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    勝者の本能

    5月25日は毎年、Liverpoolのファンや地元紙が「イスタンブールの日」として思い出を語り合う日だ(※2005年のCL決勝戦)。15周年になる今年は、イングランドではまだシーズン中断ということもあり、全国メディアでも大々的に取り上げた。「LiverpoolがACミランに前半3-0とリードされながら3-3、PK戦で優勝に輝いた、CL史上最大の劇的な決勝戦」と、各紙が当時を振り返る記事を掲げた。

    必然的に、通算6回目のCL(ヨーロピアン・カップ)優勝となった昨年は、Liverpoolファンの間で、14年前との比較が話題になった。「イスタンブールとは何もかも対照的」と、誰もが頷いた。「事前予測ではACミランの方が圧倒的に優位で、チーム力の差は大きかった。今回は正反対に、プレッシャーは一方的にLiverpoolにあった。相手トットナムも劇的な大逆転勝利の末に決勝進出を決めていたし、面白い試合になるだろう、と世間は期待していた。ふたを開けると、内容的にはイスタンブールの正反対で、CL史上最悪のたいくつな決勝戦になった」と、Liverpoolファンはジョークを言って笑い合った。

    ファンの気持ちを裏付けるかのように、今年5月のロックダウン中の特別番組で、ユルゲン・クロップが昨季のCL決勝戦について意見を語った。

    昨季のCL全試合を通して、最も感動した場面は?と質問されて、クロップは「決勝戦のディボック・オリジのゴール」と答えた。

    「あれは我がチームにとってもトットナムにとってもベストの試合とは言えない内容だった。ただ、我がチームの方は、決勝戦では、ベストの試合が出来なければどうやって勝つかということを学んでいた。ディボックのゴールが出た時に、私は『使命を果たした』と思った」。

    その時に、スタンドで後輩たちの優勝を見届けたスティーブン・ジェラードは、自らの後任主将であるジョーダン・ヘンダーソンに、「CL優勝チームの主将になると、世間の目が一変するからね」と、アドバイスを与えたという。

    そして、ジェラードの言葉が真相だったことが判明するまでに時間はかからなかった。

    2019-20季の開幕と共に、ヘンダーソンは全国メディアのチーム・オブ・ザ・ウィークの常連となり、対戦相手の監督や選手はもちろん、アナリストも「好調なLiverpoolの中枢」と、称賛を重ねた。ライバル・ファンも、Liverpoolに対するやっかみを込めて、「本来は我がチームのケビン・デ・ブルイネがプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝くべきだが、この賞は例年Liverpool限定なので、ヘンダーソンが取るだろう」などとため息をついた。

    「世間の目が変わった」と、Liverpoolファンは苦笑した。「ハイライト番組を見ているだけのファンにはヘンドの真価は分からないのは仕方ないことだ。ハイライト番組では、得点チャンスしか映さないから、ゴールやアシスト、およびセンターバックの決定的なブロックやGKのスーパーセーブだけが脚光を浴びる。でも、相手からボールを奪って攻撃に繋げる、いわゆる『ダーティー・ワーク』を黙々とこなす選手は目立たない。ヘンドの場合は、それに加えてオーバーラップするフルバックをカバーする守りも果敢にこなしているので、文字通り『Liverpoolの中枢』の役割を果たしている。CL優勝を契機に、世間がやっとその真価に気づいた」。

    世間の反応の変化の中で、2011年夏にヘンダーソンをサンダーランドから獲得した時の移籍担当責任者だったデミアン・コモリが、「FSGから予算は£15mまでと言われていた。しかしサンダーランドからは£16mを要求されて、迷った時に聞いた話が予算オーバーの移籍を決定した」と、当時の逸話を明かした。

    それは、ダービー(対ニューカッスル)の試合で、ヘンダーソンがフリーキックをスタンドに蹴り入れてしまい、ニューカッスル・ファンから一斉に嘲笑を浴びた、というものだった。その翌週のトレーニングで、ヘンダーソンはフリーキックの特訓を続け、300本を超えたところで「これ以上やると怪我をするから」と、コーチが無理やり止めさせた、ということだった。

    「この選手は絶対に大物になる、と確信した。この向上意欲は、勝者の本能だ」。

    かくして、ヘンダーソンをサンダーランドからLiverpoolに引き抜いた勝者の本能は、2019年CL優勝という業績をもたらした。そして、「世間の目が変わった」今も、ヘンダーソンの向上意欲は留まるところを知らなかった。

    「前年のCL決勝戦(対レアルマドリード、試合結果は3-1でLiverpoolは敗戦)と、2018-19季のリーグ(※最終日に1ポイント差でマンチェスターシティを抜けずに2位で終わる)、その前2016年のEL決勝戦(対セビーリャ、試合結果は3-1でLiverpoolは敗戦)とリーグカップ決勝(対マンチェスターシティ、試合結果は1-1、PK戦でLiverpoolは敗戦)と、我々は共に辛い敗戦を味わった。それが機動力となって昨季のCL優勝を達成した」と、ヘンダーソンは、ロックダウン中のBTスポーツのインタビューで語った。

    「我々は常に、失意を跳ね返すべく前向きに進んできたし、これからも向上し続ける」。


    夢の裏

    シーズンが中断し、生の試合がなくなったことで、BTスポーツが5月7日に「アンフィールドのミラクル」と題して、1年前のCL準決勝のバルセロナ戦を放送した(試合結果は4-0、通算4-3でLiverpoolが勝ち抜き)。様々な話題を呼んだこの試合は、決勝ゴールのディボック・オリジはLiverpoolファンの間でカルト・ヒーローとしての地位を固め、アシストのコーナーを蹴ったトレント・アレクサンダー・アーノルドはイングランド中のフットボール・ファンとアナリストに強烈な印象を植え付けた。

    その1周年放送が再び世間の話題に上る中、Liverpoolのユニフォーム一式を管理する責任者(キット・マネジャー)であるリー・ラトクリフは、「トレントが、66番の背番号を付けてあのコーナーを蹴った姿を見て、複雑な感情を抱いた」と、静かに語った。

    トレントが2016年夏に、ユルゲン・クロップのファーストチームのトレーニング・グラウンドに召集され、プリシーズンの試合に出るようになった時に、トレントに66番の背番号を渡したのがラトクリフだった。

