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    レジェンド軍団の一人として巣立つ(アダム・ララーナ)

    7月27日、この夏の移籍ウィンドウがオープンした日に、アダム・ララーナのブライトン入りが正式に発表された。2014年夏にサウサンプトンからLiverpool入りしたララーナは、6年間で261出場59得点48アシストを記録し、CL優勝、UEFAスーパーカップとクラブW杯に加えてプレミアリーグ優勝選手となって、フリーエージェントとして巣立って行くことになった。

    ララーナが今季末で去るということは、しばらく前から公然の秘密だった。行く先として、ララーナをLiverpoolに連れてきた張本人であるブレンダン・ロジャーズが監督を勤めるレスター・シティ?という説が有力だったが、いくつかのクラブがララーナを欲しがっており、本人がどこを選ぶか検討しているという噂が流れていた。

    ブライトンの地元紙が勝利宣言を掲げたのと並行して、メルウッドでLiverpoolの選手たち全員が、ララーナを盛大な拍手でお別れの挨拶をしている様子が動画で流れた。7月22日のアンフィールドでの最終戦(対チェルシー、試合結果は5-3でLiverpoolの勝利)の直前のことだった。

    チェルシー戦の試合中に、TVカメラがベンチに座っているララーナを捉えた時、「何故ララーナは出ないのか?」と疑問の声が飛んだ。それに対して、複数のファンが異口同音に答えた。「スタンドにファンがいるならば、お別れの拍手を送る機会を作ったに違いない。でも、試合に出て負傷でもしようものなら、最悪、決まったばかりの新クラブ入りの話がボツになるかもしれない。ファンとの挨拶もできないのに、そんなリスクを冒すのはララーナにとってマイナスでしかないと、ユルゲン・クロップは判断したのだろう」。

    その説が的を得ているだろうと納得しながらファンは、スタンドではなく自宅から、「ありがとう、ララーナ」と叫んだ。生まれ故郷に地理的に近い「地元のクラブ」の一つであるブライトンでは、3年契約で、32歳のララーナにとっては条件的に合っていた。

    「2015年10月にクロップが監督に就任したばかりの頃は、ララーナが最もクロップのフィロソフィーを良く理解し、それを試合で実現していた選手だった。最初の1-2年で、クロップの指導下で最も伸びたのがララーナだったし、クロップにとってもララーナは重要な人材だったことは明らかだった。2017年に、ララーナが負傷欠場を繰り返す苦悩の時期に入る前には」と、ファンは感傷的に振り返った。

    クロップが居を構えたフォーンビー(リバプール市郊外にあるマージーサイドの高級住宅地)で、隣人だったララーナが、クロップがLiverpoolをホームとする過程で、公私ともに重要な役割を果たしたことは有名な話だった。

    2016年1月のノリッジ戦で、インジャリータイムのどんでん返しの末に95分の決勝ゴールを決めたララーナが、タッチラインを走ってきたクロップに飛びついて、クロップが眼鏡を壊したコミカルな結末は、ファンの間で折に付け話題に上がる(試合結果は5-4でLiverpoolの勝利)。

    そして、ララーナ本人は、最も記憶に残る「クロップのハグ」として、クロップが監督に就任して初試合となったアウェイのトットナム戦を上げた(試合結果は0-0)。クロップの初スターティング・メンバーの一人となったララーナは、走り続けてプレスし続けた末に交代した時に、クロップに抱え込まれたのだった。

    「あれは本当に絵になるような場面だった」と、ララーナは振り返った。「あの試合のことは、まるで昨日のことのようにはっきり覚えている。あの時、僕はクロップの腕の中に倒れ込んだような感じだった」。

    「あれは、その後の5年間の始まりだった」。

    「クロップと共に働いた5年間は、決して平たんではなかった。険しい山に立ち向かう日々で、2歩進んで1歩後退することの繰り返しだった。決勝進出とか、アウェイで2度マンチェスターシティに勝った、その後で転んでしまったり、と。ただ、そんな中でも、自分たちは確実に正しい方向に向かって進んでいるのだと確信していた」。

    そして、とうとうプレミアリーグのチャンピオンとなったララーナのことを、クロップは「Liverpoolのレジェンド」と表現した。

    「それはちょっと誇張だと思うが」と、ララーナは謙遜しつつ、きっぱりと言った。「ただ、このチームはレジェンド軍団だということは間違いない」。

    「長くて険しい旅だったが、そのレジェンド軍団の一人として頑張ってこれたことを誇りに思う」。

    ララーナの、感傷的ながら力強いお別れのメッセージを聞いて、ファンの拍手は止まなかった。「ブライトン監督のグレアム・ポッターは、ララーナを大切にしてくれて、かつ効果的に使える人に見える。今後3年間で、ララーナが1シーズン20-25試合くらい出られれば、ブライトンはプレミアリーグの常連というチームになるだろう。そうなることを心からお祈りしている」。

    ライバル・ファンが脱帽する時

    チームのことを一番良く知っているのは、そのチームのファンだ。プロのアナリストが自分のチームの選手を批判するのを聞いて、ファンが「彼らに何がわかる?」と却下することは珍しくない。それは、アウェイの試合も含め、来る日も来る日もスタジアムに足を運び、TVカメラに映らない動きも全て見ているファンは、全チームの全選手をまんべんなく見るのが仕事というアナリストには目が届かない場面も、決して見逃さないからだ。

    そして、試合を良く見ているという意味では、ファンの次にそのチームを熟知しているのは、宿敵というチームのファンだ。それは、Liverpoolファンの間で折に付け飛び交うジョークで、「エバトン・ファンは、Liverpoolのことを何でも知っている。我々に対する嫌味のネタを探すために、毎試合、対戦相手を真剣に応援しながら目を凝らして見ているから」とは、ファン心理の真相をついていた。

    そのようなライバル・ファンの習性が伺えるような議論が、マンチェスターユナイテッド・ファンの間で交わされていた。議題は、7月22日のチェルシー戦(試合結果は5-3でLiverpoolの勝利)でフリーキックから先制ゴールを決め、今季通算13アシスト4ゴールでディフェンダーとしてのプレミアリーグ記録を作ったトレント・アレクサンダー・アーノルドについて、中立のアナリストが「アレクサンダー・アーノルドは、イングランド人としてはデビッド・ベッカム以来のキック力」と騒ぎ立てたものだった。

