キング・ケニー・スタンド

    Liverpoolファンの歌と言うと、誰もがYou'll Never Walk Aloneを浮かべる。勿論、これはクラブ歌でもあり、外国ではアンフィールドを聖地と讃える背景でもある。ただ、特別な機会でない限り、You'll Never Walk Aloneは試合前と試合の終幕という、2回の定位置でのみ歌われるのに対して、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードは試合を通して歌われる。試合中に、苦境に陥ったチームを励ますために、あるいはアウェイの試合で、「我々はここから応援しているよ」と、存在感を強調するために、必ず出るスタンドの定番は、1979年の「フィールド・オブ・アテンリー」をアレンジして、Liverpoolファンがオリジナルの応援歌にした、フィールド・オブ・アンフィールド・ロードの2節目だ。

    All round the Fields of Anfield Road
    Where once we watched the King Kenny play (and could he play)
    Steve Heighway on the wing
    We had dreams and songs to sing
    Of the glory round the Fields of Anfield Road

    そのフィールド・オブ・アンフィールド・ロードの中で最初に出てくる名前である「キング・ケニー」は、70,80年代の黄金時代を作ったレジェンドであり、クラブ史上最も重要な人物の一人として、今でもファンから慕われ続けている。

    昨季終幕の5月に、Liverpool FCの創立125周年を記念して、センテナリー・スタンド(1992年以前はケムリン・ロード・スタンド)をケニー・ダルグリーシュ・スタンドと改名する計画が発表された時、誰もが一斉に大賛成を表明した。

    キング・ケニーが、母国スコットランドのセルチックから、クラブ記録の£440,000でLiverpool入りしたのは1977年のことだった。1985年からのプレイヤーマネジャー時代を通算して、515出場172得点、リーグ優勝8回、ヨーロピアン・カップ優勝3回、FAカップ2回、リーグカップ5回と、「キング」の名にふさわしい栄誉記録を作った。

    そして、キング・ケニーがファンの間で常に語られる背景には、ピッチの上での業績に加えて、クラブ史上最悪の悲劇に直面して、誠意を尽くして生存者や遺族の方々をサポートした、人間的な面があった。

    当時すでに大人だった、少なくとも物心がついていた年代層のファンにとって、キング・ケニーはLiverpool FCの神髄ともいえる存在だった。

    それだけに、2012年に、キング・ケニーが現オーナー下で「解任」という形で2度目の監督在任を打ち切られた時には、それらのファンに「アンチ・オーナー」意識を植え付けた程だった。その後2013年に、オーナーの意向により、非常勤役員としてキング・ケニーが復職した時にも、しこりは晴れなかった。

    そして、今回のスタンド改名は、それらファンの「アンチ・オーナー」意識を一気に軽減したのだった。

    ユルゲン・クロップが2015年にLiverpool監督に就任が決まった時に、最初にやったことが、ヒルズバラ悲劇のビデオを見て歴史を学ぶことだった、という逸話が、ドイツのジャーナリストから漏れ伝わった。これに対してLiverpoolファンは大きく頷いた。

    同じように、控えめながら力強いインパクトをファンに与えた自伝の中で、キング・ケニーが明かした。「あの試合では、私の息子もスタンドにいた。悲劇の発生を知ってから暫くして、無事に帰ってきた息子を見た時の安堵は決して忘れられない。その時に、私のような運に恵まれなかったご家族の方々の気持ちを思うと、心が引き裂かれる気がした」。

    その言葉の通り、キング・ケニーがヒルズバラ悲劇の生存者や遺族の方々のお見舞いに奔走したことは周知の通りだった。そして1991年2月、リーグ首位の時に、キング・ケニーはLiverpool監督を辞任した。本人は一言も語らなかったが、その原因がヒルズバラ悲劇の心労の蓄積であったことは、誰の目にも明らかだった。

    マージーサイドに居を構え、Liverpool FCを去ってからもヒルズバラ遺族グループのサポートを続けたキング・ケニーは、その後イングランド1部(現プレミアリーグ)の複数のクラブから監督として引き合いが来たという。その中の一つがシェフィールド・ウェンズディだった。「Liverpoolファンのことを考えると、ヒルズバラをホーム・スタジアムにしているクラブの監督になることはできないと思った」と、キング・ケニーは明かした。

    2016年4月、ヒルズバラ悲劇の判決が下った直後に、遺族グループから「27年間、闘争を支えてくれたキング・ケニーにナイトを(※サーの称号)」という主張が出たのも自然な動きだった。

    これに対して、ファンは一斉に同意の拍手を送った後で、笑顔で語りあった。「ただ、『サー』になっても、我々ファンの間では『キング』であり続けることは間違いない」。

    今回のスタンド改名に際して、キング・ケニーは、持ち前の控えめなコメントを出した。「私の一家は、外からやって来てここに住み着いたアダプテット・スカウサー。私たちが他の人たちの手伝いをしたことはあったが、私たちも周りから助けて頂いたことがたくさんある。その一家をこうして受け入れてくれたことに感謝していると同時に、こんなにしてもらっても良いのかと戸惑っている。私よりももっと、スタンドの名にふさわしい人物が現れるかもしてないし」。

    「ただ、それまでの間、ありがたく受けさせて頂こうと思う。ケムリン・ロード・スタンド(※センテナリー・スタンドと改名される前の名称)に、私の席を確保してもらえるのだと思うと、嬉しい」。


    ユルゲン・クロップが声援をもたらした

    2年前の10月8日、ユルゲン・クロップのLiverpool監督就任のニュースがイングランド中のヘッドラインを独占した。クロップの最初の言葉の一つが「懐疑心を信頼に変える」というものだった。それから2年が経ち、トロフィーゼロ、戦績では111試合55勝32分24敗、得点201で失点が125という数字と、この夏の戦力補強の欠如、特に、急務だったセンターバックとディフェンシブ・ミッドフィールダー部門で、それぞれ筆頭候補がボツになった時点で代替策を取らなかったことで、多くの全国メディアから「信頼を懐疑心に変えた」と批判を受けていた。

    「では、果たしてファンは、クロップの2年間についてどのような評価を下しているか?」という見出しで、地元紙リバプール・エコーが特集記事を組んだ。

    折しも、この2年間の節目を迎えて、ファンの間でも自発的な議論が出ていたところだった。地元の大多数のファンの間では、直近7試合でわずか1勝という成績を楽観視している人は皆無に等しく、いくつかの要素においてクロップの決断ミスを指摘する声も少なくなかったが、同時に、「軌道修正して不調を乗り越えるために、クロップより適任者はいない」という意見では一致していた。