    「アカデミーチームから上がってきたばかりの若手には、必ず大きい数字の背番号を渡すことにしている。まだ経験が少ない若手が、いきなり小さい数字の背番号をもらえば、へんなうぬぼれを抱く危険性があるから。トレントの場合も同じで、その時に空いていた大きな背番号を渡した」と、ラトクリフは振り返った。

    「通常は、それら若手がファーストチームに常駐するようになって翌年くらいに、小さい数字の背番号を下さいと言って来る。それが、トレントはいつまでたっても来ない。2年連続CL決勝でスタートした最年少記録を作り、ヨーロピアン・チャンピオンになったトレントが、66番の背番号を当たり前のように着ているのを見て、何とも言えない気持ちになる」と、ラトクリフは苦笑した。

    折しも、ユルゲン・クロップが、BBCスポーツのインタビューで「リバプールの監督になってからのベスト・サインは誰?」と聞かれて、トレントの名を上げたばかりのことだった。

    「移籍金を払って他のクラブから獲得したのではなく、アカデミーチームのコーチが連れてきた選手がトレントだった。2016年のプリシーズンのトレーニングで、初めてトレントを見た時、『わーお!』と感じた」と、クロップは輝く笑顔で語った。

    「その時のトレントの唯一の問題は、まだ体が出来ていない子どもだったこと。それ以外は何もかも持っていた」。

    そしてトレントは、そのシーズン2017年1月に、負傷のためアウェイのマンチェスターユナイテッド戦でプレミアリーグ・デビューを飾った(試合結果は1-1)。その翌シーズンのビッグ・マッチで(試合結果は2-1でマンチェスターユナイテッドの勝利)、トレントは相手マーカス・ラッシュフォードに1対1で抜かれて失点を食らう窮地を味わった。

    「あれは私のミス。トレントがラッシュフォードに抜かれたのは、私がそのようなケースの対処を教えなかったのが悪かった。世間があの試合を見て『ライトバックの補強が必要』などと叫んだのは全く不当な話だった。そしてトレントは、周囲の雑音を吹き飛ばす強い意志で、急成長し続けて、数か月後にはラッシュフォードと一緒にイングランド代表チームでプレイするようになった」と、クロップは目を細めた。

    トレントよりまる1歳上のラッシュフォードは、ほぼ1年先に地元のクラブであるマンチェスターユナイテッドのアカデミーチームからファーストチームに昇格した。プレミアリーグ・デビューを飾った2016年には39番の背番号だったラッシュフォードは、翌季に19番に格上げされ、現在は10番を着けていた。

    「いまだに66番の背番号で試合に出るトレントを見ていると、その『66番』に新たしい価値が生み出されたような気がする」と、キット・マネジャーのラトクリフは頷いた。

    マージーサイドでは、「66番」のトレントの名入りのシャツを着てボールを蹴る少年たちの姿が至る所で見られるようになった。

    そして、そのトレントの短期間の出世街道を描いたドキュメンタリー「夢の裏」が、4月下旬に放映された。リバプール市出身のタレントがナレーター役となり、トレントに同伴してカークビーのアカデミーチームのトレーニング・グラウンドを訪れるという演出だった。

    アカデミーチーム出身でクラブのレジェンドとなったスティーブン・ジェラードとジェイミー・キャラガーの写真の前で立ち止まり、トレントは自分がこのグラウンドに通っていた数年前を振り返った。

    「僕は、子供の頃にジェラードやキャラガーを見て、自分も彼らのようになる、と誓った。それは、アカデミーチームのスカウサーの少年たちにとって共通の夢だった」。

    そう言ったトレントは、その隣に新た加わった、CL優勝杯を掲げる自分の写真を見て言葉を失った。

    「知らなかった。アカデミーチームのグラウンドに自分の写真が飾られるなんて、本当に夢の実現だ」と、つぶやいたトレントは、その写真で自分が66番の背番号を着けていることなどどうでも良いとばかりに、目を輝かせた。

    「このクラブですべての優勝杯を取りたい。人々からレジェンドと言われる選手になりたい」。

    マイクル・ロビンソン You'll Never Walk Alone

    4月27日、マイクル・ロビンソンが1年半の闘いの末に悪性黒色腫で亡くなったというニュースが伝わった。Liverpoolが黄金時代の真っただ中にあり、リーグ、ヨーロピアン・カップ、リーグカップの3冠を達成した1983-84季にLiverpoolの選手だった。Liverpoolファンの間で「ローマでローマに勝った」という呼称で語られ続けている、通算4回目のヨーロピアン・カップ優勝だった(試合結果は1-1、PK戦4-2)。

    ヨーロピアン・カップ優勝メダルを保持する歴代選手は、全員がクラブ史上に残るヒーローだ。1989年にスペインのオサスナで現役引退し、そのままスペインに住み着いてアナリストとして大成功を収めたロビンソンは、英国メディアの目が届かないところに行ってしまったことで、リバプール・エコー紙にとっては、そこで終止符を打つ選手だった。

    並行して、スペインでは追悼メッセージが怒涛のように寄せられた。イケル・カシージャス、セルヒオ・ラモス、サビ・アロンソ、セスク・ファブレガスらフットボール界のスーパースターはもちろん、フットボール・ファンとして有名なテニスのラファ・ナダルも、心から悲しむメッセージを捧げた。

    1990年代から2000年代にかけて、スペインリーグの解説者として第一人者という地位を築いたロビンソンは、スペインの圧倒的多数のフットボール・ファンが「大好きなアナリスト」として名を上げる人だった。「解説者としての分析が鋭いだけでなく、独特なユーモアで笑わせてくれる」と、誰もがロビンソンの解説を楽しんだ。

    その当時のLiverpoolファンは、ロビンソンがスペインでアナリストとして活躍していることを純粋に喜ぶと同時に、Liverpoolの選手だった頃のロビンソンを振り返った。「1983年夏にLiverpoolがロビンソンを獲得した時のことをよーく覚えている。なんで取ったのだろう?とみんな驚いた」と、あるファンが語った。

    「1シーズンだけで去って行ったロビンソンは、予想を大きく覆したという程ではないが、『ローマでローマに勝った』チームの一員として、それなりに貢献してくれた」。

    ロビンソンの訃報に際して、そのシーズンに共に働いた一人であり、イングランドでアナリストとして活躍しているマーク・ローレンソンが追悼を語った。「彼の素晴らしい人格の一つが、選手としての自分の限界を認識していたことだった」。

