ハムデン・パークのテレフォン・オペレーターからプレミアリーグのビッグ・クラブへ

    今季のプレミアリーグ開幕直前の特集記事の一つとして、BBCが「元バルセロナの選手だったプレミアリーグ監督が5人。全員の名前を言えますか?」というクイズを掲げた(※)。
    ※マーク・ヒューズ(ストーク、バルセロナ在籍は1986–1988)、ロナルド・クーマン(エバトン、同1989–1995)、ペップ・グアルディオーラ(マンチェスターシティ、同1990–2001)、マウリシオ・ペジェグリーノ(サウサンプトン、同1998–1999)、フランク・デブール(クリスタルパレス、同1999–2003)

    ユルゲン・クロップがLiverpool監督に就任したばかりの2015年10月に、その中の一人である、当時サウサンプトン監督だったロナルド・クーマンについて記者会見で質問されたことがあった。「あなたはクーマンと同じく、現役時代はディフェンダーだったので、監督としても共通点はあるのでは?」。これに対してクロップは、ユーモア口調ではあったが、目を丸くして、「現役時代?私は一無名選手だったのに対して、彼はワールドクラスの超スーパースター。比べるのは無謀ですよ!」と、一笑した。

    クロップが選手としてパッとしなかった真相は、監督としての成功話に花を添えていた。そして、クロップが折につけ、対戦相手の監督やスター選手に対して低姿勢で賞賛を語る姿も、人気の要因だった。

    同時に、子供の頃から順調にスターダムを上り詰めてきた選手が多い中で、長期負傷などでつまずいて苦戦している選手たちに対して、クロップが特に親身になる側面は、自分の現役時代の経験から自然に身に付けたものと言えるかもしれない。

    この夏の新戦力の一人であるアンディ・ロバートソンのエピソードは、クロップに深い感銘を与えた。それは、地元紙リバプール・エコーが「ハムデン・パークのテレフォン・オペレーターからプレミアリーグのビッグ・クラブへ」と題して掲載した記事の中で、ロバートソン本人も証言した。「自分のキャリアについて監督から質問されて、正直に話したところ、監督は何度も何度も、『いい話だ』と言ってくれた」。

    スコットランドのグラスゴーで、地元のクラブであるセルチックのファンとして生まれ育ったロバートソンは、8歳の時にセルチックのアカデミー・チームに入った。ところが、2008年に、恩師でクラブのレジェンドであるトミー・バーンズが亡くなり、後任のコーチから「体が小さ過ぎる」とダメ出しされ、15歳でセルチックを出されてしまった。

    それでも夢を捨てられなかったロバートソンは、スコットランド4部リーグのクイーンズパークに入り、プロ・フットボーラーを目指した。クイーンズパークはアマチュアで給料はなく、選手はフルタイムの職についていた。ロバートソンもクラブの紹介で、ハムデン・パークのテレフォン・オペレーター職に就いた。週5日、9時から5時まで電話対応の仕事をこなし、夕方6時からトレーニング、日曜日は試合という生活だった。

    「最初の1年は、セルチックから出されたショックから抜けられず、クイーンズパークでも良いプレイはできなかった。両親とも相談し、あと1年頑張ってダメならフットボーラーの夢を断念し、大学に行こうと思った」と、ロバートソンは振り返った。

    そのシーズンに、レンジャーズが倒産して4部に降格させらる事件が重なり、メディアの脚光が4部リーグに向けられた。そのタイミングでクイーンズパークのレギュラーとして名を上げたロバートソンは、2013年6月にプロのダンディーユナイテッドから引っ張られたのだった。そして、ダンディーユナイテッドでの初シーズンで、スコットランドの最優秀若手選手賞に輝き、スコットランド代表チーム入りを果たしたロバートソンは、1年後には£3mの移籍金でイングランドのハル・シティへと進んだ。

    「5年前にはハムデン・パークで電話対応をしていたロバートソンが、アンフィールドでLiverpoolの選手としてプレミアリーグ・デビューを達成した。クリスタルパレス戦でスタートしたロバートソンは、マン・オブ・ザ・マッチの活躍を披露した(試合結果は1-0でLiverpoolの勝利)」と、リバプール・エコー紙の記事には興奮が織り込まれていた。

    「これぞ正真正銘のフルバックという、正確なクロスの連発。£8mの移籍金は、ハル・シティから『泥棒』と非難されても仕方ない」と、ファンは大きな笑顔を浮かべた。

    ロバートソンは、試合後のインタビューでファンに感謝を捧げた。「Liverpoolでは、ワールドクラスの選手に囲まれているから、毎日、学ぶことが多い。僕はまだまだLiverpoolに来てから日も浅いし、向上の余地はたくさんあると思う。でも、まずは精一杯自分のプレイができた。スタンドのファンが温かく迎えて下さったお蔭。ありがとうございます」。