    多くのユナイテッド・ファンは、ユナイテッドのクラブ史上に残る名選手であるベッカムに軍配を上げつつも、「クロスとフリーキックをミッドフィールダーと比べるのは論外だ。ただ、ライトバックとしては、アレクサンダー・アーノルドは現役選手の中で世界のベストだろう」と、頷き合った。

    別のユナイテッド・ファンが、「守りのミスも激減した」と、トレントのディフェンス面に話題を移した。それに対して、「それは、ジョーダン・ヘンダーソンのお蔭だ。ミスをしてもヘンダーソンがボールを奪い返す。試合中に気を抜かないようにと、要所要所で締めているのもヘンダーソンだ」という声が上がり、誰もが同意を示した。

    かくして、ライバル・ファンが当然のごとくそのリーダーシップを評価するようになったヘンダーソンは、プレミアリーグの最終日を控えた7月24日に、イングランドのフットボール界で最も栄誉のある賞の一つである、FWAの最優秀選手賞に輝いた。

    プレミアリーグの各賞としては、BBCなど大手メディアが独自に、シーズン末もしくは年末に選出する賞が多数ある中で、フットボール・ライター協会(FWA)の最優秀選手賞と、プロ選手協会(PFA)の最優秀選手賞は、規模的にも伝統面でも圧倒的に上位を占める賞だった。

    プレミアリーグの全チームの全選手がシーズン終幕の3月から4月にかけて投票し、受賞者を決めるPFAの最優秀選手賞は、今季はロックダウンのために中断したままとなっているが、通常は、選手の目でライバル・チームの選手のパフォーマンスを評価することから、得点王やアシスト王、またはクリーンシートの数など、そのシーズン中に秀でた成績を残した選手が受賞する。

    いっぽう、フットボール・ライター協会に所属する400人超のジャーナリストが選ぶFWAの最優秀選手賞の方は、ピッチ上のパフォーマンスに加えて、ジャーナリストの視点である、ピッチ外の仕事を含めた総合的な業績が評価対象となる。

    「Liverpoolは、ヘンダーソンが出られなかった8試合(5勝1分2敗)で、ヘンダーソンが出た30試合(27勝2分1敗)よりも多くのポイントを落とした」と、その投票者の一人であるBBCのガース・クルックスは、ヘンダーソンのピッチ上の成績を指摘した。

    そして、マンチェスター・イブニング・ニュース紙のジャーナリストは、自らライバル・ファンの一人でもあり、プロのジャーナリストとしての立場から、ヘンダーソンのピッチ内外の仕事を称賛した。

    「ヘンダーソンは、主将としてLiverpoolの選手たちをリードして、チームの優勝を達成した。12月にコップが『我々は優勝する』というチャントを始めたことは、これまで30年間の苦悩を味わってきたファンが、軽々しく『優勝する』とは言わない慎重さを習慣としていたことを考えると、その意味は深かった。そのファンの声を背にして、若いLiverpoolの選手たちが『優勝』を意識して逆に自分たちにプレッシャーをかけるリスクを、ヘンダーソンは主将として防ぎ、チームメートの集中力をキープした」と、同紙は、Liverpoolのチーム全体のピッチ上の業績を、ヘンダーソンのリーダーシップの結果だと結論付けた。

    加えて、同紙はロックダウン中にヘンダーソンがプレミアリーグの全チームの全選手に提唱して、NHSへの基金(#PlayersTogether)を設立したピッチ外のリーダーシップを引用し、「ヘンダーソンはFWAの最優秀選手賞にふさわしい模範的なプロ」と締めくくった。

    16年ぶりのプレミアリーグ復帰&28年ぶりの「優勝杯」(リーズユナイテッド)

    イングランドの2019-20季は残り僅かとなった。Liverpoolのプレミアリーグ優勝とマンチェスターシティの2位が確定し、FAカップはチェルシーとアーセナルが決勝進出を決めた。上位の方では、トップ4の残り2枠の争いはチェルシー、レスター、マンチェスターユナイテッドの3チームに限定された。

    順位表の逆端では、既に降格決定のノリッジに合流する2枠を避けるべく、ボーンマス(残り1試合)、アストンビラ(残り2試合)、ワトフォード(残り2試合)がしのぎを削ることになった。

    そして2部から来季プレミアリーグに昇格するチームの第一号としてとして、7月17日にリーズユナイテッドが名乗りを上げた。2003-04季に降格し、財政破綻の末に3部に落ちた暗黒の時期(2007-2010)を乗り越えて、16年ぶりにプレミアリーグに復帰することになった。

    イングランド北部の大都市リーズ市にあり、トップ・ディビジョン優勝回数は通算3回(最後は1992年)というビッグクラブであるリーズユナイテッドは、熱心なファンがスタンドを埋め尽くすことでも定評があった。それだけに、今回の昇格決定、および翌日には2部の優勝が決定したリーズユナイテッドは、イングランド・フットボール界で大きな話題を呼んだ。

    言うまでもなく地元リーズ市では、2018年に監督に就任し、長年の悲願だったプレミアリーグ復帰を達成したマルセロ・ビエルサの人気は多大だった。16年ぶりのプレミアリーグ復帰を祝って、市の中心地にあるショッピングセンター「トリニティ・リーズ」に続く道の名前が「マルセロ・ビエルサ・ウェイ」と改名されることになった。そして、そのトリニティ・リーズは7月末まで「トリニティ・リーズユナイテッド」と標識を掲げることになったという。

    地元紙リーズ・ライブは、何ページにもわたってビエルサとそのヒーローたちの特集記事を掲げ、有名人リーズ・ファンの喜びのメッセージを並べた。

    そして、勢いに乗って「宿敵マンチェスターユナイテッド」へのメッセージを送った。いわく、リーズ優勝決定後の最初の試合はダービー・カウンティ戦(試合結果は3-1でリーズの勝利)で、「マンチェスターユナイテッドのレジェンドであるウェイン・ルーニーがリーズ一行にガード・オブ・オナーをした」記事を誇らしげに掲げ、ビエルサとはアスレティック・ビルバオ時代に共に働いた経歴を持つアンデル・エレーラがポストしたお祝いメッセージを、「マンチェスターユナイテッド・ファンの神経を逆なでする行為?」と、ジョークの絵文字付きで引用した。

    リーズユナイテッドのマンチェスターユナイテッドに対するライバル意識が、15世紀のばら戦争に起因していることは有名な話だ。白ばらのヨーク家(※現在のリーズ)が、赤ばらのランカスター家(※現在のマンチェスター)に敗れた、その30年間の内戦は、それから4世紀以上後に創立された2つのフットボール・クラブのライバル関係の原因ということだった。もちろん、これは赤ばらと白ばらの対決であるため、マンチェスターでも青をチームカラーとするシティは除外されていた。