    スペインでは、1981年のヨーロピアン・カップ決勝でレアルマドリードを1-0と破って以来、特に、Liverpoolは超名門クラブとして見上げられていた。しかし、ロビンソンは、「元Liverpool」の経歴を売り物にすることなく、自らの仕事で人気アナリストとしての地位を勝ち取った。

    それでも、ロビンソンの心の中には常にLiverpoolがあった。

    2018年5月、CL決勝戦のレアルマドリード対Liverpoolを控えて、AS紙がロビンソンの独占インタビューを掲載した。「ユルゲン・クロップはLiverpoolにアイデンティティを据え付けた。今のLiverpoolは、これから長年にわたって成功するための土台を持つチーム」と、ロビンソンはアナリストとしての見解を語った。

    そしてインタビューは、「ローマでローマに勝った」1984年ヨーロピアン・カップ決勝のPK戦のエピソードから、ロビンソンのLiverpoolに対する思いまで多岐にわたった。

    「私がLiverpoolにいた時には、チームバスに乗ると真っ先に『スーパーサブの席』を探した」と、ロビンソンは、自分の選手としての限界を率直に、かつユーモアを込めて語った。

    「Liverpoolがスペシャルである理由は何?」という質問に、ロビンソンは「スピリット、マジック、そして、スペシャルなアンフィールドがLiverpoolをスペシャルなクラブにしている」と答えた。

    近隣都市のブラックプールで少年時代を送っていた時に、お父さんに連れられて初めてアンフィールドに行き、コップに立った時の思い出を語った。「まだ子供で背が低かったので、試合を見るのに苦戦した」と、ロビンソンは笑った。以来、毎試合コップに通うようになったという。

    選手としてアンフィールドに立った時の思い出を問われて、ロビンソンはまたしても、持ち前のユーモア精神を発揮した。「私が初めてアンフィールドのピッチに立ったのは、他のチームの選手としてだった。トンネルの『This Is Anfied』を通ってピッチに出た時に、コップの大音量を聞いて、いったい何点取られるのかと萎縮させられた。『早く試合が終わりますように』と心の中で祈った」。

    「初めてLiverpoolの選手としてアンフィールドのピッチに立った時のことは忘れられない。試合前にジョー・フェーガンが言った。『このファンは君たちを熱烈に支持していることを忘れてはいけない。このファンにとって、君たちが唯一の誇りなのだ。ファンが君たちを思ってくれてるのと同じくらい、君たちはファンのことを思いなさい』と」。

    AS紙は、ロビンソンの訃報をトップ記事で伝えた。「マイクル・ロビンソン You'll Never Walk Alone」という見出しだった。

    新たな「古き良き時代」へ

    プレミアリーグが中断して、フットボールなしの日々が続く中、ファンの間の話題は、必然的に、過去の名勝負の思い出話が中心となっている。そして少なくない人が、今季これまでの全試合を振り返って、あと2勝まで上り詰める興奮を味わいつつシーズン再開を待っている。

    その例に従って、今季プレミアリーグに復帰したばかりのノリッジをホームに迎えた開幕初戦(試合結果は4-1でLiverpoolの勝利)を再生すると、最初にアンフィールドでノリッジ戦を見た時の記憶がよみがえってきた。1994年4月30日のことで、Liverpoolファンの間では「コップ最後の試合」として折に付け話題になる試合だった。

    その翌週が1993-94季の最終戦だったが、Liverpoolはアウェイだったためノリッジ戦がコップ最終の試合となった。それは、テイラー・レポート(※)によりイングランドの上位2部リーグからテラスが撤廃され、全座席化が義務付けられたための措置だった。
    ※テイラー・レポート:ヒルズバラ悲劇の初公判で、事件現場となったテラスのスタンドがファンの安全性を確保できない構造だったという調査結果に基づき、全座席化を義務付けた判決。

    最初に全座席化したのは1992年のマンチェスターユナイテッド(オールド・トラッフォードのストレトフォード・エンド・スタンド)とアーセナル(ハイバリーのノース・バンク・スタンド)で、その2年後にアストンビラ(ビラ・パークのホルト・エンド・スタンド)と同時にアンフィールドのスパイオン・コップ・スタンドが続いた。

    テラスとは、現在のスタンドから座席を取り外したような形状で、段状のコンクリートの上にファンが立ち並ぶ。隙間なしに立てばより多くのファンが入れるため、正確な収容人数は算出できず、アンフィールドの最多入場記録は61,905人だった(1952年のウルブス戦)。コップが全座席化した後(2016年のメイン・スタンドの大改築前)の収容人数が45,362人だったことを考えると、その混雑状態は想像しがたい。

    立ち席なので、身長が高くない人は視界が遮られるし、試合の間ずっと立ちっぱなしということもあり、コップに立つ人は、体が大きくて体力がある就労年齢の男性が中心だった。家族連れや体力的に厳しい人々はメイン・スタンドなど椅子席のスタンドに入る。また、体が出来ていない年齢の子供たちは「ボーイズ・ペン」という子ども用のスタンドに入り、コップ・スタンドに立つことが「一人前になる」ステップだったという。

    コップは、テラスの一般的なデメリットを持ちながらも、子供たちが目標にするような、特殊な場所だった。

    Liverpoolのクラブ史上で有名な「コップがボールをゴールに吸い込む」現象は、毎試合同じ場所で肩をすり合わせて立つ中で連帯意識ができたファンが、文字通り力を合わせて全力でチームを応援するところから派生したものだった。他のスタンドのファンは基本的に「ゆったり座って試合を見る」人々が中心で、コップが指揮者役になってチームを応援し、対岸のアウェイ・サポーターとジョークを交わし、ユーモアたっぷりのチャントで他スタンドのファンに笑いを与え、時には他スタンドのファンも合流できるように歌を歌ったという。

    かくして、1905年から89年に渡って様々な思い出が蓄積されたコップが、1994年のノリッジ戦で最後を迎えた。

    試合前に、ノリッジ監督のジョン・ディーハンは「コップに敬意を表して、トスに勝っても後半のコップ側の攻撃はLiverpoolに譲る」と宣言した。「ただし、それ以外の譲歩はしない」と付け加えることも忘れなかった。

    そして、ノリッジの選手たちはディーハンの言葉を忠実に守り、1-0と勝って「コップ最後の試合」を締めくくった。

    そのシーズンは、最終順位でLiverpoolは8位、ノリッジは12位と、いわゆる「何も賭けていないチーム同士の対戦」だった。もちろん、いかなる状況であっても「勝敗はどうでも良い」試合はあり得ない。ただ、この日の主役は間違いなくコップだった。