    「私は人生を通してずっと、アンフィールドに通い続けている。この56年間、チームが良い時も、あまり良くない時も、変わらずチームをサポートし続けてきた」と、あるベテラン・ファンは切り出した。「勝てなかった試合の後で、即座にTV番組に電話したり、SNSに『監督クビ』を求めるメッセージをポストするような『インタネット戦士』は、本当にクロップに出て行かれたら果たして今のLiverpoolがどうなるか、考える頭すら持っていない人々」。

    別のファンが、11月に出版される、ドイツ通の著名なスポーツ・ジャーナリストによる、クロップの2年間をまとめた「ユルゲン・クロップが声援をもたらした」という本の予告版を紹介した。

    同書は、フォーンビー(※リバプール市のベットタウン)の「クイズ・ナイト」の話で始まっていた。毎週火曜日に開催され、多い時には100人の参加者を集める人気企画で、クロップの住居から徒歩5分の距離にあるそのパブの「クイズ・ナイト」は、クロップもレギュラーの一人だった。

    「ある時ひょっこり現れて、自然なしぐさで近くのテーブルのグループに合流し、クイズに参加したクロップは、全く違和感なく地元社会に溶け込んだ」と、ある住民が語った。マージーサイドの裕福な地区にあるフォーンビーでは、有名人の住民は珍しくなく、地元の人々はクロップに対しても駆け寄って騒ぐようなことは一切せず、普通の隣人として接しているという。「クロップは、フットボールだけでなく、いろんな分野の知識があり、クイズも良くできるし、会話していて楽しい人」。

    同じくフォーンビーに住むデビッド・フェアクラフ(Liverpool在籍は1975–1983)は、地元で犬の散歩をしていた時に、クロップと初めて出くわした。「クロップも犬を連れていたので、会話は犬の話になった。その時、クロップは果たして、私が元Liverpoolの選手だと気づいていたかどうかは不明」と、フェアクラフは笑った。

    犬の散歩で何度か出会い、顔見知りになった頃に、地元のパブで奥さんと一緒にランチを取っていたクロップを見かけたフェアクラフは、近寄って会話を始めた。そして、ランチのフィッシュアンドチップスの感想を尋ねたら、クロップは、感情を込めて「絶品でしたよ!」と返したという。その時、フェアクラフは「クロップにビル・シャンクリーの面影を見た」と語った。「分け隔てなく地元の人々と触れ合うクロップは、人々から熱烈に好かれる人柄で、人々に対して情熱を抱いている」。

    フェアクラフは、Liverpoolが昨季のシーズン末にオーストラリアで親善試合を行った時のエピソードを明かした。「試合前に、クロップは選手たちに向かって真剣な口調で語った。『この試合を見るために、大金を費やして来てくれた8万人のファンに、喜んでもらえるプレイをしなさい』と。私が知る限り、そんなことを言った歴代Liverpool監督は、シャンクリーだけ」。

    「クロップがシャンクリーと同じくらいこのクラブにいて、同じくらい栄誉を取ったら、恐らくクロップはシャンクリーと同じくらいのレガシーを残すだろう」と、フェアクラフは締めくくった。

    同書は、リバプール市出身で熱烈なLiverpoolファンとして有名なポップ・バンド「ファーム」のピーター・フートンの証言を引用した。9歳の時にコップ・スタンドで、シャンクリーを目の前で見た時のことだった。同年代の少年ファンが投げたスカーフが、コップとシャンクリーの間に立っていたスタジアム警官の足元に着地した。その警官がスカーフを足蹴にしたのに対して、シャンクリーは「あなたにとっては単なるスカーフかもしれない。でも、この少年にとっては宝物なのだ」と言って、スカーフを拾って自分の首に巻いた。

    「救世主がシャンクリーとしてこの世に戻ってきたのだ、と思った」と、シャンクリーの思い出の後で、フートンは語った。「クロップがファンを大切に思ってくれていることは明らかだし、ファンは誰もがクロップの熱情に魅かれていると思う。ただ、シャンクリーがコップ・スタンドに手を差し伸べる位置に立っていたのに対して、クロップとコップとの間には、まだ目に見えない境界線があるように感じる」。

    「我々ファンにとっては、様々な事情で、毎試合かつてのような大声援を発し続けているわけではないから、クロップをがっかりさせているに違いないという後ろめたさが心の底にある」。

    「ただ、クロップはきっと、トロフィーを取った時にその境界線を乗り越えて手を差し伸べてくれるのではないかと思う。そうだとしたら、待つ甲斐がある」

    スペシャルなクラブ

    10月1日、セントジェームス・パークで、Liverpoolは「またも」内容で優位に立ち、先制しながらディフェンスのミスで同点ゴールを食らい、1-1の引き分けで終わった。CLとカップ戦を含めて7試合僅か1勝となったこの試合のレビューで、地元紙リバプール・エコーは「Liverpoolの試合の記事はコピペで十分」と痛烈な批判を掲げた。

    同時に、「ラファは今でも変わらず、LiverpoolFCの一員である証を示した」と、同紙はもう一つの話題の方に焦点を当てた。その中には、ラファがこの試合の賓客として、ヒルズバラ遺族グループの代表であるマーガレット・アスピナルを招待したという逸話があった。

    ラファが、Liverpool監督時代(2004–2010)に購入したウィラル(リバプール市郊外)の家に、今でも住んでいることは有名な話だった。折につけ、ヒルズバラ遺族グループに対して寄贈などのサポートをしてきたラファが、自宅に戻っていた2011年4月15日に、ヒルズバラ記念式典に参列し、マーガレット・アスピナルのスピーチに涙をぬぐった姿をTVカメラが捉えたことも、Liverpool陣営内では有名な話だった。

    ニューカッスル監督に就任してからは、ニューカッスル近郊に単身赴任しているものの、ご家族は今でもマージーサイドの住民だった。「ジョーディー(ニューカッスル地区のアクセント)とスカウサーとどちらが難しいかって?私の息子はスカウサーを話すので、若干スカウサーの方が慣れているかもしれないが、でも私にとっては、どちらも理解不能!」と、ラファはジョークを言って笑った。

