終チェックをしているという。それがOKになったら、みんな家に帰れるとのことのことだった。

    おお!やっと、帰れるのか!

    最終OKが出たのは3:25だった。ただ、追加の話があり、「危険だから」北海道電力が停電にしているのだという。「家に帰っても停電の可能性があります」ということだった。

    みんな顔を見合わせた。どうしよう?まずは帰ろうか?私と男性は、帰りましょう、と言ったが、足の悪い女性は困っている。ダメだからと言って戻る体力はない、と。

    すると、センターの人が「停電になっているのは3条の方だけで2条は大丈夫」と情報をくれた。安心して、3人で帰ることにした。ただ、足の悪い女性は歩くことが出来ないからタクシーで行くという。では、同乗しましょうということになり、3人でタクシーを捕まえた。

    住所を告げると、タクシーの運転手さんは地元の人ではなかったらしく、いちいち道を教えなければならなかった。しかも、警察がまだ現場の「立ち入り禁止」のテープを張ったままでクルマは進入禁止のままになっていたので、途中で降りねばならなかった。警官に聞くと、住民は通ってよいが車はダメとのことのことだった。

    ただ、その場所からは10メートルくらいのところが我々の住居だったので、隣の女性を連れてゆっくり歩くことにした。タクシーの運転手さんは「お役に立てずすみません」と言っていた。いやいや。。。

    03:40 ビルに到着。3階までエレベーターで行き、3人は3階で挨拶をして別れた。7時間の避難民生活を共にしたお隣さんだった。

    さて、家に入り、洗濯機やら食事の支度やらの後片付けをして、寝る支度ができたのは4時を回っていた。ともあれ、明日(今日だが)は半休もらうことになっていたので、上司にSlackで状況を伝えて、寝ることにした。

    その前にデータ通信料(7.1G増えていた)を見てげっそりした、というおまけもついていた。割れた窓ガラスのこともさておき、こういう細かい余計な出費は、単に自分が泣きながら払うことになるのだろう。事件に巻き込まれて被害者になったら、辛い思いをさせられた上にお金がかかる。

    わずか3か月でまた襲って来た災害に、財政と精神が受ける打撃は小さくはなかった。

    そして、まずは家に帰れたが、これで一件落着ではないことは薄々予想が付いた。その通りとなったが。

    (続く)

    2018/9/12  11月まで続く非常事態?(完了編)

    9/12、朝のニュースを読む。北海道電力の代表者が「完全復旧は11月になる見通し」と分析しているとのこと。当初「1週間はかかる」と言ったのは、その時点では全く見通しがないのに何か言わなければならなかったから、とりあえず1週間と言ったという。なんと危機管理が出来ていないことか。

    ただ、危機管理が出来ていないというか、非常事態の状況が混とんしているのは北海道電力だけではなかった。

    地元の小売店を数件見た感触は、店によって品切れしているものや販売しているもの、制限を課しているものがまちまちなのだ。

    この近くに大手のスーパーマーケットが5軒あるが、1軒ではカップ麺が「おひとり様1つまで」として売ってるし、他の店では特に制限していない。というか、カップ麺も在庫切れになる理由は理解できない。物流がそこまでストップしたようには見えないのに。

    コンビニでも、セブンイレブン(徒歩5分以内にセブンイレブンが3店舗あるのだが、そのひとつ)に行くとアイコスが全部売り切れだと言われた。え?たばこも品切れ?これも理解できなかった。

    でも、隣のファミリーマートに行くとアイコスは売っていたし、タバコは全て普通の販売状況だった。

    なんと、被災地になることが珍しい北海道では、被災地になったときに、どうしてよいのかわからず混とんとするのだ。

    ただ、どの店でも売ってないのが牛乳だとか生鮮食料品だった。これは理解できるし、これらの食品が販売再開になればそろそろ災害も終わりになるのだろう。

    あとは、どのスーパーも営業時間を制限している。西友は24時間開いているのだが、今は(いつまでかは未定で)20:00に閉店していた。店舗の電灯も省電力モードになっていて、夜は開いているのか閉まっているのか、店の前に行って初めてわかるくらいに暗かった。

    そう言えば、AUから土曜日の夕方にメールが来ていて、北海道の契約者はデータ通信の制限を解除するとのことだった。そう、その日札幌から帯広へのバスの中で、いつものようにデジアラアプリを立ち上げると「残データ量」が「999.99GB」になっていて驚いた。私の契約派3GBなので、いつもは2.XXGBと出るのだが。これは制限が外れたからということか。

    ただ、遅いけど(苦笑)。本当に必要だった時には制限のせいか不明だが、ほとんど使い物にならない状況だったので。

    あとは、とても悲しかったのは、日曜日の夕方に地元の豊平公園に行った時のことだった。公園は封鎖されていて、張り紙が貼られていた。「木が倒れて危険なので立ち入り禁止」。

    見ると、本当に木が倒れていた。台風と地震のためにこうなったのだろう。豊平公園の森林はとても美しくて、気に入っている場所の一つだった。でも、こんな大きな木が倒されるような台風と地震だったということだ。これを見ると、この近辺で人間の被害はなかった(らしい)ことはもの凄い幸運なのだと、改めて思った。