    唯一のゴールは、35分にノリッジのジェレミー・ゴスがコップの前で決めた。相手チームのボールを「ゴールに吸い込んだ」コップは、一瞬の間を置いて、ゴスに暖かい拍手を送った。そして、Liverpoolへの応援をさらに強めた。

    ファイナル・ホイッスルの後で、全員揃ってコップの前に行き、挨拶をしたノリッジの選手たちに対して、コップは「ノリッジ、ノリッジ」と、大音量のチャントを返した。

    1969年に、リーズがアンフィールドで2位のLiverpoolに0-0と引き分けて優勝を決めた時に、監督ドン・レビーの指示でコップの前に行き、優勝杯を掲げたリーズの選手たちに対して、コップが「チャンピオン、チャンピオン」とチャントして優勝を祝ったエピソードは有名だった。「コップは最高のスポーツマンシップを持ったファン」と、後日レビーがお礼の手紙をLiverpoolに宛てたという結末だった。

    「コップ最後の試合」は、そのような様々な逸話を彷彿させるものだった。

    1991年に、ヒルズバラ悲劇の苦悩と過労によるストレスのためケニー・ダルグリーシュが辞任し、後任監督としてレンジャーズから引き抜いたグレアム・スーネスが、3年弱の在任期間中にピッチ内外の過ちでチームは急降下した。降格ゾーンにも入るどん底まで落ちた後で、再建を目指して1994年1月にビル・シャンクリーのブート・ルームの一員だったロイ・エバンスが監督に就任したが、暗黒の時代は続いた。

    並行して、「コップがボールをゴールに吸い込む」現象も低迷した原因として「椅子席では隣のファンとの距離があるし、座っていると声に力が入らないから」という意見が飛び交った。

    そのような時期を経て、2019年8月にノリッジを迎えたアンフィールドは、「コップ最後の試合」で閉じた「古き良き時代」を引き継いで、新たな章を開始した。

    最後のメモリアルサービス

    昇格シーズンながら、来季のEL出場権を争う程の好成績を上げているシェフィールドユナイテッドは、今季プレミアリーグの注目チームになっている。必然的に話題に上がることが多いシェフィールドユナイテッドを「シェフィールド」と、しかもイングランド外の複数の国籍の人が表現するのを聞き、面食らったことがあった。それは、例えばマンチェスターユナイテッドを「マンチェスター」と呼ぶに等しいかもしれないが、Liverpoolファンの口から聞いた時には、戸惑いを感じた。

    シェフィールドには、ウェンズディとユナイテッドの2つのビッグ・クラブがあり、市の主要産業(製鉄)から、両チームの対戦は「スティール・シティ・ダービー(※製鉄の市のダービー)」と呼ばれている。ただ、プレミアリーグでの最後のダービーは1993-94季で、ウェンズディが2000年に降格してからは、シェフィールド市はプレミアリーグの地図から姿を消した。

    かくして、Liverpoolファンが、年1回ヒルズバラ・スタジアム(※シェフィールドウェンズディのホーム・スタジアム)に行く必要はなくなった。

    FAカップ準決勝は、今でこそ、ウェンブリー・スタジアムの改造費を回収する目的で、毎年固定でウェンブリーで行われているが、それまでは伝統的に、対戦チームの中間地点にある1部リーグのクラブのホーム・スタジアムを「ニュートラルなスタジアム」として決めていた。そして、準決勝が2年連続で同じ顔合わせとなった1989年のノッティンガムフォレスト対Liverpoolは、前年と同じく、当時1部リーグにいたシェフィールドウェンズディのホームであるヒルズバラ・スタジアムで行われることになった。

    そして、96人のLiverpoolファンが、二度と帰ぬ人になった。

    Liverpoolが最後にリーグ優勝した1989-90季は、シーズンを通して僅か5敗だった、そのうちの1敗は、11月のアウェイでのシェフィールドウェンズディ戦だった(試合結果は2-0)。私がそのシーズンにアンフィールドで見た試合の一つが12月のシェフィールドウェンズディ戦で(試合結果は2-1でLiverpoolの勝利)、その時に、11月のアウェイの試合の話を聞いた。悲劇から7か月しか経っていなかった時点で、その悲劇の現場に行くことはできないと、本来はチームの応援のために全国を駆けまわる忠誠なファンの大多数が断念したという。

    悲劇の時とほぼ同じ顔ぶれだったチーム一行も、ファン同様に、ヒルズバラ・スタジアムのピッチの上では、試合に集中することが出来なかったことは、想像に難くなかった。

    そのシーズンは、まだシャンクリーゲート横にはヒルズバラ記念碑はなかった。その時点では、後に96人目となるトニー・ブラントは、意識を取り戻す見込みは殆どないと言われながら、病院で生命維持装置を付けていた(※1993年3月に装置が取り外された)。

    月日は流れ、ヒルズバラ悲劇はイングランドのフットボール界に様々な改革をもたらした。スタンドとピッチを隔離するフェンスが撤去され、1994年にはプレミアリーグと2部リーグの全スタジアムで、テラスと呼ばれる立ち席が廃止され、全座席化した。

    その間、シェフィールドウェンズディFCもヒルズバラ・スタジアムを改築し、悲劇の現場となった「ペン」(区画)は撤廃された。

    それでも、Liverpoolファンの間では、今でもカップ戦でアウェイでシェフィールドウェンズディと対戦することに抵抗を感じると言う人は少なくない。

    毎年4月15日に、1989年の悲劇を偲ぶメモリアルサービスが行われてきた。アンフィールドのスタンドに詰めかけたファンと歴代選手コーチが、遺族や生存者と共に96人を追悼するものだった。2016年には遺族グループの意向により、アンフィールドでの開催ではなく、市の大聖堂で関係者だけが出席するメモリアルサービスとなった。ただし、30周年にあたる2019年は、アンフィールドで最後のメモリアルサービスを行うことになっていた。

    しかし、2019年4月15日にはヒルズバラ悲劇の刑事裁判が行われていたため、法的な理由によりアンフィールドでの開催は断念せざるを得なくなり、1年後に延期された。

    2020年11月に判決が下り、裁判が終わったため、2020年4月15日の31周年には、アンフィールドでの最後のメモリアルサービスが行われることになった。それが今回のコロナウィルス危機のため、延期となった。