    この夏、戦力補強資金を巡って、ラファがニューカッスルのオーナー、マイク・アシュリーと対立したことが話題になった。英国の大手スポーツ用品店スポーツダイレクトの経営者でもあるアシュリーは、2007年にニューカッスルを買収して以来、ニューカッスル・ファンから「戦力補強よりも収益金を上げる方を優先している」と批判されてきた人だった。2016年に、CLとEL優勝を始めヨーロッパのビッグクラブで実績を持つラファを監督に引き抜いたことで、株が上がったのもつかの間だった。1シーズンでプレミアリーグ復帰を達成したラファに対して、「クラブの収益金は全額、戦力補強に充てる」と約束した口が乾かぬうちに、資金を出し渋ったことで、ファンも地元紙も圧倒的にラファ支持というニューカッスルで、アシュリーが四面楚歌に陥る騒ぎとなった。

    ニューカッスル・ファンとLiverpoolファンが、順番にラファ・チャントを飛ばす様子を、目を細めて見つめていたラファは、この試合のマッチ・プログラムで、「Liverpoolはスペシャルなクラブ。素晴らしい思い出がたくさんある」と、Liverpoolに対する感傷を掲げた。

    「ニューカッスルとは多くの共通点を持つ。どちらも伝統のあるクラブで、熱心で忠誠心の強いファンに恵まれている」。

    Liverpoolファンも、ラファに対して熱い感情を抱き続けていた。「ラファがLiverpoolをスペシャルなクラブと称し、この町を気に入って住み着いてくれているのだから、このクラブの一員であることは間違いない」。

    折しも、アルベルト・モレノから、「僕はこのクラブが好きだし、この町が大好き」と、Liverpoolファンにとっては意外とも言えることに、同様に熱い「ラブコール」が出たところだった。それは、この夏にメディアから「出て行くことがほぼ確実な余剰戦力」に入れられながらも留まり、今季は見違えるプレイでレギュラーの座を奪還したモレノが明かした言葉だった。

    「夏の間、出て行くべきだと批判された。でも、僕はこのスペシャルなクラブで、頑張ってポジション争いに勝ちたいと思った。だから、プリシーズンのトレーニングが始まってすぐに、監督に相談に行った。監督に、正直に僕の気持ちを伝えた。このクラブに留まりたい。どうやったら使ってもらえる戦力になれますか?と」。

    「監督は、率直に答えてくれた。約束はできないし、レフトバックを獲得する計画がある、と。でも、ポジション争いに全力を尽くす決意があるならば、頑張れば評価する、と言ってくれた。他のクラブからの話もあった。でも、僕はLiverpoolに残してもらえることが最大の希望だったので、頑張った。自分のこのクラブでの将来を築くためにも、キャリアを賭けようと決意した」。

    そして、モレノは、リバプール・エコー紙が「コピペで十分」と言う程にひどいディフェンスの中で、最も良くやっている戦力として評価されていた。ファンの間でも、昨季はミッドフィールダーから転向したジェームズ・ミルナーにポジションを奪われたモレノが、失望して出て行くどころか一変して外せない戦力になったことで、次第に評価が高まっていたところだった。

    「ピッチの上では、かつての弱点をほぼ克服して、安定したプレイを見せている。何より、このクラブが好きでこの町が大好きと言ってくれる選手に対して、気合を入れて応援できるのはファンとしても嬉しいことだ」。

    リーダーシップ不在のチーム


    9月19日のリーグカップ3回戦で、Liverpoolはアウェイでレスターに2-0と敗れて初戦敗退となった。前半に圧倒的優勢に立ちながら得点チャンスを生かすことができず、0-0で迎えた後半に「またも」ディフェンスの失態で先制ゴールを与えるという、お決まりの敗戦だった。

    猛批判の中で、地元紙リバプール・エコーの記事は手痛いまでに真意を突いていた。「4つのトロフィーに挑むLiverpoolにとって最も重要性が低いカップ戦とは言え、ここで経験を積んで戦力として育つ、あるいは復調を賭けていた、ダニー・ウォード、ジョン・フラナガン、ドミニク・ソランケ、マルコ・グルイッチら数人の選手たちは、唯一かもしれないチャンスを失った」。

    「それらの選手たちをリードする役割が期待されていたレギュラーの選手たちが、本来の責任を果たすどころか、真っ先に存在感を失ったLiverpoolは、リーダーシップの欠如が改めて露呈した」。

    エコー紙が「リーダーシップ不在」を問いかけるのは初めてではなく、話題のたびに非難の指差しは主将のジョーダンヘンダーソンに向かっていた。今回はましてや、その前のリーグ戦(対バーンリー、試合結果は1-1)でベンチに格下げされた後の試合だっただけに、奮起が期待されていた。

    ライバルチームのファンから、「ヘンダーソンが主将をやってるくらいだから、イングランド代表チームがW杯や欧州選手権でダメダメなのは必然」という嘲笑が飛ぶ中で、Liverpoolファンの間でも批判と失望が圧倒的多数を占めた。

    2015-16季にスティーブン・ジェラードから主将職を引き継いで以来、Liverpoolファンの意見は常に二分してきた。真面目な人格者で、努力家であることは誰もが認める一方で、クラブのレジェンドであるジェラードの後任者という点に固執し、「ピッチの上でのリーダーシップ欠けている」という批判の声は、消えたことがなかった。

    常につるし上げに合いながらも、黙々と頑張る姿に協調するファンは、「ディフェンシブ・ミッドフィールドの役割を着実にこなしているヘンダーソンに対して、アンチの人々は、守れば『攻撃に貢献していない』、前に行けば『ディフェンスのカバーが足りない』と批判する。何をやっても勝ち目がない」と反論してきた。

    これまでの議論の中では、「ヘンダーソンは、Liverpoolのようなビッグ・クラブの主将の器ではない」という極論も交わされた。これに対して、ジェイミー・キャラガーが「ヘンダーソンよりも適任者はいない」と擁護し、火消しに努めたこともあった。「確かに、他に誰が?と聞かれて、具体的な名前は出てこない」と、反対派も渋々納得したものだった。

    そこで、「リーダーシップ不在」の議論が再燃する中で、9月23日のリーグ戦では、ヘンダーソンの決勝ゴールでLiverpoolはレスターに2-3と雪辱を果たした。

    しかしその試合の後で、ファンの拍手は、「典型的リトル・マジシャン・フリーキック」で2点目を決めたフィリペ・コウチーニョと、ヘンダーソンのゴールにアシストを出したダニエル・スタリッジの2人に集中した。ヘンダーソンに対しては、「確かに今日の試合では、特に後半は良かった。でも、ヘンダーソンが良いプレイをするのはチーム全体が良い時だけ。低調な試合で底上げするリーダーシップは持っていない」という厳しい声すら出た。