    ただ、この倒れた木は元には戻らないのだろうと思った。

    2018/9/16 完了編

    土曜日(9/15)に、1週間以上ぶりに牛乳が買えた。これでやっと、紅茶が飲める!と嬉しかった。この日の西友の牛乳売り場は、(昼に行ったのだが)通常とは言えないものの、比較的個数もあって、まだしばらくは買えそうな感じだった。

    やっと、物流がかなり正常化した。まだ完全ではないが、日々ストレスをためずに食べるには十分な販売状況にまで戻った。

    そして、西友や多くのスーパーでは9/15(土)から営業時間を元に戻していた。

    まだ街中は節電している。公共施設や商業施設で、多くの店舗で照明を減らしていたり、エアータオルが止まっていたり、という感じで。

    今日、朝の散歩で月寒公園に行った。まだ立ち入り禁止状態だった。土曜日に豊平公園に行った時は、一部が解放されていて、閉じているところでは倒れた木の処分などの作業をやっていた。間もなく正常化しそうな様子だった。

    ただ、月寒公園の方がはるかに大きいので、もう少しかかるのだろう。

    北海道の観光客は激減だという。それは仕方ないと思う。ただ、徐々にだが着実に正常化している。

    被災地状態が完全に解ける日はそう遠くないだろうと思った。(完)

    2018/09/10 完全復旧はいつ?

    9/7 夕方7時に仕事を終えて、外を歩く。地下鉄の駅は開いている。7日の朝から徐々に運行を再開したらしかった。ただ、バス停にはまだ「停電のため運休中」の手書きの張り紙が貼られたままだった。

    少し、道を歩く。スーパーの前には依然として列ができていて入場制限されていた。幸い、あの停電&断水の前日にスーパーで買い出しをしたばかりで、暫くは持つ程度の食材はあった。電気が使えるので調理ができる。ホームベーカリーもあるのでパンを焼くこともできる。

    結局、たまたま小麦粉もあったことがラッキーだった。その後3日経ってもパンが買えない生活が続くとは思わなかったが。

    まずは、翌9月8日に朝いちばんの便で帯広に行くつもりだった。実家に一人でいる母の様子を見るために。この時期に片道220キロの遠出はやや無謀だったのだが、母が心配だったので多少の無理をしても行くつもりだった。

    ただ、その日の夜中になるまで果たして札幌から帯広の足があるかどうか不明だった。JRは運休しているし、再開の見込みは薄そうだった。都市間バス(ポテトライナー)が、9/7は完全運休だったが、帯広も停電が解消されたので動く可能性はある、と踏んでいた。

    市内バスの運休は、信号機が止まっていたからだとのことで、停電が解消されれば再開と言っていた。JRが止まっているなら都市間バスは何とかして動かすだろうと思った。

    その予測は当たっていた。

    朝6時に起きる。バスは定刻8:15だった。7時にバスターミナルのサイトにつなぎ、運行状況を見る「ポテトライナーは運休はありません」となっている。昨日は全便運休だったので、これは行ける!と思った。

    とにかく、行く支度をして7時10分に家を出る。地下鉄で大通りまで行く。さすがに地下鉄は、間引き運転しているらしく、この時間は5分おきに電車が来るはずだが10分近く待った。

    7時半、バスターミナルに着く。窓口には列ができていて、横にスタッフが立っていた。「ポテトライナーは運行しますか」と質問すると、「運休の便もあるので、窓口で聞いてください」と言われ、情報なしで並ばされた。

    もっとも、バス会社は(運休は)自分が悪いのではないので、客に対して便宜を図る義務はない。

    ふむ。。。。

    ただ、余裕をもって出てきているし、多少は待っても大丈夫だった。案の定、10分も待たずに自分の番になる。窓口の男性は通常の担当ではないらしく、発車オーライネットで取った予約の情報を見せると「購入期限切れと書かれている」と、最初は門前払いされそうになった。

    発車オーライネットの予約情報の方が間違いで、回数券で購入する場合は当日でも購入できる、とは既に問合せして言われていた。また同じ問答かとうんざりしたが、その男性スタッフは、予約番号を打ち込んだ結果、OKと出てきたのを見て「大丈夫です」と言う。

    ともあれ、行けることになった。8:15定刻に発車し、特に問題なくほぼ定刻の11:30頃に帯広に着く。終点ではなく実家に最も近いバス停で降りて、歩くことにした。そのバス停から実家へは2キロくらいの距離で、晴れていればいつも歩く。

    ただ、11:30の帯広は暑かった。たぶん、26-27度くらいか。陽の光の下を歩いているうちに、疲れを感じた。それもそうだ。9/7は通常に仕事して、食事も通常にしたとは言え、停電&断水から1日しか経っていない。まだ疲労が残っていた。

    実家に着く。母から停電中のパニック状態の話を聞く。電池で動くラジオを付けていると、ラジオの人が電気のブレーカーを落としておけと言っていたという。え?でもブレーカー落として置いたら停電が解消されてもわからないのでは?よく聞くと、地震で水害にあったところでは、通電したら感電するかもしれないからということだった。つまり、水害になってない家はブレーカー落とす必要はないわけだ。