    その5世紀に渡る(?)ライバルであるリーズユナイテッドのプレミアリーグ復帰は、必然的に、マンチェスターユナイテッド・ファンの間で大きな話題になった。「16年ぶりだから、我がチームの若手選手たちが、チーム間のライバル意識をちゃんと先輩から教わっているかと不安だ」と、あるマンチェスターユナイテッド・ファンがつぶやいた。

    その直後に、マーカス・ラッシュフォードが「リーズユナイテッドへ。昇格おめでとう」というメッセージをSNSにポストし、数分後に削除したという実話が流れた。マンチェスターユナイテッド・ファンは、「ラッシュフォードはさっそく勉強したようだ」と、ジョークを言って笑った。

    Liverpoolファンの間では、リーズユナイテッドの復帰を素直に喜ぶ声が圧倒的多数を占めた。「リーズユナイテッドは、歴史のあるビッグクラブで、痛い敗戦の記憶もあるが、常に強敵として敬意を抱いているチーム」と、多くのファンが頷いた。ビル・シャンクリーは、当時のリーズ監督ドン・レビーと「良きライバル」だったことも有名だ。

    Liverpoolファンの歓迎が聞こえたかのように、リーズ・ファンが「アンフィールドのアウェイ・スタンドで、『マンチェスターユナイテッドが嫌いな人は立ち上がって!』とチャンとしたら、全スタンドが総立ちになってみんなで爆笑したことがあった」と、昔話を口にした。

    「Liverpoolが30年ぶりの優勝に輝いたシーズンに、リーズユナイテッドが16年ぶりのプレミアリーグ復帰を達成するとは、ノスタルジックに浸るようなシーズン」と、Liverpoolファンは微笑んだ。。

    リーズ・ライブがLiverpoolファンのノスタルジーを引き取った。「ビエルサは、ヨーロピアン・チャンピオンでありワールド・クラブ・チャンピオンでもあり、そしてプレミアリーグのチャンピオンとなったLiverpoolを崇拝し、お手本としていると語った」。

    「リバプール市は、ロックダウンが解けた暁には必ず、ファンが安全に参加できる方法でLiverpoolの30年ぶりの優勝を称える祝勝パレードを行うと公表した。そしてリーズ市は、リバプール市の計画に習って、リーズユナイテッドの16年ぶりのプレミアリーグ復帰&28年ぶりの『優勝杯』を祝う準備を進めている」。

    2つの国のレジェンド(RIPビッグ・ジャック)

    7月10日、ジャック・チャールトンが亡くなったという悲報が伝えられた(享年85歳)。1966年W杯優勝イレブンの1人を失ったイングランドのフットボール界は、代表チームや現役時代の21年間を過ごしたリーズ・ユナイテッドはもちろん、全ての関係者やファンが、ビッグ・ジャックへの追悼を掲げた。

    翌7月11日の週末に行われたプレミアリーグ、およびイングランドリーグの全ての試合で、1分間の黙とうが行われた。実況放送のイングランド人コメンテイターは、神妙な声で、「イングランドのレジェンドでした」と言った。

    並行して、アイルランドでは、マイクル・ヒギンズ大統領が直々に追悼メッセージを出した。アイルランドのFA(FAI)は、「アイルランドのフットボールに永久的な変革をもたらしたレジェンド」と、史上初のW杯および欧州選手権本大会出場を達成した監督を偲んだ。

    ラグビーでは強国として海外に名が通っていたが、フットボールでは小国だったアイルランドが、1986年にイングランド人のジャック・チャールトンを監督として迎えてからは、まさに「永久的な変革」を成し遂げた。制度面の改革として、アイルランド代表選手の資格を緩和し(※)、イングランド生まれの選手を代表チームに選出するようになった時には、眉を吊り上げる人もあった。
    ※アイルランドで生まれたか、親がアイルランド人という資格を、祖父母まで拡大した。新制度下で、トニー・カスカリーノ、ジョン・オールドリッジらがアイルランド代表選手になった。

    しかし、最初のメジャーな大会だった1988年欧州選手権で本大会出場を達成し、アイルランドをヨーロッパの地図に載せただけでなく、本大会でイングランドを1-0と破ったことで、ビッグ・ジャックは一気にアイルランドのヒーローとなった。国内のあらゆるところでビッグ・ジャックのポスターが飾られ、オフサイドが何かもわからないような国民ですら、憧れのまなざしでビッグ・ジャックの名を語るようになった。

    当時のアイルランドは政治的に、英国、特にイングランドに対する反感は強く(※)、UEFAのメンバー国としては他国に当たる北アイルランドを自国と定義し、国民の間には「イングランドが我が国の一部を占領している」という感情が根付いていた。ベルファストでは、英国軍が銃を持って街中を警備していた時代だった。
    ※スコットランドとウェールズはアイルランドと同じケルト民族のため、「反英」はイングランドに向かっていた。

    ゴールウェイの観光バスに乗った時に、ガイドさんが開口一番に「イングランド人の方はいますか?」と乗客に質問し、誰もいないと確認した上で、占領地時代にイングランド人が地元市民を虐殺した歴史をえんえんと語ったことがあった。

    そのような時代に、イングランド人のビッグ・ジャックが、アイルランドにフットボール熱をもたらしたのだった。

    いっぽう、1966年W杯優勝を達成したヒーローであるビッグ・ジャックの悲報は、イングランドのフットボール・ファンにも衝撃を与えた。「時代は変わったから、今では信じられない話だが、1966年W杯の時に、ビッグ・ジャックとボビーのチャールトン兄弟のお父さんは、炭鉱の仕事で出勤しなければならなかったため、2人の息子が出ていた試合を見られなかったという。その実話を聞いて、ビッグ・ジャックに対する尊敬が一層深まった」と、あるベテラン・ファンが目を濡らしながら語った。

    引退した後に、「選手として最も思い出に残る試合は1966年W杯優勝ですか?」と質問されて、ビッグ・ジャックはくびを振った。「アンフィールドでリーズがリーグ優勝を決めた試合(※1969年、2位のLiverpoolとの直接対決だった試合で結果は0-0)が、選手として最も嬉しかった思い出だ」。