    ロバートソンがクイーンズパークでデビューしたのは2012年7月、18歳の時で、372人の観客の前でのことだった。

    「セルチックで失望を味わってから、ここにたどり着くまでのジャーニーは、僕にとって毎日の意欲の源になっている」と語るロバートソンに、クロップは笑顔でうなずいた。「Liverpoolで、その素晴らしいジャーニーの続編を作って欲しい」。


    出て行く選手に対してユルゲン・クロップが語った言葉

    プレミアリーグが開幕し、第一戦を終えた8月14日、ウエストハムに4-0と勝って首位に立ったマンチェスターユナイテッドの地元紙マンチェスター・イブニング・ニュース紙が、「今季のユナイテッドはアーセナルのインビンシブルズ(※)を凌駕するだろう」と題して、気の早い記事を掲げて話題になった。
    ※2003-04季に、26勝12分とシーズンを通して無敗でプレミアリーグ優勝を決めたアーセナルのニックネーム。

    さっそく隣のシティ・ファンが「もう今季の優勝が決定したようだ。3日前までプレミアリーグの開幕を待っていたように感じるのは気のせいか」と、ジョークを言って笑った。シティはアウェイでブライトンに0-2と勝って良いスタートを切っただけに、ファンも余裕に満ちていた。アーセナル、トットナムを含めて「トップ6」のうち4チームが3ポイントでスタートを切り、ユナイテッドの地元紙の極端さはないにせよ、各ファンの間では楽観ムードがよぎっていた。

    対極的に、3ポイントが取れなかったチェルシー(バーンリーにホームで2-3と敗戦)と、Liverpool(アウェイでワトフォードに3-3)の両おひざ元では、暗雲が覆っていた。開幕戦の不振がトリガーとなって、ピッチ内外の「問題」が脚光を浴びたのだった。チェルシーは、監督アントニオ・コンテからダメ出しを食らったディエゴ・コスタが公の場でクラブと監督を批判したコメントを出したのに続いて、数名の選手がコスタを擁護したことが、全国メディアで必要以上に取り上げられた。

    いっぽう、Liverpoolは、フィリペ・コウチーニョが開幕戦の23時間前に移籍リクエストを出した事件が、来る日も来る日もヘッドラインを飾り続けた。その移籍リクエストというのが、オーナーが「どんな大金を積まれても、コウチーニョは絶対に出さない」と、正式にクラブの方針を表明した数時間後のことで、しかも、ディレクター宛にメールで提出されたという、タイミングとやり方が強烈だった。

    更に、ちょうど同じ頃に、コウチーニョの家族という人物がスカイTVのインタビューで、コウチーニョが「半年前から監督(ユルゲン・クロップ)と関係が悪化したことを苦にして、出て行くことを真剣に考えていた」と証言したことが伝わり、火に油を注いだのだった。

    かくして、ピッチ外の出来事が重たくのしかかる中で、ワトフォード戦で、94分にコーナーから同点ゴールを食らうという、「セットピースを守れない、Liverpoolの典型的な欠点」が露呈された。CL予備戦プレイオフを3日後に控えて、自信の波に乗ることが必須だった試合で、大きな失望を味わう結果となった。

    そのホッフェンハイム戦に臨むインタビューで、Liverpoolの選手たちがことごとく「コウチーニョの行方についてどう思うか?」の質問攻めに合う様子を見て、ファンは悲鳴を上げるに至った。「この重要な時に、試合に集中できないのは致命的。マイナスの影響が大きすぎる」と、ファンの間で「コウチーニョを引き留めるべきか」という議論が湧き起こった。

    圧倒的多数のファンが、コウチーニョがバルセロナ入りを希望していることについては「理解すべき」という意見で一致していた。ほぼ同数のファンが、移籍リクエストのタイミングとやり方、そして「家族を通じてクロップに対する批判を表明した」ことについて、致命的な失望を抱いていた。

    「あの移籍リクエストの前までは、フィル(コウチーニョ)にあと1年留まってもらって、来年の夏には盛大な拍手でバルセロナに送り出そうと思っていた。でも、その後の卑劣なやり方に、裏切られたと感じている」という前提で、バルセロナから大金を取って今すぐ出すべき、という意見と、選手のわがままに屈せずクラブとして強い立場を維持すべき、という意見とに分かれた。

    そんな時に、ヌリ・シャヒンがドルトムントを出た時のエピソードを明かした、プレイヤーズ・トリビューン誌の記事がリリースされ、Liverpoolファンの心を直撃した。

    2011年にドルトムントがブンデスリーガ優勝を達成した夏に、レアルマドリードから引っ張られたシャヒンは、「ドルトムントには育ててもらった恩を感じていた。でも、子供の頃から憧れていたレアルマドリードに入る、という欲望は大きすぎた。これを断れば、この先永遠に『あの時に行っていればと後悔することになるだろう』と思った」と振り返った。

    そして、それを監督であるクロップに伝えた時に、クロップから言われた言葉を、シャヒンは明かしたのだった。「ヌリ、自分がやりたいと思う道を選びなさい。それがどのような方向になったとしても、私は君の味方だ。たとえ分かれても、私にとって君は大切な友人であることに変わりはない」。


    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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