    なんか、情報が錯そうしてるな、と思った。

    それから、実家の片づけ物を手伝った。やや疲れたので、少し休んでからスーパーに行くことにした。母は足が弱くなっているので、、食べたいものがあっても自分では買い物に行けない。こんな時だからちゃんと食べた方が良いと思って、スーパーに行くことにした。

    札幌でもスーパーにはまだ入っていなかったので、それが初スーパーだった。

    入ってみて、事態に気づいた。賞味期限があるような食品は売ってないのだ。乳製品だとか、肉だとか。惣菜は少し売っていたが限りがあった。あとは、冷凍食品は殆どなかった。それもそうだ、あの停電で、在庫品はたぶんダメになっただろう。そして、この状態では入荷もしていないだろう。たぶん、食品メーカーは生産を再開したかしていないか、くらいだろうし。

    そして、どこに行ってもパンは全く売っていないことも分かった。

    なるほど、食品は入手が大変なのだ、と気づく。

    いったん実家に戻り、母に「売っていたもの」を伝え、その中から食べたいものを聞いて、再度買いに出ることにした。(スーパーから電話をしたのだが、出なかったので、仕方なく行ったん戻ることにした)

    幸い、いくつか母が食べたいと思ったものがあったので、夕食はおいしく食べられた。

    停電中の状況の話になった。その時に思い出したのだが、まさに停電していた9/6の午後に地元の町中に出た時に、いやなものを見た。駅前の小さい焼き鳥屋が、ペットボトルの水を販売していたのだが、なんと、2リットルのペットボトルを400円で売っているのだった。2リットルの水は、ふつうならばコンビニで買ってもせいぜい200円だ。スーパーなら100円だ。

    こんな時に、困っている人にものを高く売って儲けようという人がいるのだ、と残念に思った。

    Facebookで対話したマレーシアの友人に、状況を聞かれて「食べ物がない。断水で水も不足している」と言うと「政府が援助を出さないのか」と質問された。

    でも、水を2倍の値段で売る人がいるというのが実態だった。

    9/9 朝、早い時間に実家を出た。札幌に戻るバスは10:00発車だった。本当にとんぼ返りだが、月曜日は通常に仕事だった。母がとても喜んでいたので、やはり行って良かったと思った。今回の停電で、夜は真っ暗で不安で早く寝たが眠れなかったなど、母はやはりストレスに感じていたようだった。それはそうだと思った。自分もそうとうイライラしたのだから、普段から自力で自由に動けないような人は、さぞや不安で大変だったろう。

    13:40、札幌に着く。街中で買い物をしてから帰ることにした。母がソーラーの時計が欲しいというので、ヨドバシカメラに行って買うことにした。ちょっと探すと、4000円のがあったのでそれを買う。

    ヨドバシカメラはJRの札幌駅を通り過ぎたところにある。帰りにJRの駅の喫煙所で一服することにした。すると、その間アナウンスが聞こえた。9/9になっても帯広・釧路方面の電車は運休だとのこと。(ポテトライナーは昨日から動いているというのに)

    その後で、パン屋に入ることにした。すると、販売制限が課されていた。品物は限定で、おひとり様3個までと書かれており、売ってる商品は1個300円くらのものばかりだった。

    どのパン屋に行っても状況はほぼ同じ、閉店しているパン屋の方が多かったかもしれない。

    家に帰って、地元のパン屋さんに教えてもらってやっとその理由がわかった。今回の停電のおかげで原料が入荷しないので、パンが作れないのだそうだ。牛乳がやっと水曜日に入荷するらしい、とのことだった。

    あ、あの帯広のスーパーの商品棚がらがら状態は、暫く続くのかと、その時になって初めて実感した。

    「こんな風に被災地になることがあるとは、これまでまともに考えたことなかったですよね」と、そのパン屋のスタッフは言っていた。

    その通りだった。

    うむ。これから食品不足の生活が暫く続くのだ。

    9/10の夜に、札幌の友人からLineがくる。停電中には連絡しなかった人だが(さすがに同じ市内だと状況は想像ついたので)。

    現在の食品不足の状況について、その友人は「今日も弁当が売ってないので昼食に困った」と言っていた。

    「いつまで続くだろう?」

    「今週いっぱいは、たぶん、通常の生活には戻れないだろうね」

    「そうだね」

    そんな感じの会話だった。復旧したら、また飲みに行こうね、という感じで会話を終えた。


    2018/09/06 停電&断水の24時間

    9/6 早朝5時(くらい)、寝ているところで凄い地震でパッと目が覚めた。あ、揺れてる。地震だ、と寝ぼけながら思う。すると、バチっと物凄い音がして一瞬火花が見えた。固定電話の子機の付近だ。何だろうと思う。まだ寝ぼけている。そのうちにまた眠ってしまった。

    7時(いつもの起床時間)、目が覚めて起床する。いつもの通り、リモコンでTVを点ける...点かない、あれ?ふむ。(まだ寝起きで頭が働いていない)。暫くして、早朝の記憶が浮かんできた。あ、停電かも?