    ビル・シャンクリーがビッグ・ジャック獲得に動き、リーズの抵抗にあって断念したことは、Liverpoolファンの間で有名な話だった。そしてリーズのワン・クラブ・マンとして現役を終えたビッグ・ジャックは、クラブの優勝の方がW杯優勝よりも嬉しかったと、本心から語ったのか、それとも特有のユーモア精神から出た回答だったか、今ではわからない。

    そのようなビッグ・ジャック語録の一つを、レイ・ハウトンが披露した。Liverpoolの前回優勝メンバー(1989-90季)であり、アイルランドのW杯初出場ヒーローの一人だったハウトンは、欧州選手権のイングランド戦で唯一のゴールを決めた試合の後でビッグ・ジャックから言われた言葉を明かした。

    「監督から、『二度とするなよ』と言われたので、『何をですか?イングランド戦で得点することですか?』と聞き返した。『いや、違う。あんなに早く得点するのはダメだ。あの後の84分間は、私の人生の中で最も長い84分だった』と。本当に、ユーモアに満ちた人だった」。

    ハウトンと同じくアイルランドのW杯初出場ヒーローの一人であり、ビッグ・ジャック退陣後にアイルランド代表監督を勤めたミック・マッカーシーが語った。

    「ビッグ・ジャックの悲報は、アイルランドとイングランドの両方に大きな打撃を与えた。イングランドのファンは、1966W杯優勝ヒーローを失った。ただ、アイルランドのファンとアイルランドの国の方が大きな影響を受けたと言えるだろう」。

    政治的な情勢はこの30年で変わったが、アイルランドとイングランドの両国から崇拝されるビッグ・ジャックは、永遠にレジェンドであり続ける。


    優勝の実績が良い選手を作るのではない

    プレミアリーグの6月17日の再開に向けて、着々とステップを踏んでいた5月31日、シェフィールドユナイテッドの地元紙ヨークシャー・イブニング・ポストが、「最後にシェフィールドユナイテッドが6月にリーグ戦を戦った時、ブレーズ(※シェフィールドユナイテッド)はLiverpoolにリーグ優勝をもたらした」という見出しで、1947年を振り返った。

    今季、世界的パンデミックのために試合が中断し、通常ならばユーロやW杯などの代表チームの大会限定で、クラブの試合はあり得ない6月・7月にプレミアリーグの残日程が入った例外的な事態について、過去の事例を引き出して、いずれもLiverpoolがリーグ優勝に輝いたという共通点を紐解いたものだった。

    1946-47季は、20世紀最悪という悪天候に見舞われ、12月から2月にかけて延期・再日程となった試合が相次いだことから、最終日が6月14日、ブラモール・レーンでのシェフィールドユナイテッド対ストークシティの1試合だけが残った。5月31日に全日程を終えていたLiverpoolは、ストークに2ポイント差の首位だった。当時のイングランドリーグのシステムは、勝利は2ポイントだったが、得失点差で圧倒的に勝っていたストークは、最終日に勝てば優勝だった。

    そして試合は、シェフィールドユナイテッドが2-1で勝ち、「ブレーズがLiverpoolにリーグ優勝をもたらした」結末となった。開幕前に優勝候補と言われていたストークは、逆転を目指して猛攻撃に出た後半に、「レフリーの怪しげな判定の数々に涙をのんだ。ただ、ストークは、この試合の前にベスト・プレイヤーのサー・スタンリー・マシューズを売りに出してしまったのだから、勝てなかったのは自業自得」とは、同紙の結論だった。

    たまたま同期をとるように、リバプール・エコー紙が「前回、Liverpoolがリーグ優勝を待たされた1947年」として、同じ話を掲載した。ストークの敗戦の原因として、マシューズの移籍を上げたところまではヨークシャー・イブニング・ポストと共通していたが、同記事では、ブラモール・レーンの試合内容より、Liverpool陣営の動きに焦点を当てていた。

    インターネットも携帯電話もなかった時代のことで、自分たちの優勝の行方を追う手段がなかったLiverpoolファンのために、クラブが知恵を絞り、ブラモール・レーンの試合より15分遅れのキックオフで、アンフィールドでエバトンとの親善試合を行ったのだった。この試合はLiverpoolが2-1で勝ったが、満員のファンの関心はアンフィールドのピッチ上ではなく、スタンドに掲げられたブラモール・レーンの試合経過に集中していたことは言うまでもなかったが、ピッチの上の選手たちも、掲示板に目が向いていたという。

    かくして、6月14日まで待たされた1947年はシェフィールドユナイテッドが、日付という点では最遅記録となった2020年6月25日はチェルシーが、Liverpoolにリーグ優勝をもたらした。

    記録という点では、残り6試合となった今季、Liverpoolは、128年前のサンダーランドの「シーズン通してホームで全勝」にあと2勝、2018年のマンチェスターシティの100ポイントにあと4勝、同シーズンの最多ポイント差19などのチーム記録に加え、モー・サラーの3年連続得点王やアリソンのゴールデン・グラブという個人賞があった。

    ファンの間では、可能な限り多くの記録達成を目指すべき、という声と、来季に向けてのプリシーズン期間が十分に取れないだろうという前提で、残り試合で若手に経験を積ませるべきだという声が混在していた。ただ、誰もが一致していたのは、優勝という最大の目標を達成したチームに対する信頼だった。

    「2週間の間、他の試合の結果を祈るしかなかった1947年は、番外で開始したシーズンにそこまで行き着いた結果の優勝として大いに誇るべき。そして今季、3か月の不明瞭な期間をも克服して達成した優勝は、それを目指して進み続けたチームが自力で勝ち取ったもの。今季がどのような数字で幕を閉じようとも、次の目標への土台になることは間違いない」。

    ユルゲン・クロップが、ファンの信頼を裏付けた。「ファンが歌う'Allez Allez Allez'(アレ、アレ、アレ)の、『我々は決して止まらずに進み続ける』という一節は、今のチームを象徴している。今のチームはまさにその精神力を持っている。みんなで力を合わせて多くの優勝を達成したが、これで満足したから一休み、ということはあり得ない」。

    「自分の向上すべき点を直視してそれを克服するために日々努力し続ける。チームとして、クラブとして、一個人として、達成した業績を自慢するようなおごりは決して持たず、常により良くなれるよう働き続ける」。