    最後のアンフィールドでのメモリアルサービスが、このような形で延期となることに対して、「少しでも多くの人に出席して欲しいから、安全が確保されるまで待つことに異論はない」と、正義を求めて30年近くもの間戦い続けた、遺族グループの代表であるマーガレット・アスピナルは前向きだった。

    Liverpoolファンにとって4月15日のメモリアルサービスは、1989年の悲劇の時の苦悩を思い浮かべ、影響を受けた人々と共に96人を偲ぶ場だった。それは、不慮の事態で延期となった今年も、アンフィールドでの最後のメモリアルサービスが行われた後も、永遠に変わらない。


    勝ち目がない戦い

    3月13日にシーズン中断に入って3週間余り経った4月3日に、プレミアリーグの全クラブのトップ会談(緊急TVミーティング)が行われ、中断期間の延期が決定された。その間のコロナウィルス危機悪化状況から、「安全が確保されるまで中断」は意義を挟む余地がないもので、物議をかもしたのは、同時に発表された財政的な決議だった。各クラブは選手の給料を、当面は30%減額し、状況により再調整することと、プレミアリーグとして医療機関(NHS)に£20m、下位リーグに£125mの助成金を出すという議事が、直後に発表されたプロ選手協会(PFA)の反発を呼んだのだった。

    この一連の動きは、その前日に、厚生労働大臣マット・ハンコックが「プレミアリーグの選手たちは、自主的に給料を減額してクラブの財政を援助すべき」と批判したことで、プレミアリーグが対策を立てたもので、PFAの反論は「30%減額で総額£500mとなり、結果的に税収が£200m減額することになる。NHSに£20mしか助成金を出さないのは少な過ぎる」というものだった。

    厚生労働大臣の言葉で世間の目が「プレミアリーグの選手たち」に集まっていたところで、今回の議論は、「フットボール界は内部分裂している」と、世間の目に映った。

    更に、そのゴタゴタの中で、Liverpoolが一般スタッフの給料を支払うために政府の補助金を利用するという決定を公表したことで、英国中が大騒動となった。Liverpoolファンや元選手から「FSGのオウン・ゴール」と批判が出る中、世間の非難は「減給を拒否する億万長者の選手たち」に集中した。

    BBCの一般ニュースで、財政の専門家が登場し、「大富豪のLiverpool」を始めプレミアリーグの5クラブが政府の補助金を利用する意向について、「億万長者の選手たちが減給を拒否していることが原因」と語った。「減給は税収の減額につながるからとPFAは説明していますが?」とのBBCの質問に、財政の専門家は皮肉な笑いを浮かべた。「億万長者の選手たちは、どのみち合法的な脱税をやっているくせに」。

    かくして、少年たちの憧れのヒーローだったプレミアリーグの選手たちが一転して諸悪の根源となった状況について、翌4月5日のタイムズ紙の論説で、ウエイン・ルーニー(現ダービー・カウンティのプレイヤー・コーチ)が「プレミアリーグの選手たちに勝ち目はない」と書いた。

    「正直、フットボーラーは多額の給料を貰っていると思うし、今このような状況下で、財政面で貢献すべきと感じてる選手は多い。しかし、厚生労働大臣が、他のスポーツ界の金持ちのプロの中には税金を逃れるためにモナコに住んでいる人もいることは不問にし、最も標的にしやすいフットボール界を指させば、我々は壁に突き付けられたような感触になっている」。

    「個々人で事情は異なるので、各クラブが選手と直接話をして減給の額を決めるべきだと思う。30%よりも多く減額できる選手もいるし、5%が限界という人もいるだろう。そこで差が出ることに不満を言う選手はいないと思う」。

    プレミアリーグの選手の平均年収は£3.5m(※日本円で5億円超)で、一般的な会社員の平均年収の50倍超だ。平たく言うと、プレミアリーグで1年間勤めれば、普通の職業の人が定年まで働き続けて得られる収入を上回る。ただし、これはあくまで平均であり、ビッグ・クラブの超スター選手は平均の5倍以上貰っている分、平均を大きく下回る選手もいる。

    更に、育った環境により給料の使途も様々だ。2017年に、中国のクラブでトレーニング中に急病で倒れて亡くなったシェイク・ティオテは、コートジボワールの貧しいご家庭で育ち、プロのフットボーラーとして多額の給料を貰えるようになってからは、自分の家族(奥さんとお子さん、親兄弟)だけでなく、叔父さん、叔母さん、従妹を含む全親族を財政的に支えていたという。ルーニーが言う、「個々人で事情は異なる」とは文字通りのものだった。

    「NHSに£20mというのは、太平洋に一滴注ぐようなものだ。プレミアリーグはもっと多額の援助が出来るはずだ」と、ルーニーは続けた。「しかも、ジョーダン・ヘンダーソンが提唱して、各クラブの主将たちが協力して自分たちがやるべきことを進めていた時に、プレミアリーグが不適切な動きをしたために、世間の批判の向き先は選手に集中した。我々選手たちに勝ち目はない」。

    ヘンダーソンが発起人となって、全20クラブの主将が合同でNHSに寄付する計画については、厚生労働大臣が「減給を拒否する億万長者の選手たち」を批判した直後に、トットナムのダニー・ローズ(現ニューカッスルにローン中)が明かしたことだった。

    そして、ウルブス主将のコナー・コーディが、「ジョーダン(ヘンダーソン)は2週間以上も前から計画を進めていた。本当に素晴らしいと思う」と、ローズの言葉を裏付けた。「僕自身も、今回のコロナウィルス危機の中で人命救助のために働いているNHSのスタッフを見て心から感謝していたし、他にも多くの選手が、財政的な援助をしたいと言っていた。それを、ジョーダンが全クラブの選手に働きかけて、みんなで協力して実現させるべく、行動に移した。全20クラブの主将と話をするのは時間がかかることだった」。

    Liverpool時代から友人だったコーディや、イングランド代表チームで顔見知りのハリー・マグアイア(マンチェスターユナイテッド主将)らが順次ヘンダーソンに合流し、多額の基金を集める計画を進めていたことは、「減給を拒否する億万長者の選手たち」を非難するニュースの中では一切言及されなかった。

    30年間の悲願

    世界がパンデミックに苦しむ中、プレミアリーグも他の人気スポーツと同様に、シーズン中断措置を取ることになった。これに対して、「人々の健康が最優先。中断措置は正しい」という点については誰もが一致している。ただ、事態が正常化した後の方策に関しては、無数にある選択肢のうちどれを取るべきかという意見は様々だった。

    それは、中断期間が恐らくは6月以降まで続くだろうこと、そのため、中断中の2019-20季とその結果を受けて開始するはずの2020-21季の、両シーズンともに全日程を通すことは無理だろうとは、現状を見れば誰の目にも明らかだからだった。

    では、どちらを取るべきか?