    洗顔して着替える。窓から日が差し込んでいるので、電灯は必要ない。この時間はいつも、雨の日とか暗い日以外は電灯は特に点けない。だから、この時まではまだ異常を実感してなかった。

    洗顔する時に、水の様子がおかしいことに気づく。停電なら、このビルは断水になる(水の供給に電力を使っているため)だろうから、今のうちに水をためておいた方が良いかも、と少し頭が働き始めた。バケツに水をためる。

    間もなく、水が出なくなる。あ、やはり停電か、と思う。そろそろ頭が目覚めてきた。

    8時。今日は仕事で重要な会議がある。Skypeで東京と会議だ。内容がけっこう深刻だった。

    ただ、停電してたらskypeなんてできないじゃないか、と気づく。その通りだ。頭を巡らす。電化製品は全て、消えている。仕事用に2台のデスクトップはもちろん、ノートPCは付くが(バッテリーはたぶん2時間蔵は持つだろう)、ルーターがダメだからWifiがつながらない。うむ、では今使える通信機器はiPhoneだけか、と認識する。

    幸い、というか、いつも充電器2台を満杯にしておく習慣があるので、大事に使えば2日は持つだろうと思った。言うまでもなくポケモンとかバッテリーを消費するものは絶対に付けてはいけない、ということはすぐに頭が回った。

    結局、このiPhoneが最後まで唯一の通信手段となったのだが。

    ただ、その時点では停電の範囲に関する認識は全くなく、自分のところだけだと思い、電力会社に問合せするための契約書を(問合せ先など)探し始める。3年前にAU電気にしたばかりだから北海道電力に問合せしても契約者じゃないからと邪見にされるだろうし、とか思った。

    何しろ、この時点ではTVも見れてないので事態についての認識が全くなかったのだ。

    机をひっくり返してAU電気の契約書を探す。見つからない。ふむ。昔の北海道電力の料金通知は見つかった。料金に関する問い合わせ電話は記載されていた。営業時間9:00-17:00と書かれている。その時間は8:40だった。まだ時間前だ。

    AUのAu電気のアプリをインストールする。電話番号らしきものがやっと見つかった。かける。自動音声応答で「営業時間は9:00-17:00です。ただ今の時間は営業時間外です」だと。うん。停電になっても9:00にならなければ連絡もできないのか、と苦笑する。

    その間、仕事の電話を入れることにした。iPhoneを見ると、その時点で3人から「大丈夫?」というメッセージが入っていた。

    うん?これ、ひょっとして私だけのトラブルではないの?

    まだ何事が起こったのかわかっていなかった。AU電気に電話する。北海道全域で停電になっている、と言われる。ほー、と思う。だから北海道電力に問合せしてください、とたらいまわしされる。

    ほー、9:00まで待ってこれか。

    さらに、北海道電力の問い合わせ先を聞くと、わからないと言われる。さんざん待たされた末に、03の番号を教えられる。

    「停電のため、情報を探すことが出来ないので」と言われる。これ、電気会社の言葉?とあきれる。

    次に、仕事の電話を入れる。出ない。暫くしてコールバックがくる。停電らしいので、今日の打ち合わせは出られないです、と言うと、上司はえーーっと不満そうな反応だ。でも停電でPCもつかないしルーターも止まっていてiPhoneしか通信手段がないのです、というと渋々、欠席を許してもらえた。

    その後、その上司から仕事の詳細で何度も電話が来た。

    徐々に、iPhoneに入るメッセージが増えてくる。全国の友人が、心配してくれているようだ。そんな事態なのか、とぼやーっと認識し始める。

    ただ、依然としてニュースにはアクセスできないし、友人とのメッセージのやり取りで、北海道全域が停電しているらしいことはわかったが、その深刻さはまったく想像もつかなかった。半日で解消されるのか、一日かかるのか、など、まったくわからない。

    ふと気づいて、実家の母に電話を入れる。固定電話は、電源が入っていないというメッセージになった。それもそうだ、北海道全域が停電なのだから、と思い直して携帯に電話を入れる。出ない。母が携帯に出ないことは珍しいことではないので、ともあれこの時点ではまだ心配はしなかった。

    案の定、それから数十分して再度電話すると、母が出た。停電だが、水は出ているという。母は一軒家に住んでいるので、私のところとは状況は違うので水が出ているというのは不思議ではない。ともあれ、母の声を聴いて安心した。

    千葉の兄にメールを送った。

    すると、即座に兄から電話が来た。「北海道全域が停電らしい。ただ、午後には復旧すると言っているが」ということ。あ、それなら大丈夫かな、と思った。

    この時点では、全国ニュースも事態の深刻さを認識していなかったのだ。

    それから、仕事の電話の対応やら、北海道電力に電話したり、でバタバタと時間が過ぎて12時になる。北海道電力は、昔の料金の問い合わせの電話番号にかけると電話に出てくれて、停電情報にも応じてくれた。ただ、復旧の見通しは立っていないという返答だった。