    これを受けて、エコー紙は引き続き「リーダーシップ不在」の議題を掲げ、賛否両論を掲載することになった。その横で、同紙はヘンダーソン擁護の記事を掲げた。

    「コウチーニョのフリーキックが脚光を浴びる中で、そのフリーキックを得たアルベルト・モレノにパスを出したのがヘンダーソンだったことは、殆ど話題にも上がらない。スタリッジがゴール前に割り込んだ時に、最前線でパスを受けたのは、全力で走ったヘンダーソンだった。今季開幕からやや調子が低迷していたヘンダーソンは、打ち続く批判の嵐に対して、最良の方法で答えを出した」。

    ユルゲン・クロップは、「リーダーシップ不在」の議論そのものに疑問を唱えた。「何が問題なのか、私は理解できない。ヘンドはLiverpoolでもイングランド代表チームでも重大な責任を果たしている。しかもまだ若くて成長過程にある。主将だというだけで、人々は常にパーフェクトを求める」。

    ファンの擁護が続いた。「Liverpoolでは、アラン・ハンセン、ロニー・ウィーラン、イアン・ラッシュ、ジョン・バーンズ、ポール・インス、ジェイミー・レッドナップ、サミ・フピア、ジェラード、そしてイングランドでは、ケビン・キーガン、ブライアン・ロブソン、ガリー・リネカー、スチュアート・ピアース、デビッド・プラット、トニー・アダムズ、アラン・シーラー、デビッド・ベッカム、ジェラード、ウェイン・ルーニーという面々に続くという重荷を背負っている」。

    「でも、ビッグ・クラブの主将の中にも、例えばガリー・ケイヒルやマイクル・キャリックのように、物静かな努力家タイプの主将もいる。そして、クロップだけでなく複数の一流監督から信頼されてきたことは評価すべき」。

    ボビー・フィルミーノ

    9月16日、Liverpoolはバーンリー戦に1-1と引き分け、前週のマンチェスターシティ戦の大敗(5-0)のショックからの立て直しを図って臨んだアンフィールドでの2連戦に2分と失意の週を締めくくった(9月13日のCLセビーリャ戦で2-2)。その翌日、母国ブラジルのメディアのインタビューで、フィリペ・コウチーニョが初めて「夏の移籍のゴタゴタ」について語った。

    「他のクラブから誘いを受けて、僕自身も家族も乗り気になった。それは誰もが知るところだと思う。非常に辛い1か月だった」と、コウチーニョは明かした。「しかし、それは過去の話。今は、Liverpoolで新たなシーズンを迎えて、全力を尽くすことに集中している。Liverpoolに対しては常に敬意を抱いてきた。偉大なクラブ、素晴らしいファン。トップの人々も」。

    「他のビッグ・クラブから興味を持ってもらえたのは光栄。でも、Liverpoolもビッグ・クラブだし、このクラブでプレイできることを誇りに感じている」。

    つまり、バルセロナに入る望みが絶たれた後で、コウチーニョは心機一転Liverpoolで頑張る、という決意を表明したのだった。

    これに対して、大多数のファンの意見は一致していた。「プレミアリーグ開幕戦の前日に移籍リクエストを出したことや、『架空の腰痛』で試合に出なかったなどについて、反感を抱き続ける気は全くない。Liverpoolの選手として留まったのだし、ピッチの上で過ちを償ってくれれば、心から応援する」。

    それは、セビーリャ戦で72分のサブで今季初出場を遂げたコウチーニョに対して、スタンドのファンが盛大な拍手で迎えたこととも同期をとっていた。同じように、この夏に出て行く噂の渦中になった末に留まった、他のクラブのスター選手が、ファンからブーイングの洗礼を受けた事例が多い中でのことで、全国メディアは「さすがLiverpoolファンだ」と称賛した。

    ただ、背景には、コウチーニョの「事件」の最中に、Liverpoolファンの間で、「結局、スペインの二大クラブから狙われたら、殆どの選手が、特にラテン系の選手が心を惹かれるのは仕方ないこと。その前提で、Liverpoolにいる間、このクラブに全力を捧げる選手に対しては、我々も全力で応援する」という決意があった。

    その中で、少なくないファンが指摘した。「コウチーニョは、半年前に契約を更新した際に、違約金条項を付けていなかったことが決定打となった。その意味では、狙われたのがボビー・フィルミーノだったらLiverpoolはあっさり負けていた」。

    フィルミーノが2015年にホッフェンハイムからLiverpool入りした時の契約に、100mユーロの違約金条項が付いていることは誰もが知っていた。現在の為替レートでは£92mだった。「2年前なら破格の金額だったが、今では『有能な選手』の相場。Liverpoolは、早いうちにボビーの契約から違約金条項を取り除くか、大幅に上げるべき」。

    実際に、Liverpoolファンの間で、フィルミーノ人気は急上昇していた。CL予備戦勝ち抜きを決めたホッフェンハイム戦(試合結果は4-2でLiverpoolの勝利)で、マン・オブ・ザ・マッチの活躍を見せたフィルミーノについて、地元紙リバプール・エコーは、「親しい友人であり、こんなカッコいい選手が同じチームにいるというのに、コウチーニョは何故、Liverpoolを出て行こうとしているのだろう?」と、半分ジョークを込めて絶賛した。

    この試合の解説を担当していたスティーブン・ジェラードも、フィルミーノを「超人的」とべた褒めした。「昨季末にLiverpoolのチーム一行に交じってオーストリアに遠征した時、トレーニングで最も感銘を受けたのがフィルミーノだった。こんな凄い選手と1シーズンでいいから一緒にプレイしたかった、と残念に思った」。

    プレミアリーグ初シーズンの2015-16季は、ややスロースタートを切ったフィルミーノは、その10月のユルゲン・クロップの監督就任をきっかけに、飛躍的に向上した選手の一人となった。「Liverpoolがフィルミーノを獲得した時に、正直、驚いた」と、クロップは来て早々に語った。「私は同じリーグの選手としてフィルミーノをずっと注目していた。でも、ホッフェンハイムはヨーロッパのカップ戦に出ていたわけでもないのに、どうやってイングランドのクラブがフィルミーノを発見したのか?と」。

    「同時に、ヨーロッパ中に知れ渡った選手でなかったからこそ、わずか£29mで獲得できたと思う。それは、Liverpoolのスカウト陣の有能さの証明でもある」。

    クロップの言葉通り、フィルミーノは、瞬く間にLiverpoolの攻撃陣の中枢となり、Liverpoolファンの「ボビー・フィルミーノ」チャントはスタンドの定番になった。