    今シーズンをなかったことにし、2018-19季の最終順位から2020-21季をスタートすべきという声が出る中で、プレミアリーグ20クラブは、緊急会議で「2019-20季はいつまでかかっても完了する」という決議を下した。

    それについて意見を問われて、ワトフォード主将のトロイ・ディーニーとウェイン・ルーニーが、「今季が無効となれば、これまで素晴らしいシーズンを送っているLiverpoolに対してあまりにも不条理だから」と、プレミアリーグの決定に対する支持を表明した。

    「30年間待った末にやっと優勝が実現するという時に、このような形でそれを否定されるのはあんまりだ」と、ルーニーが付け加えた言葉を聞いて、長年の末にやっと優勝の喜びを味わった事例として、1993年のマンチェスターユナイテッドの、26年ぶりの優勝シーンが浮かんだ。

    TVカメラがスタンドのファンを映し、実況アナウンサーが「26年間この日を待ち続けたファンです」と言った時、胸が熱くなる思いがした。ライバル・チームの優勝を「嬉しい」と言うのは語弊があるし、長くても在籍10年そこそこの選手やコーチ陣に特別な感情は抱けなかったが、スタンドにいる人々に対しては心から敬意を抱いた。この人たちは、1966年の最後の優勝から、1974-75年の降格時期も含めて、26年間ずっと、雨の日も風の日もチームの応援に駆け付けたのだ、と。

    その時には、Liverpoolは僅か3年前の1990年4月に、比較的余裕を持って優勝を決めたばかりだった。もちろん優勝は嬉しかったが、感涙を浮かべるとか大げさな喜びを感じる必要性など微塵も感じなかった。

    それから27年経った今、逆側にいるルーニーから同じ言葉を聞くことになるとは、その時には夢にも思わなかった。

    そして2019-20季、27試合を消化した時点で26勝1分と、2位のマンチェスターシティの選手やファンを始め、誰もが「Liverpoolの優勝は間違いない」という前提で、「2003-04季のアーセナルのインビンシブルに並ぶか?」、「1998-99季のマンチェスターユナイテッドの3冠(リーグ、FAカップ、CL)に並ぶか?」、「2017–18季のマンチェスターシティのセンチュリアン(※100ポイント)を凌駕するか?」という予測が飛び交い続けた。

    それに対して、30年間待ち続けているLiverpoolファンの思いは一致していた。「30年間の悲願であるリーグ優勝を達成すること(それ以外の記録はボーナス)」。だから、ワトフォードに3-0と破れて「インビンシブル」が無になり、FAカップ敗退にCL敗退が続いて「3冠」も無くなった時にも、Liverpoolファンの「30年間の悲願達成」を目指す誇りと意気込みに、揺らぎはなかった。

    今回のプレミアリーグの決議を受けて、「これまで30年間待ち続けているのだから、あと数か月待つのは全く問題ない」と語ったロイ・エバンスの言葉は、まさにそれらファンの気持ちを代弁していた。

    ビル・シャンクリー、ボブ・ペイズリー時代のブートルームの一員で、1994-98年には監督としてチーム再建の土台を作ったエバンスは、「トップに上り詰めるまでには時間がかかるが、30秒で墜落することもあり得るということを、我々は30年前に経験した。そして、ユルゲン・クロップが築き上げた今のチームは、これからトップに居続けるものを持っている」と続けた。

    「プレミアリーグ優勝を達成することが出来たら、私にとっても、そして30年間待ち続けているファンにとっても、本当の悲願の実現になる」。

    2人の主将

    3月7日の週末の試合(対アーセナル)を控えて、ウエストハム主将のマーク・ノーブルが、地元紙ロンドン・イブニング・スタンダードのインタビューで、ファンに「お願い」を唱えた。オーナーの悪政に堪忍袋の緒が切れたウエストハム・ファンが、試合中にチャントやポスターで抗議を続けている状況は有名だが、それに対して、ファンから絶対的に支持されている「ミスター・ウエストハム」が、「チームを応援して欲しい」と訴えたのだった。

    「アンフィールドでの試合では、我々がリードしていた時に、スタンドのLiverpoolファンが凄い音量でチームを助けた。あの声援に、我々は圧倒させられた(試合結果は3-2でLiverpoolの勝利)」と、ノーブルは締めくくった。

    Liverpoolが、2月18日のCL(対アトレチコマドリード、試合結果は1-0でアトレチコの勝利)を皮切りに、ウエストハム戦を含む4試合で3敗と苦戦を続けた時に、全国メディアや中立のアナリストは、「調子という点では、唯一勝ったウエストハム戦も、内容的には負け試合だった。スタンドのファンが援護射撃して運(相手GKのミス)を呼んだ」と、Liverpoolの不調ぶりを指摘した。

    そして、直近の4試合中アウェイの3戦で全敗していたLiverpoolは、3月7日にアンフィールドでボーンマスを2-1と破り、連敗に歯止めをかけた。この勝利でアンフィールドでのプレミアリーグ連勝数は22となり、ビル・シャンクリー(1972年)の21を抜いてイングランド・フットボール史上最多となった。

    世間の事前予測は、「残留争い中で主力の負傷に苦しむボーンマスをアンフィールドに迎えて、Liverpool勝利以外の結果は考えられない」というものだった。

    しかし、「アンフィールドだから勝てる」という楽観説には惑わされず、選手たちに「勝つために全力投入」を促し、自ら失点を食い止める働きでチームをリードしたのが、ジェームズ・ミルナーだった。

    BTスポーツのハイライト番組は、マン・オブ・ザ・マッチに輝いたミルナーの動きをあらゆる角度から分析した。特に注目を集めたのは、たまたまBTスポーツのTVカメラに収録されていた、試合前のウォームアップの様子だった。ストレッチングしながら、ミルナーは選手たちに向かって宣告した。