    さて。

    少し、落ち着いて現状を検討して見る余裕が出てきた。
    ・この停電は北海道全域の問題で、地震で発電所がトラブルを起こしたのが原因
    ・復旧見通しは立っていない
    そして、自分の状況は、
    ・停電と断水がいつまで続くかわからない
    ・仕事はできない(時々かかってくる東京の上司の電話以外は)
    ・通信手段は、iPhoneのみ
    ・iPhoneの充電は、大事に使えば2日は持つ
    ・ガスは使える
    ・水が使えない(もう止まってしまった)
    ・つまり、トイレが流れない(なるべくトイレに行かないようにする必要がある)
    ・食べ物は、特に困らない。電気が使えないのでろくなものは食べられないが、その気になればカップ麺が2つあるし、食パンもある。
    ・ただ、トイレが使えないので何も食べない方が良いのでは?(おなかがすいてどうにもならなくなれば別だが)
    ・食欲はない。じゃ、食べないことにしよう。
    ・2リットルのペットボトルが8本、ウォーターサーバーの1ガロンが1つあるから飲料水は3日くらいは十分
    (その後、このペットボトルの飲料水でトイレを流す水に代用することになったが)
    ・コーヒーメーカーは当然、使えないが、ガスでお湯を沸かしてコーヒーを手動で入れればコーヒーも飲めることがわかった。
    ・たばこも、アイコスが4箱ある。1週間は持つ。たばこは心配ない。
    (その夜、アイコスの充電が必要になったが)

    そのような整理作業をしているうちに、午後がだんだん進んでくる。15:00くらいに急に空が暗くなる。うむ、これ、今はまだ薄暗いからいいけど、夜の18:30くらいになると真っ暗になるのでは?と気が付く。

    まずい。私は懐中電灯というものがあったっけ?

    ない。買った記憶がない。ないような気がする。

    懐中電灯もしくは電池で動く電灯を探してみる。ない。

    ないと思う。買った覚えがないので。

    ろうそくなどの原始的な照明も、ない。まずいかも。と思い始める。

    今のうちに買いに出てみようか、と初めて考える。それまでずっと一歩も外に出てなかったことに気づく。バッグを持って外に出る。幸い、現金はある。先日少し降ろしてきたので。

    ドアを開けると、隣の住民2人(二人とも女性)が立ち話をしていた。挨拶くらいはする人たちだったので、立ち止まって話をすることにした。

    1人は50代くらいのケア・マネジャ、1人は80代くらい?の一人暮らしで介護の人が時々来ている、という人だ。ケア・マネジャの方が、介護を要する方の人に「何か必要なものがあれば買ってきますよ」と言っている。ペットボトルのお茶が欲しい、と言っている。ご飯も欲しい、と言っている。ケア・マネジャの方が、「もうコンビニは食べ物は朝から売り切れていたから、内と思う」と言っている。

    私が、お茶はないがペットボトルの水ならありますよ、と言う。欲しいというので2本、差し上げることにした。

    そこで、3人で立ち話になった。ケア・マネジャの方が、仕事の関係の人から今回の停電の深刻さとか状況についていろいろ聞いていたようで、情報を教えてくれた。

    水力発電所を使って午後から一部、復旧させたが病院など深刻な地域を優先しているという。この一帯はもっと後だろう、ということだった。

    ふむ。。。。

    その人はラジオを持っているのでニュースを聞いていたのだが電池が切れたという。私は電池を持っているので差し上げます、と言って単四の電池を3本あげた(照明器具はないが電池はあった)

    その代わりに、ろうそくをもらった。助かった!

    そんな感じで、隣近所で助け合いましょう、という話になった。

    夜になったら暗くなるので、廊下に出ようと思っている、とケア・マネジャが言う。真っ暗の家にこもっていても気が滅入るだけなので、廊下に出れば近所の人と話ができるから、という。

    なるほど、と思った。では、私も出ますと言って、まずは分かれた。

    ともかく、西友に言ってみることにした。800メートルくらのところにある。照明器具があれば買おうと思った。結果は、朝のうちに売り切れましたと言われたのだが。

    つまり、隣の人からろうそくを貰ったことが助かった。

    西友に着いたのは17:00頃か。薄暗い店舗の前に人が列を作っている。スタッフが「おひとり様1点ずつでお願いします」と制限している。聞くと、食べ物しか残っていないという。

    そうか、みんなは食欲があるんだな、と思った。自分は朝から何も食べてないけど、おなかが全くすかない。もともと食べ物に固執していない自分が、この事態で食欲が出るとは思わなかったが、やはり全く食べたくなかった。

    というか、水が出ないのにトイレに行かねばならなくなる事態の方が怖かった。食べる気になどとうていなれない。

    西友で、結局何も買わずにそのまま帰宅する。18時、そろそろ暗くなり始めた。

    建物の入り口で、住民らしき人と一緒になる。「エレベーターはまだだ止まってますね」と、その人(足が悪そうな70代くらいの男性)は言う。「停電だから、無理でしょうね。復旧見込みは立ってないみたいです」と言う。その人は「では、階段しかないね」と言う。「9階まで上がらねば」と悲しそうに言う。「あなた何階?」私は3階です、と答えると「いいなあ」と羨ましそうに言われた。

    だんだん、厳しさが十万してきた。

    自分の住居のフロア(3階)に上がる。階段を上がったところで、隣の介護が必要な女性が男性と喋っていた。その男性(40代くらい?)も同じフロアの住民だという。初めて見た。挨拶をして、少し会話をした。