    それに対して、フィルミーノは、「ファンが付けてくれた『ボビー』というニックネームを気に入っている」と、笑顔で語った。「ファンが僕を名前をチャントしてくれるのを聞くと心から勇気が湧く」。

    セビーリャ戦のファイナル・ホイッスルの直後に、フィルミーノが目をくぼませていた表情がファンの脳裏に焼き付いた。PK失敗したことで、結果的に「決勝ゴールを逃した」責任を感じていた様子に、ファンは異口同音に叫んだ。「みんながボビーのような気合を持っていれば、毎試合楽勝だろうに」。

    潮流の逆転

    9月9日、インタナショナル・ウィーク明けのランチタイム・キックオフで、Liverpoolはマンチェスターシティに5-0と屈辱的大敗を食らった。37分に10人に減ったLiverpoolは、ディフェンスの脆さを暴露した上に、後半早々に白旗を上げた。昨季はトップ6との対戦で無敗(10戦5勝5分)、特にシティには最近5戦で4勝1分と優勢に立っていたLiverpoolにとっては、潮流が一気に逆転した結果となった。

    試合後に、シティの地元グレーター・マンチェスター警察のオフィシャルTwitterアカウントが、「警官が数名、イーストランド(※シティのホームスタジアム一帯の地名。地元ではシティのスタジアムの別名でもある)に向かっています。6万人の目撃者の前で、11人のグループが、無抵抗のLiverpool FCを叩きのめしたという暴力事件を起こしたためです」と、ジョークのポストで笑いを買った。

    これに対しては、「不謹慎だ」と目を吊り上げる人はなく、ユナイテッド・ファンも大喜びで、「Liverpool FCから、『リーグ優勝の望みを失った』という捜索願いは出てませんか?」などと、ジョークのコメントをポストした。これを受けて、「笑っていなければ泣けてしまう」とばかりに、Liverpoolファンは、「ジョナサン・モスはこの試合で笛を吹いたりして、レフリーになりすましていました。逮捕してください」と、ジョークに参加した。

    Liverpoolネタのジョークは全国メディアにも波及した。真面目なハイライト番組で、アナリストたちが「センターバックを補強しなかったために墓穴を掘った。第一希望のフィルジル・ファン・ダイクが得られなかったことは仕方ないにせよ、代わりの選手を取らなかったユルゲン・クロップの賭けは大失敗を見た」とまくしたてる中で、「サウサンプトンからファン・ダイクを拒否された分、元サウサンプトンの選手を取って帳尻を合わせた」と、期限日に正式発表となったアレックス・オクスレイド・チェンバレンの移籍を、ジョークに混ぜる声も出た。

    「チェンバレンは、オールド・トラッフォードでマンチェスターユナイテッドに8-2と大負けした試合がアーセナルでのデビューだった(2011年8月)。そして、アーセナルでの最後の試合ではアンフィールドでLiverpoolに4-0とぼろ負けし、Liverpoolでのデビューでシティに5-0と大敗した」とは、通常は親Liverpoolのインディペンデント紙の記事だった。

    世間一般の冷ややかな反応の中で、£35m(条件付きで最大£40m)という多額の移籍金でLiverpool入りが決まったチェンバレンに対して、ライバルチームのファンの意見は完全に二分していた。負傷欠場や調子の波で、ここ数年ぱっとしなかったという指摘と並行して、「今年の移籍市場では、£40mというのは多額でも何でもない。金額を無視すれば、戦力としてはプラスであることは確かだし、チェンバレンはアーセナルでは成長の余地がなかったように見える。クロップの下で一躍ステップアップする可能性は否定できない」という声も少なくなかった。

    それを裏付けるかのように、クロップがチェンバレンに対する期待を語った。「私がチェンバレンを始めて見たのは、ドルトムントが2014年にCLでアーセナルと対戦した時のことだった(試合結果は2-0でドルトムントの勝利)。サブで出てきて素晴らしい活躍をしたチェンバレンは、次のエミレーツでの試合ではスタートした(試合結果は2-0でアーセナルの勝利)。それ以来、私はチェンバレンを秘かに追うようになった。まだ24歳の若さながらプレミアリーグとCL、そしてイングランド代表チームでも経験豊富な選手」。

    クロップの言葉は、Liverpoolファンに期待をもたらした。「チェンバレン獲得をワクワクしながら待っていた、と言えば嘘になるが、しかしクロップが高く評価していると聞いて、勇気が湧いてきた」。

    地元紙リバプール・エコーは、チェンバレンの移籍を「潮流の逆転」と唱えた。「ウィリアン、モハメド・サラー、ディエゴ・コスタなどなど、近年の移籍市場で、Liverpoolはチェルシーに『狙っている選手』を取られ続けてきた。しかし今回は、アーセナルがチェルシーと移籍金で合意しながら、チェンバレンがLiverpool入りを希望してチェルシーを蹴った。アーセナルが週給£180,000を提示し、チェルシーはもっと高い話だったが、ロンドンの両クラブよりも低い給料という条件をのんで、Liverpoolに来た。それは、ユルゲン・クロップがロンドンの富よりも吸引力を持っているから」。

    インタナショナル・ウィーク明けにメルウッドに初出勤したチェンバレンが、エコー紙の説を裏付けた。「ユルゲン・クロップは、第三者として見ていた時から羨ましいと思っていた監督。ドルトムント時代からの実績と、そのフットボールが超一流だということだけでなく、選手と非常に緊密な関係にあること。この人なら、僕をより成長させてくれるだろうと思った」。

    そして、アンフィールドについての感想を問われてチェンバレンは、笑顔で答えた。「もちろんアーセナル時代に何度も来ているから、アンフィールドの素晴らしさは体験している。ホームの選手としてピッチに立ったら、どんな気持ちだろうと思う」。

    新ワンダー・ボーイ

    8月の移籍ウィンドウが閉まると同時に、英国のメディアは今季第一回目のインタナショナル・ウィークに注目を移した。Liverpoolファンにとっては、誰もが急務としていたセンターバック補強ができなかったなど、移籍ウィンドウの結果について賛否両論が沸き上がる中、今回のインタナショナル・ウィークは、話題を変えるために絶好の、朗報続きの週となった。