    「優勝の実績が良い選手を作るのではない。向上するためには日々の努力しかない」。

    30年間の悲願が達成された日

    6月25日、スタンフォードブリッジでチェルシーがマンチェスターシティに2-1と勝って、Liverpoolのプレミアリーグ優勝が正式に決定した。残り7試合での優勝決定は、イングランドのトップ・ディビジョン史上記録だった(※)。
    ※これまでの最短は、残り5試合で優勝を決めた2000-01季のマンチェスターユナイテッド、2017-18季のマンチェスターシティ。

    イングランドのメディアは一斉に、Liverpoolの30年ぶりのリーグ優勝のニュースを掲げた。そのうちの一つ、BBCは「30年間の悲願」という見出しで、最後の優勝シーズンだった1990年から今季までの30年間に起こった出来事を振り返った。

    「1990年5月にLiverpoolがリーグ優勝した時、誰もが定例行事と受け止めた。それはLiverpoolにとっては過去18年間で11回目のリーグ優勝だったから。以来、通算238人の選手がLiverpoolの19回目の優勝を目指した。次の優勝までに30年もかかるとは誰も思わなかった」。

    並行して、ブリーチャー・レポートが「Liverpoolの30年間の悲願」というタイトルの、1分間の動画を流した。1990年に、お父さんに連れられてアンフィールドに向かう少年の姿で始まるその動画は、少年が成長し、お父さんと肩を並べてアンフィールドに通う姿に変わった。お父さんは次第に年を取り、少年はお父さんの車いすを押してアンフィールドに通うようになった。マンチェスターユナイテッドがヘッドラインを独占したニュースを背景に、お父さんは天国へと行ってしまい、少年は1人でアンフィールドに通う。その後、奥さんと一緒にアンフィールドに通うようになった少年は、2020年には娘を連れてアンフィールドに向かった。

    この動画を見て涙をこらえたLiverpoolファンは、BBCの記事を神妙な表情で見つめた。

    「2019-20季、対戦相手を片っ端から降参させたLiverpoolは、誰の目にも無敵の王者だった。唯一、Liverpoolをストップさせたのは、世界を襲ったパンデミックだった」。

    プレミアリーグが中断していた3か月余りの間に、世間の状況はめまぐるしく変動した。一時期は、「試合の再開は無理。30年ぶりの優勝にあと一歩に迫っているLiverpoolには気の毒だが、シーズンを中止し、2019-20季を無効とすべき」という声が、中立のメディアやアナリストの間で圧倒的多数を占めた。

    Liverpoolファンは、「97ポイント取りながら優勝できなかった昨季の後で、今季この戦績で、シーズンが無効で終わるなどと考えられない」と、ひたすら祈った。

    昨季は97ポイントの快挙が空手で終わってしまったプレミアリーグの失意を跳ね返して、クロップが「メンタリティ・モンスター」と表現した通り、チームはCL優勝を達成した。

    この30年間でCL優勝2回の記録は、ファンにとって誇りだった。ライバル・ファンが「チャンピオン(※リーグ優勝)になったことがないチームが『チャンピオンズ』リーグ(CL)で優勝するとは矛盾では?」と、嫌味のジョークを発するのを見て、Liverpoolファンは、「嫉妬だ」と冷笑してきた。しかし、CL(ヨーロピアン・カップ)通算6回優勝のうち、最初の4回(1977、1978、1981、1984)は、文字通りリーグ優勝チームのみが出場するフォーマットだったことは、誰もが認識していた。

    その30年間に、2位で終わったシーズン(2002、2009、2014)は、その翌季または翌々季に監督が交代し、ゼロからスタートするサイクルを辿った。「あと一歩で優勝を逃した」後の立て直しがいかに困難か、この30年間を見てきたファンは痛い程実感していた。

    それだけに、クロップと「メンタリティ・モンスター」たちの偉業は顕著だった。

    チェルシー対マンチェスターシティの試合の後で、スカイスポーツは、レギュラーのジェイミー・キャラガーに加えて、70-80年代の立役者だったサー・ケニー・ダルグリーシュ、グレアム・スーネス、フィル・トンプソンがリモートで出演し、Liverpoolの優勝の特集番組を放映した。Liverpoolのチーム一行は、前日のクリスタルパレス戦(試合結果は4-0でLiverpoolの勝利)のウォームダウンでホテルに戻った後で、半日滞在を延期してチーム全員でこの試合を見ることにしたという。

    インタビューに駆り出されたクロップは、Liverpoolのレジェンドからのお祝いに答えて、「あなた方がこのクラブの歴史を作ったのです。そして、ビル・シャンクリー、ボブ・ペイズリー、ジョー・フェーガンという人々が。そして、スティーブン・ジェラード。20年近くもの間、このクラブの歴史を担いだ。私にとっては、そのクラブの歴史があったから、選手たちにモチベーションを与えることは簡単でした」と、語った。

    「あなた方は30年間待ったのですからね」。クロップの目は、明らかに湿っていた。

    「ファンの方々に喜んでもらえていると思うと、ひとえに嬉しい。この優勝はあなた方のためのものです。ロックダウン中で一緒に祝えないけど、ファンの方々とは心でお祝いを共有しています。30年間の重荷を肩から降ろして、力を合わせて今回の歴史を作ったファンの方々と、共に祝っています」。


    フットボールの大逆転勝利

    6月17日にプレミアリーグが再開し、ロックダウンの制限下で不自由な生活を送っていた全国民に楽しみをもたらすことになった。観客無の限定版だったが、各クラブではスタンドにバナーを並べたり、ジャイアントスクリーンで自宅から応援するファンの映像を放映するなど様々な努力が施され、ピッチ上では90分の先制ゴールと同点ゴールで、ロックダウン中のファンに笑顔を与え始めた。

    その前日の6月16日に、マンチェスターユナイテッドのマーカス・ラッシュフォードがボリス・ジョンソン首相に政策のUターンを強要した話題が、全国メディアの社会ニュースのヘッドラインを独占した。

    英国がロックダウンに入って間もない4月初旬に、厚生大臣のマット・ハンコックが「強欲な億万長者のプレミアリーグの選手たち」を名指しで批判し、世間の非難にさらされたフットボール界は、22歳のラッシュフォードの果敢な行動をきっかけに、英国政府との対戦で大逆転裁判を収めることになった。

    これは、学校給食無償の措置を受けている子供たち(※)に対して、学校が閉鎖されていた期間中に、1人当たり1週間£15の食事クーポンが提供されていた措置が、学校の夏休み期間に当たる6週間の間は停止という政府の決定に対して、ラッシュフォードが食事クーポンの延長を求めるオープン・レターを出したものだった。
    ※税引き後の年収£7,400以下の低収入の家庭に対して、学校給食を無償で提供する措置。通常は学校が開いている期間のみ適用される。