    「朝のうちに少し多めに水をためておいたから、少しなら差し上げますよ」と言ってくれた。

    助け合い、助け合い。

    そして、家に入ってiPhoneを付ける。Facebookで友人に近況を伝えようと思った。うむ。重たい。まずい、唯一の通信手段である4Gがダメになってきたようだ。

    つながらない。

    何度か接続すると、つながる。また切れる、という感じで、本格的に災害になってきたようだ。

    北海道電力に電話する。また、すぐに電話は繋がった。一部の地域は復旧しているが、それ以外の地域は復旧見込みは立っていないという。住所を伝えると「その地区は現在は見込みは立っていません」とのこと。順番に水力発電所を稼働させて、電力を供給しているのだが場所によって可能な地区が決まるので、どの発電所が稼働できるようになるかによって復旧の見通しが決まるのだ、とのこと。

    で、発電所の稼働待ちで、今の時点では豊平区は全く見込みなし、だと。うーん。

    その電話番号は9:00-17:00しかつながらないことになっていたので、夜になったらどこに電話すればいいですか、と質問すると、ちょっとお待ちくださいと言って0120で始まる番号を教えてくれた。

    携帯からも繋がりますか?と質問すると、「固定電話でかければ繋がります」と言う。だって、固定電話なんて今どきの機器は電力で稼働してるでしょ?というと、その人は「あ、そうですね。ちょっとお待ちください」。なんと。。。。

    暫くして「携帯からも繋がります」との返事。

    なんとも。。。危機対応の体制ができてないではないか、とまた心細くなる。ちなみに、その時教えてもらった0120の番号は、その後19:00くらいにかけたところ「停電情報です。この番号は今は使われていません。ホームページで見てください」と自動音声応答が流れた。

    泣きたくなった。

    窓から陽が入らなくなり、ろうそくを付ける。

    小さいボールに紅茶のティーパックの出がらしを入れて、その隙間にろうそくを立てる。なんとかなりそうだ。ライターで火を付ける。あ、照明だ。周囲20センチくらいの距離は、見える。

    また気持ちが沈んできた。

    いつまでこの事態が続くのだろう?

    と、自分がこんなに気が滅入っているのだから実家にいる母はどうなっただろうと気になって、また電話する。今度は「おかけになった電話は電源が入っていないか電波の届かないところにいます」という自動音声だ。母の携帯はドコモだった。キャリアの問題というよりは、携帯の電池が切れて充電できずにいるのかも、と思った。念のため固定電話にかけたが、当然だがつながらない。まだ停電中のようだ。ふむ。連絡取れなくなってしまったかと思った(まだパニックになる時期ではないだろうと、思った)。

    Facebookにつなぐ。友達がまた心配のメッセージをくれていた。みんな、心配してくれているのだ、と嬉しかった。

    4Gの接続は依然として、悪い。繋がったり切れたりになっている。災害だからこんなものなのだろう、と思った。

    何度目かに、Facebookで友人のメッセージが見えた「無事のようで安心しました」とのこと。ん?この状態は、「無事」というのだろうか?とふと考える。無事というのは通常の状況のことだとしたら、今の状態は「異常」であって「無事」ではないと思うのだが。。。

    まっくらな部屋でろうそくの光を頼りに、トイレに行かないために食べられず気が沈んでいる状況でも、生きているのだから「無事」だということなのか、と思った。

    本当に気がおかしくなりそうだったので、廊下に出ることにした。すると、さっそく、隣の2人とばったり合う。3人で、暗闇の中でろうそくの光の下でぽつぽつと会話を始めた。

    「暗い中で1人で部屋にいても辛いので、ここに来れば誰かと話しできると思って」と、言う。全く同じです、と私も言う。

    ケアマネジャーの人がラジオを持ってきてくれたので、3人でニュースを聞く。当然というべきか、停電情報になる。発電所の説明と、現在の停電世帯数(300万世帯ちかく)と、復旧できた世帯数(35万世帯くらい)の数字、残りの世帯の復旧見込みは立っていない旨のニュースが繰り返される。

    ニュースの合間に、3人で自己紹介的な話になる。どこでどんな仕事してるなど。私はIT業界の人間で、PCが使えないと何もできないのだ、と言う。ケアマネジャーの人は、携帯がドコモで、電話がほとんどつながらないという。私はAUで、電話はかなり良くつながる。音は切れたりするが。4Gがひどいのは同じだったが。

    電話だけを言うとAUの方が良いらしい、とのことだった。もちろん、地区によるだろう。たまたま、この地区はAUの方がアクセスポイントが近いのだろう。

    22:00ちかくまで廊下で真っ暗な中、3人で喋って時間を過ごした。その後、自然解散して各自家に戻った。

    さて、ろうそくの火の下に戻って来る。ソファに寝転んで、ろうそくの下にiPhoneを持って行き、Lineを付ける。サポーターズクラブのTさんから返信が来ていた。

    そこから、寝るまでぽつぽつとTさんとLineのやり取りとなった。ちょうど1日前に、Liverpoolからメールが来て、西日本の台風の影響について心配してくれて、会員のみなさんはどうしてますか?という問い合わせに対応していたところで、自分がPCメールにアクセスできなくなった。Liverpoolに連絡して欲しい、とTさんに頼むと、すぐに連絡してくれた。

    それから、暫くサポーターズクラブの連絡手段についてLineでやり取りをした。4Gの劣悪な接続状況の中、リンクをたぐって、Tさんのユーザー登録をしたり、などの作業に専念した。