    先頭を切ったのは、ウェイン・ルーニーが8月23日前に代表引退を発表したことで空職となったイングランド代表主将に、ジョーダン・ヘンダーソンが抜擢されたことだった。続いて、ジョー・ゴメスがイングランド・アンダー21代表チームの主将に就き、Liverpoolファンの拍手は更に高まった。ほぼ同時に、スコットランド代表チームのW杯予選(対リトアニア、試合結果は3-0でスコットランドの勝利)で、新戦力のアンディ・ロバートソンがゴールを記録するという嬉しいニュースが伝わった。

    「Liverpoolの選手があちこちで活躍しているので、珍しく興味を持って代表戦を見ることができる」と、Liverpoolファンの間では笑顔が飛び交った。

    そんな時に、9月2日のW杯予選(対オーストラリア、試合結果は1-0でウェールズの勝利)で、ウェールズ代表デビューを飾った17歳のベン・ウッドバーンが、ピッチに立ってわずか4分で母国代表チームの貴重な勝利を決める「ワンダー・ゴール」を出し、ウェールズのヘッドラインを独占することになった。

    昨季はLiverpoolで、11月のサンダーランド戦(試合結果は2-0でLiverpoolの勝利)でプレミアリーグデビューを飾った直後のリーグカップ戦(対リーズ、試合結果は2-0でLiverpoolの勝利)で、コップの前でゴールを決めてLiverpoolの史上最年少ゴールスコアラーとなったことで、英国中の脚光を浴びる「新ワンダー・ボーイ」となったウッドバーンは、シーズン後半の負傷者続出時に、得点が必要な時にサブで送り出される大役を担うこともあった。

    今回のウェールズでのデビューは、勝たねばW杯本大会出場が相当厳しくなるという状況の中で、0-0のまま、万策尽きたかに見えた74分のことだった。「ミラクルが必要だった時に、ティーンエージャーがミラクルをもたらした」と、ウェールズのメディアが興奮を散りばめた記事を掲げた、「歴史的なゴール」だった。

    さっそくイングランドのメディアは、Liverpoolの最年少ゴールスコアラーになった時の一方的な騒ぎを蒸し返し、「ウッドバーンは結局、イングランドを蹴ってウェールズ代表チームに忠誠を誓った」と嘆いた。

    それに対して、Liverpoolおよびウェールズのレジェンドであるイアン・ラッシュ(Liverpool在籍は1980-86、1988-1996)が、「私の知る限りでは、ウッドバーンはウェールズ代表チームに対する忠誠は片時も失くしたことはなかった」と、あっさり流した。

    リバプール市の郊外に当たるチェシャーで生まれ育ち、8歳でLiverpoolのアカデミー入りしたウッドバーンの国籍については、Liverpoolのアンダー16チーム時代にウッドバーンを指導したコーチのデス・メイハーが証言していた。「ウッドバーンは、母方のおじいさんがウェールズ人で、お母さんの影響を受けてウェールズ人として育った」。

    17歳の若手が、緊迫した内容の試合に投入されるような落ち着きは、お母さんから授かったものだと、メイハーは、アンダー16チーム時代のエピソードを明かした。

    「学校とアカデミーチームと、チェシャーの自宅から毎日通うのは遠いし不便なので、リバプール市内に下宿させてクラブが面倒を見たい、とご両親にお願いしに行ったところ、お母さんから却下された。『子供の教育は親の責任。自宅に住むことは必須です』と、一歩も引かなかった。素晴らしいお母さんだと感銘を受けた」。結局、クラブがウッドバーンのために送迎車を手配することで、お母さんの許可を取り付けたという。

    「その頃から才能は明らかだったし、お母さんの教えを受けてしっかりした性格を身に付けたウッドバーンが、世間を歓喜させるような偉業を達成しながら、変わらず努力し続けることは、私にとっては驚きではない」と、メイハーは断言した。

    それは、ウェールズ代表監督のクリス・コールマンの言葉とも同期をとっていた。「私は長年、各年齢層のウェールズ代表チームの選手を見てきているので、ウッドバーンのことも昨日や今日、初めて知ったわけではない。ウッドバーンは、常に自信を持って冷静に行動できる選手。しかも、世の中に騒がれるような立場に陥っても、決して有頂天にならず、しっかり自分の足元を見つめて前に進むことができる選手」。

    「これまでに、すい星のごとく現れて『新ワンダー・ボーイ』と言われたかと思えば、知らないうちに消えていった選手の例は数えきれない。若手は、この先何が待っているのか、不確定要素が強い。ウッドバーンも、次の試合でスタートすることはあり得ない。レギュラーとして通用するようになるまでに、まだまだ成長しなければならない点が多い。焦らず、しっかり努力を重ねることが必要。それは、Liverpoolでも同じだと思う」。


    コップとの絆

    FAが、夏の移籍ウィンドウをリーグ開幕前に閉めるという案を、早ければ来季から導入する案を提示し、イングランド中で賛否両論が飛び交った。それは、「出てゆきたいけど移籍が決まっていないため、試合に集中できない主力選手」が、外向きには負傷とか病気という理由で戦力から外れる状況を抱えるクラブにとっては、重要な前進と受け止められた。

    いっぽう反対意見は、その措置の適用がイングランド国内だけに限定されることで、「スター選手を外国のクラブに取られた時には既に移籍ウィンドウが閉まっていた」憂き目を見る危険性を指摘した。そもそもヨーロッパ各国の開幕時期は一致していないため、根本的な解決は難しい。

    期せずして、この夏も「引き止めたい主力選手を他のクラブに取られるかもしれない」不安に見舞われることになったLiverpoolは、重要な試合の前日になると必ず「移籍ウィンドウの新たな動き」がヘッドラインを飾る状況の中で、8月23日、アンフィールドでホッフェンハイムを4-2(通算6-3)と破って、CLグループラウンド進出を達成した。

    「難しい問題が飛び交い、大きなプレッシャーを背負いながら、わが選手たちは強力な決意で試合に集中し、会心のプレイでCLを勝ち取った。選手たちを誇りに思う」と、ユルゲン・クロップは感慨深げに語った。

    全国メディアも珍しく好意的だった。「イングランドから5チームがCL(※グループラウンド)に出場するのは史上初」と、Liverpoolの参戦を歓迎し、マン・オブ・ザ・マッチの活躍を見せたサディオ・マネを絶賛した。「88分に交代したマネに、コップが『オー、マネ、マネ、ドゥドゥドゥ』とチャントしながら総立ちの拍手を送ったのに対して、頬を染めて拍手を返したマネの姿は微笑ましかった」。