    百万人を超えるフォロワーに対して、「地元選挙区の国会議員をメンションしてシェアしてください」とリクエスト付きでポストしたラッシュフォードのオープン・レターは、瞬時に英国のトレンドになった。

    片親の家庭で、5人兄弟の一人としてマンチェスター市内で生まれ育ったラッシュフォードは、最低賃金でフルタイムで働くお母さん一人の収入では不十分で、フードバンクやブレックファストクラブなど、チャリティ施設に通い詰める生活だったという。

    ロックダウンで学校が閉鎖された時に、いち早く無償の学校給食に頼っている子供たちを心配したラッシュフォードは、食事を提供するチャリティ基金に協力し、£20mを寄贈していた。そして、食事クーポン停止措置に際して立ち上がったのだった。

    「ロックダウン中に職を失って更に生活が苦しくなっている親は、お金が払えなくて電気が止められる危機に直面している。食事クーポンが停止されたら、そのような家庭の子供たちはお腹をすかせたまま眠らなければならなくなる。僕は子供の頃に無償の学校給食を受けていたから、お腹がすくということがどういうものか知っている。2020年の英国で、子供たちをそんな目に合わせないで」というラッシュフォードの悲痛な訴えに、労働年金長官のテリーズ・コッフィーが、嘲笑するかのような文面でレスポンスを投げた。

    「電気が止められることはありません」。

    これに対して、ラッシュフォードは反撃した。「僕の文章に対して上げ足取りしかできないあなたは、この国の将来を支えるべき子供たちがどうなっても良いと思っているのですか?」。

    ジョンソン内閣、単独で論戦を挑んだラッシュフォードに対して、英国の各界からエールが上がった。スポーツ・メディアは一斉にラッシュフォードをヒーローと崇め、野党からは称賛と同意の声が沸き、与党の国会議員の中にも賛成者が出てきた。

    政府がラッシュフォードに負けて、夏休み期間中も食事クーポン提供措置の延長を発表したのは翌日のことだった。「今朝、マーカス・ラッシュフォードと電話で話した。このような重要な問題を提議してくれてありがとうとお礼を言った」と、ジョンソン首相はUターンを告げた。

    マンチェスターシティFCが「ラッシュフォードはマンチェスターの誇り」とメッセージを出し、Liverpool FCは「ラッシュフォードはマンチェスターの子供たちだけでなく、マージーサイドを始め全国の子供たちを救った」と称賛した。

    Liverpoolファンは、「事態が通常に戻ったら、ラッシュフォードがアンフィールドに来た時に盛大な拍手で迎えよう」と、頷き合った。

    ラッシュフォードの生家があるマンチェスター市のウィゼンショウウ地区では、標識に「ラッシュフォード 1、ボリス(ジョンソン首相) 0」という手書きのバナーが飾られた。

    地元紙マンチェスター・イブニング・ニュースは、その標識の写真を付けて、「フットボールの大逆転勝利」という記事を掲げた。

    「厚生大臣のマット・ハンコックがプレミアリーグの選手たちを非難した時に、Liverpool主将のジョーダン・ヘンダーソンが全クラブの選手たちに呼びかけて『自分たちが出来ること』の実行に移した。そして今回、ラッシュフォードは政府にUターンを強要し、全国130万人の子供たちを救った。バンサン・カンパニがマンチェスターシティ主将だった時に、マンチェスター市長に協力を呼び掛けてマンチェスター市内のホームレス基金を立てた」。

    同紙は、フットボール史学の教授の見解を引用した。「プレミアリーグの選手たちは、20代からせいぜい30過ぎの若者だ。いっぽう政治家は、40代~60代になって初めて『人々が耳を傾ける声』が出せるようになる。70年代80年代のフットボーラーは、自分の意見をこのような形で表現するような慣習はなかったが、今のプレミアリーグの選手たちは変わってきている。社会問題に対する考えをはっきりと表現する選手が出てきている」。

    「今回、ラッシュフォードが自分の知名度を良い方向に活用して、正しい考えを広範囲の人々に効果的に訴えた。今後、もっと多くの選手たちが重要な問題について提議するようになるだろう」と、同教授は締めくくった。

    その見解を裏付けるように、トレント・アレクサンダー・アーノルドは語った。「僕は、『ピッチの上で自分の意見を表現する』という言葉が好きで、それを実行しようと努めてきた。でも、ピッチ外でも意見を表明すべきと感じるようになった」。


    観客無のマージーサイドダービー

    プレミアリーグ再開がいよいよ1週間以内に迫った6月14日、再開初戦が236回目のマージーサイドダービーとなる地元紙リバプール・エコーが、赤・青両ページで「最も記憶に残るダービー勝利ベスト5」というタイトルで特集記事を掲げた。

    Liverpoolの方は、96分に相手GKジョーダン・ピックフォードのミスからディボック・オリジが決勝ゴールを決めた、2018年12月のアンフィールドでの1-0が最も直近だったのに対して、エバトンは2006年のグッディソン・パークでの3-0から開始し、うち3試合は1990年代だった。

    実際に、Liverpoolが最後にリーグ優勝を決めた1989-90季から現在までの61試合の戦績は、Liverpoolの29勝に対してエバトンは僅か9勝(23分)、最後にエバトンがダービーを制したのは2010年10月までさかのぼる。しかも、今季のダービーは、6月17日にマンチェスターシティがアーセナルに負けた場合、Liverpoolは、勝てば優勝決定となる二重のビッグ・マッチだった。

    必然的に、エバトン・ファンの表情は暗かった。「マンチェスターシティがアーセナルに負けたら、ダービーを見る勇気はない」と、あるファンは悲痛な声を上げた。「ましてや、今回はスタンドから大声援でチームを励ますファンがいないのだから、勝ち目はない」。

    「最近7年間で、グッディソン・パークでは6分だから、引き分けだと思う。引き分けは我々にとっては勝利と同じだ」と、別のファンが頷いた。「我々ファンの悲願が強すぎて、それが逆にチームにプレッシャーをかけているのかもしれない。今回は観客無の試合となる分、不利な要素だけでなく、有利に働く可能性もある」。

    残り試合が全て観客無となることについて、ユルゲン・クロップは、ファンという強力な戦力を失う寂しさを明かした上で、「全チームが同じ条件だから文句は言えない。誰もが初めての状況に置かれているのだから、その中で勝てる方策を探すしかない。ないものを欲しがっても何も解決にはならない」と、冷静に語っていた。