    時間が過ぎる。助かった。一人で悶々としてたら、本当に気がおかしくなりそうな感じだったので。

    iPhoneでこんなに文字を打ち込んだのは初めてかもしれない。Lineも文字を打つときはPCを使うのだが、今日はiPhoneしか使えなかったので、LineもチャットワークもFacebookもすべて、iPhone直打ちだ。時間ありあまってるからなあ、と苦笑する。

    ちなみに、4Gの接続が悪いせいか電池の消耗は意外に早かった。充電器が2つあるうちの1つ目が完全に終わってしまい、この時間にすでに2台めを使い始めた。この感じだとあとまる1日で電池切れになる、と覚悟した。

    そうこうしながら、結局Tさんが遅くまで付き合ってくれて、00:00くらいにおやすみなさい、になった。

    もう寝るしかやることないし、寝る努力を始めた。もちろん、水もないのでシャワーも浴びていない。汗臭くて気持ち悪かったので、ベッドに入る気になれずソファで寝ることにした。

    眠れない。

    ベッドに寝ることにした。

    時間を見ると1:00になっていた。ともあれ、もし、9/7の朝に復旧する1/3の中に入った場合はすぐにわかるようにと、電灯のスイッチをONにしておいた。

    それからしばらく悶々としていたが、いつの間にか眠ってしまったらしい。

    目が覚めたのは、部屋の電灯が付いた4:00のことだった!

    あ!電灯だ!飛び起きた。

    停電がこれで終わり?

    起きると部屋が明るかった。感激で涙が出そうになった。たったの24時間の災害だったというのに。

    起き上がって、洗面所に行く。水栓を開ける。しばらくは水は出ないだろうとは思ったが、5分くらいたって、水が出始めた!

    水だ!また、涙が出そうになった。

    茶色い水だった。しばらく(20分くらい)出し続けてやっと水が透明になった。洗濯機も庫内清掃モードで水を出す。

    やっと、人間の生活に戻れる!

    バケツに水を汲んで、トイレに流す。何時間ぶりにトイレが使えるようになった。しばらくして、トイレが普通に流れるようになった。

    電話機のリセットなど、電気機器の処置を始める。PCも全部つける。ついた。ルーターも稼働してインターネットにつながった。

    6:30。

    PCを立ち上げてOutlookを起動する。PCメールに友人からの心配メールが入っていた。

    それも含め、LineやらFacebookで心配してくれた友人にメッセージを送る。最後に上司に「復旧しました」と報告。ただ、「体調があまり良くないので、ひょっとして9/7は朝から通常業務に戻れないかもしれません」と付け加えておいた。まる1日食べてないのだから体調が正常なはずがない。(特にその時点では何が悪い、と言うわけではなかったが)

    7:00、シャワーを浴びる。さすがにまだお湯は使えなかった。水のシャワーだが汗で気持ち悪いよりはまし、という感じか。

    そのまま支度して、仕事に入ることにした。上司に再度メッセージを送る「通常に業務します」と、すぐに上司から電話が着て「無理しなくていいから。半休してもいい」と言ってくれた。たぶん、全国ニュースで北海道の惨状が伝えられたのだろう。昨日の朝とはトーンが全然違って同情的だった。

    半休するよりは、さっさと仕事して早く終わってゆっくり休みたいから通常業務に戻ることにした。

    8:30、母に電話をするとつながった。昨夜は電話機を切って寝てしまったとのこと。今もまだ停電だが水は使えているということだった。それから午後14:00頃に母から電話が来て、停電が復旧したとのこと。

    よかった!

    千葉の兄にメールする。「安心した」という返信。

    さすがに夕方にはバテて休み休みになったが、仕事も通常にやって、一日が終わった。

    というか、電気も水も使える環境なのだから仕事は全く苦ではない。電気と水がいかに致命的なものか、今回の災害で身に染みた。


    RIP 'バグシー'・モーラン

    3月25日、アンフィールドで、Liverpoolレジェンド対レアルマドリード・レジェンドのチャリティ・マッチが行われた。これは、両クラブが各々主催のチャリティをプロモーションする目的で計画されたシリーズで、2015年6月のサンティアゴ・ベルナベルでの1戦目は4-2でマドリード・レジェンドが勝ち、今回の方はLiverpoolレジェンドが4-3と雪辱を果たした。

    この試合でマン・オブ・ザ・マッチに輝いたスティーブン・ジェラードが、「この勝利を、真のレジェンドだったロニー・モーランに捧げる」と宣言し、53,000人のファンから盛大な拍手を受けた。その3日前の3月22日に、短い病棟生活の末に亡くなったモーランは、ジェラードを始め、この試合に参加していた、Liverpoolレジェンド殆ど全員のキャリアを支えた人だった。

    Liverpoolのベテラン・中堅ファンや、古株選手の間では'バグシー'というニックネームで知られていたモーランは、ビル・シャンクリー、ボブ・ペイズリー、ジョー・フェーガンらと共にブート・ルームを創立し、Liverpoolの元主将として、コーチとして、1998年に引退するまで、通算49年間をLiverpoolFCに捧げた。地元マージーサイド出身のモーランは、引退後も、毎日のようにメルウッドに通い、軽いトレーニングで自らの健康維持に励むと同時に、後輩選手・コーチたちに、その深い知識と経験を伝えることで、クラブに貢献するのが日課だった。