    BTスポーツでホッフェンハイム戦の実況を勤めていたスティーブン・ジェラードも、満面に笑顔を浮かべてファンの「オー、マネ、マネ、ドゥドゥドゥ」チャントを引用したことも、マネ人気に拍車をかけた。

    昨年夏に£30mでサウサンプトンからLiverpool入りしたマネは、初シーズンで、ホームで17出場10ゴール5アシストと、期待を大きく上回る活躍を見せ、ファンの全面的な支持を集めるに至った。マネがアフリカ・ネーションズ・カップのため不在となった1月から2月にかけて、Liverpoolが絶不調に見舞われた時には、ファンの間で「マネのペースがないことは致命的。結局、Liverpoolはワン・マン・チームだと痛感した」という悲鳴が上がった。

    そして、アフリカ・ネーションズ・カップから帰還したマネを、長年待ち焦がれた人のように歓迎するファンの「オー、マネ、マネ、ドゥドゥドゥ」チャントは、アンフィールドの風物詩となった。4月のエバトン戦(試合結果は3-1でLiverpoolの勝利)で負傷してしまったマネが、シーズン内の復帰は不可能と分かった時には、ファンの間で再び悲痛な叫びが上がった。

    しかし、今季は開幕と同時に、その負傷の記憶をすっかり吹き飛ばす活躍を見せているマネに、ファンの熱気はさらに高まった。「マネを僅か£30mで取られたことで、サウサンプトンは怒ってLiverpoolとは二度と取引しない、と決めたのだろう」というジョークすら飛んだ。

    「サディオがコップと特別な絆を作っていることは明らかで、素晴らしいこと。チーム全体が、ファンとこのようなスペシャルな絆を披露する様子を想像するとぞくぞくする」と、クロップは微笑んだ。

    クロップがドルトムント時代(2014年夏)にマネ獲得を試みたことは有名な話だった。結果的にクロップは他の選手を取り、マネは£11.8mでザルツブルクからサウサンプトンへと移籍した。昨年11月に、クロップはその時の話を、ユーモア交じりに語った。「サウサンプトンでのサディオを見て、私は自分の愚かさに気づき、自分で自分の頭をガツンと小突いた」。

    その過ちを二度と起こさないためにと、クロップは、Liverpoolでの初の夏の移籍ウィンドウで、その時点では「高すぎる」と見えた£30mという金額に躊躇せず、マネ獲得を主張、1年後には「バーゲン」と言われるようになった。

    かつてクロップに空振りを食らった実話について質問されて、マネは笑って答えた。「あの時のことは、はっきり覚えている。でも、僕はあの後ずっと、良い選手になろうと全力を注ぎ続けた。その努力が実って、とうとうクロップが監督を務めるチームに入ることができた」。

    「待った甲斐があった、としみじみ思っている」。

    「アンフィールドは信じられないような素晴らしいスタジアム。2-3日に1度、アンフィールドで試合ができればどんなに良いだろう、と思う。アンフィールドの、あの素晴らしいファンの前で試合できるということは、僕にとっては最高に嬉しいことだから」。

    ハムデン・パークのテレフォン・オペレーターからプレミアリーグのビッグ・クラブへ

    今季のプレミアリーグ開幕直前の特集記事の一つとして、BBCが「元バルセロナの選手だったプレミアリーグ監督が5人。全員の名前を言えますか?」というクイズを掲げた(※)。
    ※マーク・ヒューズ(ストーク、バルセロナ在籍は1986–1988)、ロナルド・クーマン(エバトン、同1989–1995)、ペップ・グアルディオーラ(マンチェスターシティ、同1990–2001)、マウリシオ・ペジェグリーノ(サウサンプトン、同1998–1999)、フランク・デブール(クリスタルパレス、同1999–2003)

    ユルゲン・クロップがLiverpool監督に就任したばかりの2015年10月に、その中の一人である、当時サウサンプトン監督だったロナルド・クーマンについて記者会見で質問されたことがあった。「あなたはクーマンと同じく、現役時代はディフェンダーだったので、監督としても共通点はあるのでは?」。これに対してクロップは、ユーモア口調ではあったが、目を丸くして、「現役時代?私は一無名選手だったのに対して、彼はワールドクラスの超スーパースター。比べるのは無謀ですよ!」と、一笑した。

    クロップが選手としてパッとしなかった真相は、監督としての成功話に花を添えていた。そして、クロップが折につけ、対戦相手の監督やスター選手に対して低姿勢で賞賛を語る姿も、人気の要因だった。

    同時に、子供の頃から順調にスターダムを上り詰めてきた選手が多い中で、長期負傷などでつまずいて苦戦している選手たちに対して、クロップが特に親身になる側面は、自分の現役時代の経験から自然に身に付けたものと言えるかもしれない。

    この夏の新戦力の一人であるアンディ・ロバートソンのエピソードは、クロップに深い感銘を与えた。それは、地元紙リバプール・エコーが「ハムデン・パークのテレフォン・オペレーターからプレミアリーグのビッグ・クラブへ」と題して掲載した記事の中で、ロバートソン本人も証言した。「自分のキャリアについて監督から質問されて、正直に話したところ、監督は何度も何度も、『いい話だ』と言ってくれた」。

    スコットランドのグラスゴーで、地元のクラブであるセルチックのファンとして生まれ育ったロバートソンは、8歳の時にセルチックのアカデミー・チームに入った。ところが、2008年に、恩師でクラブのレジェンドであるトミー・バーンズが亡くなり、後任のコーチから「体が小さ過ぎる」とダメ出しされ、15歳でセルチックを出されてしまった。

    それでも夢を捨てられなかったロバートソンは、スコットランド4部リーグのクイーンズパークに入り、プロ・フットボーラーを目指した。クイーンズパークはアマチュアで給料はなく、選手はフルタイムの職についていた。ロバートソンもクラブの紹介で、ハムデン・パークのテレフォン・オペレーター職に就いた。週5日、9時から5時まで電話対応の仕事をこなし、夕方6時からトレーニング、日曜日は試合という生活だった。

    「最初の1年は、セルチックから出されたショックから抜けられず、クイーンズパークでも良いプレイはできなかった。両親とも相談し、あと1年頑張ってダメならフットボーラーの夢を断念し、大学に行こうと思った」と、ロバートソンは振り返った。