    「ボールを奪われたら、直ちに奪い返す。今日の試合ではいかなる場面でも最速のペースで瞬時に動く。得点経過がどうあれ変らない。相手が得点すれば、我々も得点する。いかなることも気合を高めるきっかけだと思え」。ミルナーの言葉に、選手たちは真剣な表情で耳を傾けていた。

    この録画の後で、同番組のレギュラー解説者であるリオ・ファーディナンドが、真剣な表情で言った。「CLやプレミアリーグで優勝するような高いレベルのチームには、ミルナーのような存在は必須だ。ユルゲン・クロップは、ミルナーの後任となる選手をどうやって探そうかと頭を悩ませることになるだろう」。

    番組を見ていたLiverpoolファンは、「ミルナーが契約延長してくれて良かったと、改めて思った」と、ファーディナンドの言葉に深く頷いた。ミルナーが、これまで在籍したどのクラブよりもLiverpoolでの試合数および得点数が多くなったことは、ファンの間では折に付け話題になっていた。

    「誰の目にもマン・オブ・ザ・マッチというパフォーマンスだけでなく、試合中にレフリーに『物申した』行動を見て、ここ4試合に主将と副主将を欠いていた大きな穴を再認識させられたところだった。ウォームアップの場面を見て、目が熱くなった」。

    地元紙リバプール・エコーは、「4戦3敗の時に、『アウェイの要素』は誰もが口にしたが、不調の大きな原因は殆ど話題に上がらなかった」と指摘した。

    「この4試合で、主将のジョーダン・ヘンダーソンと副主将のジェームズ・ミルナーが二人揃って、殆ど出られなかったという事実は大きな不利となった。今のLiverpoolは、代表チーム主将や、前クラブで主将経験を持つ選手があふれている『リーダーのチーム』だが、それでも2人の主将の重要性は限りない」と、同紙は締めくくった。

    連敗を食い止めたボーンマス戦の試合後に、「今季のLiverpoolの勝ち数は通常ではない」と、ミルナーは語った。「優勝するチームでも、必ず負けることがある。僕自身は降格も経験しているから、どうやっても勝てないと感じることも知っている。試合に勝つということは本当に大変なことだ。全力を出し続けるしかない」。

    「今季のLiverpoolは異常なまでに勝ち続けているから、世間の目には『勝つことは簡単』と映る。それは間違いで、試合に出れば勝利を贈呈してもらえる、ということはあり得ない。自分たちが、勝つための仕事をしなければ勝利は得られない」。

    本来の目標に向かって

    2月29日、Liverpoolはアウェイでワトフォードに3-0と大敗して、プレミアリーグ18連勝、および今季無敗の記録をストップした。28試合目にして初敗戦のニュースは、必然的にヘッドラインを飾ったが、「この敗戦はLiverpoolの崩壊の突破口?」という疑問を挟む人はなかった。

    その翌日にリーグカップ決勝戦でアストンビラを2-1と破り、同カップ3連覇に輝いたマンチェスターシティの選手たちも例外ではなかった。試合後のインタビューで、Liverpoolの初敗戦についての感想を問われたオレクサンドル・ジンチェンコは、「Liverpool?みんな驚いたことは確かだ。でも正直、あまりにも差があり過ぎて、Liverpoolの勝敗を意識する余裕は我々にはない」と肩をすくめた。「我々の目標は、残されたトロフィーであるFAカップとCLを取ることだ」。

    その日、ウェンブリー・スタジアムでシティのリーグカップ優勝を見届けたノエル・ギャラガーが、BBCのインタビューで、「イスタンブールで、シティはLiverpoolを1-0と叩いて優勝する」と、CL決勝戦の「予測」を語った。

    「そして、優勝杯をスタジアムに置いて帰る」。

    これは、2月15日にイングランド・フットボール界に衝撃を投げかけた、財政フェアプレイ(FFP)違反による2年間CL出場停止処分が背景にあった。現在は、シティがUEFAの処分撤回を求めて争っている最中で、仲裁機関の判定を待っているところだった。その判決が今季中に降りて、シティが敗訴した場合は、たとえ今季優勝しても、来季はその優勝杯を守ることができなくなる。

    UEFAのFFPとは、「収入の範囲内でチーム編成する」原則を各クラブに義務付けたものだった。端的に言えば、UEFAの規定による「収入」合計から「支出」合計を差し引いた赤字額が、年間で一定額以内に抑えるという規則だった。

    収入とは、リーグやUEFAから支給される、成績に応じた賞金やTV放送料金、試合のチケット代やクラブのオフィシャル製品の売上金、そしてスポンサーからの収入という項目が該当する。つまり、リーグ順位やカップ戦で良い成績を上げれるチームは賞金が増え、スタジアムの収容人数が多いクラブは入場料収入が増え、ファンが多いクラブはオフィシャル製品の売り上げも増収源となる。多額のスポンサーを獲得する財政担当を持つことも重要だ。

    いっぽう支出の方は、移籍金のネット(選手獲得の支出から選手放出による収入を差し引いた額)、人件費(選手や監督コーチ陣に支払う給料)が主要項目で、近年はスーパースターを獲得するために給料の高額化に歯止めがかからない状況にあり、後者の方が圧倒的に大きな額になっている。昨2019-2020季の実績で、プレミアリーグで人件費が最も多かったのはマンチェスターユナイテッドで、年間の総額は£332mだった。

    ただし、一般の企業会計と異なり、FFPでは「支出」に計上されない支出項目がある。それは、スタジアムやトレーニンググラウンドの増改築などの設備投資と、アカデミーチーム経営にかかる費用全般(若手育成資金)だった。収入の方では、オーナーの懐から入る資金は、FFPでは「収入」として認められない。スポンサー収入も、オーナーの縁故企業だった場合にはFFP上は「収入」とされない。シティの「FFP違反」は、本来は除外対象の収入を「スポンサー収入」に計上し、赤字額をFFPの規定内に抑えて申告していた(容疑)というものだった。

    シティの処分が発表された時、圧倒的多数の中立のファンやアナリストが、「FFPの是非はさておき、規則は規則。各クラブはその規則を守るという前提でUEFA主催のCLやELに参戦しているのだから、違反した場合は締め出されても仕方ない」という反応だった。

    その原則に関しては、シティ・ファンも同意していた。ただ、本当にクラブが違反したのか?という疑問に対する答えは誰も持っていなかった。「優勝杯をスタジアムに置いて帰る」というノエルの発言は、ファンの苦悩を表現していた。