    そのような次第で、多くの現役選手たちとも面識があったモーランの訃報は、文字通り、LiverpoolFC全体を悲しみで覆った。その時には既に合宿トレーニングのためにテネリフェ入りしていた現チーム一行は、モーランを偲ぶ1分間の黙とうをささげた。

    そして、ユースチーム時代からモーランを見て来たジェイミー・キャラガーの言葉は、多くの人々の気持ちを代弁していた。「LiverpoolFCには、レジェンドと言われている人物がたくさんいる。その中で、このクラブの代名詞でもある成功と歴史という観点で、ロニー・モーランほど『レジェンド』という言葉がマッチしている人はいない」。

    現役時代、特にコーチとしてのモーランは、とにかく勝つことに固執し、そのために厳しくなれる人として、様々な伝説があった。リーグ優勝したシーズンの終わりに、メダルを選手たちに手渡しながら、モーランがにっこり笑って、「夏休みはゆっくり楽しみなさい」と言った話は、その一つだった。「来季はもっと厳しいトレーニングが待っているから」。

    マイクル・オーウェンが、「キャラは筋金入りのエバトン・ファンだった」エピソードを披露した時にも、モーランが登場してきた。「ファーストチームでデビューしてからも、暫くはエバトン・ファンを続けただけでなく、Liverpoolのチームの中でも隠すことすらしなかった。ある日、アウェイの試合から帰るチーム・バスの中で、エバトンが勝ったという試合結果がラジオから流れた時に、キャラは大声で歓声を上げた。即座にロニー・モーランから叱られたが」。

    キャラは、かくして若手時代によく叱られて、頭が上がらなかったモーランを、「僕のキャリアを開いてくれた人だった」と、感謝を込めて振り返った。

    それは、キャラがミッドフィールダーとしてプレイしていた、ユース・チーム時代のことだった。ユース・カップの試合で、ベンチにはディフェンダーが一人もいなかった時に、センターバックが退場となった。誰を投入するかと監督・コーチ陣が頭を悩ませていた時に、モーランが、「彼は将来、Liverpoolのセンターバックとして名を上げる選手だ」と、キャラを指さしたという。

    「モーランの言葉だから間違いない、と、誰もが素直に信じた。そのような偉大な存在だった」と、キャラは断言した。「そして、僕のキャリアに関しても、モーランの見解は常に正しいということが証明された。僕は、ファーストチームに昇格できたばかりの頃に、モーランの言葉を聞くのが楽しみだった。選手に対して話しかけるやり方や、話の内容、全てがとても勉強になった」。

    引退してからの「メルウッド通い」について、キャラの証言は続いた。「Liverpoolのレジェンドとして、メルウッドに入って来て、大きい顔をして好きなように振る舞うのが当たり前と言える程の人物なのに、全く違った。モーランは、メルウッドに来ると必ず、まずは監督にOKを取り付けた。ジェラル・ウリエ、ラファ・ベニテス、そしてブレンダン・ロジャーズの時代まで。それは、LiverpoolFCとブート・ルームを支えた精神の象徴」。

    シャンクリーがTVのキャラクター(バグシー・モーラン)から付けたニックネームについて、「もっと悪いニックネームで呼ばれたこともあるから、全く気にしていない」と笑ったモーランは、黄金時代のLiverpoolの強さの秘訣について問われて、ブート・ルーム創立時の写真を指差した。「この人たちは、勝利にこだわった。それがフットボールでは最も大切なこと」。

    「良い選手を揃えること。絶対に勝ちたいと思っている選手を。そうすれば、勝てるチームになる」。

    プレミアリーグはますます激戦

    今季のプレミアリーグは例年にない激戦です。事前の優勝候補はマンチェスターシティとチェルシーでしたが、そのほかにアーセナルが現在までにタイトル争いに参戦してます。
    最後まで目を離せませんね

    プレミアリーグ ファングッズのドメイン移転しました

    ドメインを移転しました。その関連の手続きにちょっと手間取ってしまいましたが、無事、移転が完了し、元通りに使えるようになりました。

    プレミアリーグ ファングッズ
    新しいドメインはこちらです
    http://plfjapan.org/

    是非、いらしてください。

    マリオ!(その2)

    ユーロ2012でもすっかり人気者になっているマリオ・バロテッリのイタリアでのベンチの風景です...
    「Balotelli can't drink(バロテッリは飲めない)」

    Balotelli can't drink
    がんはれ マリオ!

    Why Always Me?

    リーグ最終日のドラマ 笑えたコメンタリー (ストーク対ボルトン)

    さて、ストーク対ボルトンもどんでん返し続きでした。
    ストークが先制し、ボルトンが追いつき、45分にはケビン・デイビスのゴールで2-1と勝ち越しました。
    その時には、残留争いのライバルQPRはシティに0-1と負けていたため、この時点ではボルトンが残留でした...

    後半になり、QPRが追いついて1-1となった時に、ストークのアウェイ・スタンドにいたボルトン・ファンは明らかに状況が分かりました。シティに勝ってもらわねば自分たちは降格です。
    そこで、ボルトン・ファンがスタンドでブルー・ムーンを歌ってシティの応援を始めました。

    ボルトン・ファンは必死だったと思いますが、これはさすがに笑えました...

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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