    そのシーズンに、レンジャーズが倒産して4部に降格させらる事件が重なり、メディアの脚光が4部リーグに向けられた。そのタイミングでクイーンズパークのレギュラーとして名を上げたロバートソンは、2013年6月にプロのダンディーユナイテッドから引っ張られたのだった。そして、ダンディーユナイテッドでの初シーズンで、スコットランドの最優秀若手選手賞に輝き、スコットランド代表チーム入りを果たしたロバートソンは、1年後には£3mの移籍金でイングランドのハル・シティへと進んだ。

    「5年前にはハムデン・パークで電話対応をしていたロバートソンが、アンフィールドでLiverpoolの選手としてプレミアリーグ・デビューを達成した。クリスタルパレス戦でスタートしたロバートソンは、マン・オブ・ザ・マッチの活躍を披露した(試合結果は1-0でLiverpoolの勝利)」と、リバプール・エコー紙の記事には興奮が織り込まれていた。

    「これぞ正真正銘のフルバックという、正確なクロスの連発。£8mの移籍金は、ハル・シティから『泥棒』と非難されても仕方ない」と、ファンは大きな笑顔を浮かべた。

    ロバートソンは、試合後のインタビューでファンに感謝を捧げた。「Liverpoolでは、ワールドクラスの選手に囲まれているから、毎日、学ぶことが多い。僕はまだまだLiverpoolに来てから日も浅いし、向上の余地はたくさんあると思う。でも、まずは精一杯自分のプレイができた。スタンドのファンが温かく迎えて下さったお蔭。ありがとうございます」。

    ロバートソンがクイーンズパークでデビューしたのは2012年7月、18歳の時で、372人の観客の前でのことだった。

    「セルチックで失望を味わってから、ここにたどり着くまでのジャーニーは、僕にとって毎日の意欲の源になっている」と語るロバートソンに、クロップは笑顔でうなずいた。「Liverpoolで、その素晴らしいジャーニーの続編を作って欲しい」。


    出て行く選手に対してユルゲン・クロップが語った言葉

    プレミアリーグが開幕し、第一戦を終えた8月14日、ウエストハムに4-0と勝って首位に立ったマンチェスターユナイテッドの地元紙マンチェスター・イブニング・ニュース紙が、「今季のユナイテッドはアーセナルのインビンシブルズ(※)を凌駕するだろう」と題して、気の早い記事を掲げて話題になった。
    ※2003-04季に、26勝12分とシーズンを通して無敗でプレミアリーグ優勝を決めたアーセナルのニックネーム。

    さっそく隣のシティ・ファンが「もう今季の優勝が決定したようだ。3日前までプレミアリーグの開幕を待っていたように感じるのは気のせいか」と、ジョークを言って笑った。シティはアウェイでブライトンに0-2と勝って良いスタートを切っただけに、ファンも余裕に満ちていた。アーセナル、トットナムを含めて「トップ6」のうち4チームが3ポイントでスタートを切り、ユナイテッドの地元紙の極端さはないにせよ、各ファンの間では楽観ムードがよぎっていた。

    対極的に、3ポイントが取れなかったチェルシー(バーンリーにホームで2-3と敗戦)と、Liverpool(アウェイでワトフォードに3-3)の両おひざ元では、暗雲が覆っていた。開幕戦の不振がトリガーとなって、ピッチ内外の「問題」が脚光を浴びたのだった。チェルシーは、監督アントニオ・コンテからダメ出しを食らったディエゴ・コスタが公の場でクラブと監督を批判したコメントを出したのに続いて、数名の選手がコスタを擁護したことが、全国メディアで必要以上に取り上げられた。

    いっぽう、Liverpoolは、フィリペ・コウチーニョが開幕戦の23時間前に移籍リクエストを出した事件が、来る日も来る日もヘッドラインを飾り続けた。その移籍リクエストというのが、オーナーが「どんな大金を積まれても、コウチーニョは絶対に出さない」と、正式にクラブの方針を表明した数時間後のことで、しかも、ディレクター宛にメールで提出されたという、タイミングとやり方が強烈だった。

    更に、ちょうど同じ頃に、コウチーニョの家族という人物がスカイTVのインタビューで、コウチーニョが「半年前から監督(ユルゲン・クロップ)と関係が悪化したことを苦にして、出て行くことを真剣に考えていた」と証言したことが伝わり、火に油を注いだのだった。

    かくして、ピッチ外の出来事が重たくのしかかる中で、ワトフォード戦で、94分にコーナーから同点ゴールを食らうという、「セットピースを守れない、Liverpoolの典型的な欠点」が露呈された。CL予備戦プレイオフを3日後に控えて、自信の波に乗ることが必須だった試合で、大きな失望を味わう結果となった。

    そのホッフェンハイム戦に臨むインタビューで、Liverpoolの選手たちがことごとく「コウチーニョの行方についてどう思うか?」の質問攻めに合う様子を見て、ファンは悲鳴を上げるに至った。「この重要な時に、試合に集中できないのは致命的。マイナスの影響が大きすぎる」と、ファンの間で「コウチーニョを引き留めるべきか」という議論が湧き起こった。

    圧倒的多数のファンが、コウチーニョがバルセロナ入りを希望していることについては「理解すべき」という意見で一致していた。ほぼ同数のファンが、移籍リクエストのタイミングとやり方、そして「家族を通じてクロップに対する批判を表明した」ことについて、致命的な失望を抱いていた。

    「あの移籍リクエストの前までは、フィル(コウチーニョ)にあと1年留まってもらって、来年の夏には盛大な拍手でバルセロナに送り出そうと思っていた。でも、その後の卑劣なやり方に、裏切られたと感じている」という前提で、バルセロナから大金を取って今すぐ出すべき、という意見と、選手のわがままに屈せずクラブとして強い立場を維持すべき、という意見とに分かれた。

    そんな時に、ヌリ・シャヒンがドルトムントを出た時のエピソードを明かした、プレイヤーズ・トリビューン誌の記事がリリースされ、Liverpoolファンの心を直撃した。

    2011年にドルトムントがブンデスリーガ優勝を達成した夏に、レアルマドリードから引っ張られたシャヒンは、「ドルトムントには育ててもらった恩を感じていた。でも、子供の頃から憧れていたレアルマドリードに入る、という欲望は大きすぎた。これを断れば、この先永遠に『あの時に行っていればと後悔することになるだろう』と思った」と振り返った。

    そして、それを監督であるクロップに伝えた時に、クロップから言われた言葉を、シャヒンは明かしたのだった。「ヌリ、自分がやりたいと思う道を選びなさい。それがどのような方向になったとしても、私は君の味方だ。たとえ分かれても、私にとって君は大切な友人であることに変わりはない」。


    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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