    Liverpoolの連勝記録をストップした試合の後で、ワトフォード主将のトロイ・ディーニーは、「我々の本来の目標が残留であることは変わらない。Liverpoolに勝ったからといって、獲得ポイントは3でしかない。残り試合で十分なポイントを取らなければ、この勝利は何の意味もなくなる。2か月後に振り返って、『降格してしまったが、Liverpoolを倒したのだから我々は立派だった』と胸を張るこはあり得ない」と、冷静に語った。

    「降格や倒産、出場停止の危機に直面しているファンに比べて、我々はなんと恵まれているかと改めて実感させてもらった。負けた悔しさを44試合ぶりに思い出したのだから」と、Liverpoolファンは笑顔で頷いた。

    「ずっと勝ち続けることはあり得ない。いつか負けるのだし、これだけの戦績を作っている選手たちは必ずこの敗戦から立ち直って、本来の目標に向かって突き進むだろう」。


    ボビーにボールを渡せば...

    2月24日、Liverpoolはアンフィールドで、苦戦の末にウエストハムを3-2と破り、2位との差を再び22ポイントに広げた。この勝利で連勝は18となり、マンチェスターシティが持つプレミアリーグの連勝記録に並んだ。今季のLiverpoolは様々な記録を塗り替え続けているが、同時に、不本意な記録も維持されることになった。それは、ロベルト・フィルミーノがまだアンフィールドでは無得点というものだった。

    「ボビーの貢献度は得点数では測れない」と、Liverpoolファンは、その「意外な」記録を一笑した。「ワールドクラスのストライカーは、誰もが『チャンスを得れば自分が決める』という本能を持っている。程度の問題はあるが、それはストライカーの特性。ただ、ボビーは違う。いかなる時でもチームメートが少しでも有利な位置にいたら絶対にパスを出す。ここまでチームプレイに徹底している選手は、希少で貴重な存在」と、誰もが心の底からフィルミーノを支持を唱えた。

    「ボビーの歌がすっかり定番になっているのもボビー人気の現れだ」と、笑顔を交わす中、あるファンが言った。「ただ、歌詞の『シー・セニュール、ボビーにボールを渡せば彼は得点する』は、本当は『ボビーにボールを渡せば誰か他の選手が得点する』、というのが真相だ」。

    フィルミーノの、そんな利他的でチームメートのために尽くす人格は、母国ブラジルでプロの道を歩み始める前からの資質だったことは、フィルミーノの才能を発掘した人物の証言からも明らかだった。

    15歳のフィルミーノを見染めたのは、地元のクラブ(クルーベ・ジ・レガタス・ブラジル)のメディカル・スタッフの一員(歯医者)だったマルケリヌス・ポルテラだった。どこからも声がかからなかったフィルミーノを、フィゲイレンセに売り込んだポルテラは、後にフィルミーノのエージェントとなり、4年後にホッフェンハイム入りを実現させた。かくして、貧しい家庭で育ち、ビーチでココナツを売って家計を助けていたフィルミーノは、ドイツ行きが決まった時には、「育ててくれたご家族に、豊かなヨーロッパでの生活を」と、家族ぐるみで移転したという。

    「フィルミーノは、コーチからぼろくそに怒られても常に前向きで、言われたところを直すために歯を食いしばって頑張る態度を持ち、常に周囲の人を思いやり、シャイな少年だった」と、ポルテラは語った。

    フィルミーノがブラジル代表チーム入りを果たした2014年10月に、元フィゲイレンセのアンダー17コーチだったエメルソン・マリアが、15歳の時の「シャイな少年だった」フィルミーノの実話を明かした。「ユース・チームにはたくさんの少年がいたので、私は全員の名前を覚えきれないことがあった」と、マリアが振り返った。「フィルミーノのことをアルベルトと呼び続けた。ある日、別のコーチから名前違いと言われたので、私はフィルミーノを呼んで質問した。『アルベルト、ちょっと来なさい』と叫ぶと、フィルミーノは走ってやって来た。『君の名前は?』と聞くと、『ロベルトです』と答えた。『わかった、ロベルト。もういいよ』というと、一礼して走って行った。本当にシャイな少年だった」。

    フィルミーノの「シャイ」さは、先月のプレミアリーグの中休み中に、アリソンが母国のメディアで語った証言にもあった。2018夏にローマから£66.8mでLiverpoolに入る際に、ブラジル代表チームで一緒だったフィルミーノが大きな助けになった、とアリソンは語った。「ボビーは、Liverpoolのクラブと地元のことを細かく教えてくれた。何もかも良いことばかりだ、と。実際に自分の目で見て、それが全て真相だとわかった」。

    「彼は僕よりシャイだから」と、アリソンは笑い、代表チームでもクラブでも先輩だったフィルミーノが、親身になって面倒見てくれた話を明かした。「ボビーと一緒のチームでプレイできるのは光栄だとしみじみ思う」。

    そんな中で、フィルミーノをヨーロッパで名が通る選手に育てた、当時ホッフェンハイムのディレクターだったエルンスト・タナーが語った話は、Liverpoolファンの間で、「ボールを渡せば誰か他の選手が得点する」能力と人柄でチームの中枢となっているフィルミーノの、重要性を更に裏付けるものだった。

    「フィルミーノを売り込むために、エージェント(ポルテラ)が、編集したビデオを送ってきた。再生すると、こんなに速いシュートはないだろう、と見え見えだった」と、タナーは微笑んだ。怪しげなビデオに加えて、メディカル・チェックの数字は異常な低さだったという。

    「クラブのスカウトは反対したが、私は本人の態度にほれ込んだので取ることに決めた。ひたむきで、努力を惜しまず、何があっても絶対に諦めない性格を、トレーニングで証明していた選手だったから」。かくして、2010年12月に£3.35mの移籍金でホッフェンハイム入りしたフィルミーノは、4年半で153試合49ゴールと、タナーの勇断を裏付けた。

    2015年に、£29mの移籍金でLiverpool行きが決まった時に、タナーは複雑な気持ちにかられたという。「これ程の選手を、わがクラブに引き留めるのは無理だと観念するレベルに到っていた。だから、Liverpoolから引っ張られて行くことが決まった時、我々は本人の今後の成功を祈って笑顔で送り出した」。

    「同時に、寂しさで泣ける思いがした」。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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