    そのクロップが率いるチームに対して、悲観的な結末を予想しながら、エバトン・ファンは、「地元のシーズンチケット・ホルダーのLiverpoolファンは、グッディソン・パークで優勝を決めて我々の鼻を明かす、ということが考えられないくらいに、誰もが沈み込んでいる。スタンドに通い詰めた末に、30年間待ち焦がれていた優勝杯掲揚を、その場で味わうことが出来ないのだから」と、真相を明かした。

    「我々の中に、親族や親しい友人知人に一人もLiverpoolファンがいない、という人はないだろう。試合中は宿敵同士だが、日常はジョークを言い合う仲の彼らに、潔くおめでとうと言って上げたい」。

    3月23日から続いていた英国のロックダウンは、学校は完全閉鎖、医療機関と医薬品・食料などの生活必需品の販売店以外は閉鎖、一般の会社はテレワークのみ、同居の人以外は面会も禁止という厳しいロックダウンだった。それが、政府の方針により徐々に緩和され、ソーシアル・ディスタンスを維持すれば少人数(最大6人まで)の集まりは許されるようになり、一般の店舗も営業出来るようになった。

    それでも規制は残っており、年内は観客無の試合が続くと見られていた。Liverpoolが優勝すれば、大勢のファンがお祝いのためにアンフィールドに詰めかけ、ソーシアル・ディスタンスが維持できなくなることが危惧され、Liverpoolの残り試合の開催地は未定のままだった。

    「Liverpoolは、どこで試合をしようとも勝てるチームだ」と、グレアム・スーネスは信頼を表明した。「今のLiverpoolを見ていると、私の現役時代(1978–84)のチームが思い起こされる。やるべきことは、相手チームより動くこと。それが出来れば、相手より能力のある選手が揃っている分、必ず勝てる」。

    Liverpoolファンは、政府やプレミアリーグのお偉いさん方の「危惧」に苦笑しながら、根拠のない疑いを晴らすためにも、自主規制を唱え合っていた。「庭にプロジェクターを設置して、数人の友人と、ソーシアル・ディスタンスを保ちながら一緒に試合を見ようと思っている」と、あるファンは語った。「同じことを考えている人がたくさんいるらしく、プロジェクターが売り切れていた」。

    「優勝杯掲揚の瞬間にスタンドにいることが出来ないと考えると、落ち込んでしまう」と、別のファンは、寂しげに笑った。「でも、来年か再来年には、スタンドでチームと一緒に優勝を祝えるのだと楽しみにしている。今のチームは暫くは勝ち続けてくれると信頼しているから」。


    ジニのパワフルなメッセージ

    6月1日、プレミアリーグのチーム全体トレーニングが解禁になった初日に、Liverpoolのチーム一行がアンフィールドのセンターサークルに並び、片膝をついている写真が全国メディアのヘッドラインを飾った。これは、5月25日にアメリカ合衆国のミネアポリス近郊で発生した人種差別殺人事件(※)に際して、Liverpoolのチーム全体が団結してアンチ人種差別を訴えたもので、BBCなど一般メディアは、スポーツニュースではなく社会ニュースのトップに掲げた。

    ※黒人ジョージ・フロイドが4人の警官に捉えられた時に、うち1人の白人警官がフロイドの首を9分間に渡りひざで押し付け、死亡させた事件。これは、一連の動きを録画した動画が世界中で報道された。その白人警官は解雇され、過失致死の罪で逮捕された。直後に、過失致死(3種)から殺人罪(2種)への変更と、残り3人の警官の逮捕を求めて、ミネアポリスを始め、合衆国各地で抗議デモが行われた。

    「2016年の人種差別殺害事件の時に、サンフランシスコ・フォーティーナイナーズのコリン・キャパニックが、NFLの試合前の国歌演奏の時に、『人種差別殺人を容認する権力』として起立を拒否し、片膝をついたことが発端で、以来、この姿勢はアンチ人種差別の象徴となった」と、BBCは説明した。

    5月30,31日のブンデスリーガで、ジェイドン・サンチョら数人の黒人選手がゴールの時にシャツを脱ぎ、「ジョージ・フロイドに正義を」と書かれたメッセージを表示したことが伝えられていた。「今回のLiverpoolは、初めてチーム全体でアンチ人種差別を訴えた」と、BBCは伝えた。

    英国のアンチ人種差別団体「キック・イット・アウト」が即座に、「ヨーロピアン・チャンピオンであり、ワールド・クラブ・チャンピオンのLiverpoolが、チーム全体で宣言したことは大きな意味を持つ」と表明した。「プレミアリーグが再開した時には、全クラブの選手たちが試合前に片膝をついて欲しいと願う」。

    その翌日には、ニューカッスルとチェルシーがチーム全体で片膝をつく写真を掲げた他、プレミアリーグ各クラブの多数の選手たちや、フットボール界だけでなく、F1のルイス・ハミルトンや各界の有名人が続々と、アンチ人種差別を唱えるメッセージを表明した。

    世界中の訴えの中で、ジョージ・フロイドを致死させた警官の罪状は殺人罪となり、3人の警官が共犯で逮捕された。NFLのチーフが、「2016年に片膝をついた選手を批判したことは過ちだった」と謝罪した。最初の頃には街中の商店街を破壊するなどの暴動に発展していた合衆国の抗議デモは、間もなく完全な平和デモとなった。

    Liverpoolのチーム一行が、6月1日に晴天のへきれきのごとく片膝をついている写真を公開した時に、デイリー・スター紙が、「ジニ・ワイナルドゥムとフィルジル・ファン・ダイクが発起人となり、Liverpoolの選手全員とユルゲン・クロップやコーチ陣全員が賛成して実行に移されたらしい」という記事を掲げた。

    ジニが初めてアンチ人種差別を大声で唱えたのは、昨年11月のインターナショナル・ウィーク中のことだった。オランダ2部リーグで人種差別事件(※)が発生した直後のことで、「オランダでこのような事件が起こるとは、予想すらしなかっただけにショックだった」とジニは語った。
    ※SBVエクセルシオールの選手アフメド・メンデス・モレイラが、試合中に相手スタンドから人種差別的野次を受けて、試合が一時中断した事件。

    そして、11月20日のユーロ予選(対エストニア、試合結果は5-0でオランダの勝利)で、ゴールを決めた時にジニは、チームメートのフレンキー・デ・ヨング(白人)と一緒に腕を差し出すという動作で、アンチ人種差別を宣言したのだった。

    「もし自分が試合中に人種差別的野次を受けたとしたら、僕はピッチを去る。無視して試合を続けていれば、野次を飛ばしている奴らは『やってもいいんだな』と思って続けるだろうから」と、ジニは語った。これは、マリオ・バロテッリが試合中に人種差別的野次を受け、ピッチを去ろうとした時に、ブレシアのチームメートが引き留めた事件について意見を問われたものだった。「あの事件を見て、僕はいら立ちを禁じ得なかった。バロテッリがどんな気持ちでいるか、何故チームメートは分かってあげないのか、と」。

    「僕がその立場に立った時には、オランダ代表チームでもLiverpoolでも、チームメートは理解してくれると信じている」。

    そして6月1日、Liverpoolのチーム一行は、ジニの信頼に応えたのだった。

    「パワフルなメッセージだ」と、Liverpoolファンはチームに向かって強い拍手を送った。「ピッチ内だけでなく、ピッチ外でもこのチームは、一致団結して自分たちの信念を貫いている。まさに世界のベスト・チームだ」。

    スペシャルな人格を持つスペシャルなGK

    シーズン再開の兆しが見えかかった5月31日に、現3部のルートンタウンの地元紙ルートン・トゥディが、1982年9月に当時1部にいたルートンがアンフィールドで3-3と引き分けた試合で、「コップの人気を勝ち取った代理GK」のエピソードを掲載した。1-1だった時点でGKを負傷で失うことになったルートンは、急遽ライトバックのカーク・スティーブンスがゴールを守ることになった。しかも、ルートンがスペアのGKシャツを持っていなかったため、スティーブンスは借り物のシャツでゴールに立った。

    「Liverpoolのシャツを着てコップの前に立った私に対して、コップは'オンリー・ワン・スティーブンス'チャントで歓迎してくれた。そこで、私はコップの方を向いて十字を切り、お祈りをした。その瞬間に私はコップの人気者になった!」と、スティーブンスは笑顔で振り返った。最初のシュートをセーブしたスティーブンスは、コップに向かってガッツ・ポーズをするとコップは盛大な拍手をくれたという。

    スティーブンスの場合は代理という特異性はあったが、コップ前のゴールに立つ相手GKに対して、コップは必ず温かい拍手で迎える伝統は今でも続いている。外国から来たばかりのGKなど、コップが自分に向かって拍手しているとは気づかずに無視すると、コップはブーイングを送る。後からチームメートに教えられて、次にコップの前に立った時には自分からコップに挨拶すると、より盛大な拍手が返ってきた、という微笑ましい話もある。

    そのような「GK好き」のコップが、LiverpoolのGKに対して、日常会話の中で誇りを語る機会は、比較的少ないまま年月が過ぎた。そして、ロックダウン中のよもやま話的な記事として、地元紙リバプール・エコーがアリソンに対する評価を掲げた。

    「Liverpoolのクラブ史上ベストGKとして、今でもレイ・クレメンス(在籍は1967–81、470出場)を上げる人が圧倒的に多い。試合数でクレメンスの次に当たるのがブルース・グロベラ(在籍は11981–94、440出場)だが、チームに対する影響度という面では、アリソンは既にグロベラに並んだと言えるだろう」とは、同紙の結論だった。

    それはまさに、Liverpoolファンの意見そのものだった。

    2018年夏に£65mの移籍金でローマからアリソンを獲得した時には、事前にリバプール・エコー紙が、「ユルゲン・クロップは大金を費やしてGKを獲得したことがない」と噂の火消しに回っていただけに、Liverpoolファンは信じられない喜びに浸り、絶大な期待を抱いた。そして、その期待を上回ったアリソンは、ファンの絶対的な支持を受けるに至った。

    90分を通して高い集中力を維持し、勝敗に関わるセーブとデリバリーに、「£65mのバーゲン」と、ファンは笑顔を隠せなかった。

    更に、1月のマンチェスターユナイテッド戦で、93分のモー・サラーのゴールをアシストしたアリソンが、全力疾走してコップの前でサラーと一緒に祝った場面は、ファンの人気をこの上なく高めるに至った(試合結果は2-0でLiverpoolの勝利)。

    「あれはトレーニングで鍛えたもので、偶然ではない。相手選手の位置やモーの走りなど条件があったので、殆ど出す機会はなかっただけで」と、アリソンは、ロックダウン中のインタビューで、その時のパスについて振り返った。

    「そして、あのゴールは試合終了直前だったので、僕もみんなと一緒にお祝いしようと思って走った。みんなは疲れていたらしく、追い抜いて一番最初にモーのところに到達した」。

    試合後のインタビューで、ユルゲン・クロップは、「常に冷静で興奮することなどないアリソンが、一番乗りだったところが素晴らしかった!」と、ユーモラスに語った。

    アリソンのパフォーマンスに対する賞賛は誰もが口にするが、ピッチ外での人格的な側面について、ライバルチームのGKが晴天のへきれきのごとく証言したことがあった。

    Liverpoolが今季初敗戦を喫した3月のワトフォード戦(試合結果は3-0でLiverpoolの敗戦)の翌日に、ワトフォードのGKベン・フォスターが、アリソンのゲーム・シャツをチャリティ・オークションに出すというメッセージをSNSにポストした。大きな失望を感じていたに違いないアリソンが、快くチャリティに協力してくれたと、フォスターは感謝を込めて「レジェンド」と書いた。

    今季開幕直後のアリソンの負傷のため、短期契約でLiverpool入りし、現在は4番目のGKとしてトレーニングでチームメートを助けているアンディ・ロナガンは、「チームにいる第三者のような存在として証言するが」という前置きで、リバプール・エコー紙のインタビューで明かした。

    「今のLiverpoolは、僕の知る限り、最も誠実で友好的な選手たちばかりだ」と、プレストン、リーズ、ボルトン、フラムなど多くのクラブを経験しているロナガンは語った。「そして、アリソンはこれまで出会った中で最も低姿勢な人だ。世界のベストGKというのに」。

    ユルゲン・クロップが、ロナガンの言葉を引き取った。「GKとしての能力は元々分かっていたが、人格者という面では期待を大きく上回った」。

    「テクニカル面も、どんなに良くても満足せず、もっと向上すべく努力し続けている。本当にスペシャルな人間だ」。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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