フィルジル・ファン・ダイク サガ

    夏の移籍ウィンドウは正式には7月1日にオープンするため、現在はまだ幕開け前にあたる。しかし、それはあくまで建前上のことで、実際には1月の移籍ウィンドウがクローズしてすぐに開始し、3月ころには戦力補強計画が完成する。同様に、まずはクラブ間で移籍金などの条件に合意し、出す方のクラブが承諾して初めて選手と行く先のクラブとのコンタクトが可能になる、というのが移籍成立の正規の過程だが、殆ど形骸化していることは誰もが知るところだった。
    「事前の密会なしで成立する移籍の方が珍しい」と、6月8日のミラー紙がプレミアリーグの移籍事情を唱えた。「代表チームで一緒になった時に、選手が自分のクラブが狙っている選手に対して直接『リクルート活動』をする、というのは古風だが今でも使われている。最近では、監督が直接、選手と電話などで会話することが一般的になった。プレミアリーグの某有名監督は、必ず選手と直接話をして、気に入ったらしつこくメールを送り続けるという」。
    「どのクラブもやっていることだから、選手を取られる側のクラブも見て見ぬふりをする。Liverpoolの場合は、単に運が悪かっただけ」と、同紙は結論付けた。
    これは、フィルジル・ファン・ダイクを巡ってLiverpoolがサウサンプトンから「プレミアリーグに訴える」と紛糾されて、その日のうちに謝罪声明を出したことについての解説記事だった。
    その前日には、ファン・ダイクが「Liverpoolに入る決意は固まっている」と意思を表明し、他のクラブからの誘いを断ったという噂が流れたばかりだった。「ユルゲン・クロップがブラックプールでファン・ダイクと密会し、口説き落とした」という噂が流れ、「怒ったサウサンプトンがプレミアリーグに対して、Liverpoolの違法コンタクトを訴えた」と、サウサンプトンの地元紙デイリー・エコが報道した。
    その直後にLiverpoolが、「サウサンプトンのクラブおよびファンの方々に、フィルジル・ファン・ダイクに関してご迷惑をおかけしたことをお詫びします。サウサンプトンに対する敬意を表明すると同時に、わがクラブのファン・ダイクに対する興味を取り下げます」と、クラブ声明を発表したのだった。
    これに対して、Liverpoolファンはショックで言葉を失い、サウサンプトンのトップは困惑し、ファン・ダイク本人は、プライベート・ジェットの中でしかめ面している自分の写真をコメントなしでSNSにポストした。全国メディアはこぞってジョークを掲げ、第三者のファンは一斉に嘲笑した。
    「クラブ史上最悪の恥。サウサンプトンの言い分はさておき、即座に謝罪して白旗を上げた行為はまるでアマチュア」と、地元紙リバプール・エコーは強烈な批判記事を掲げた。アーセナルのオフィシャル・アカウントがTwitterにポストした「皆さん、アンフィールドでは何を吸っていると思いますか?」というジョークを引用し、「そう言われるのもごもっとも、と頭を抱えたくなる。責任者として初めての移籍ウィンドウで、Liverpool FCの名前を汚した」と、この6月からディレクターに就任したばかりのマイクル・エドワーズを名指しで批判した。
    「夏休みで母国に帰っているユルゲン・クロップが、ドイツのメディアのインタビューで、『昨年夏に、移籍資金で黒字を出すことは何の価値もないという真相を学んだ。必要な戦力を補強しなかったことで、1月の過密日程時期にツケを払った』と、来季に向けての戦力補強は多額の投資を予定していることをほのめかした。これまで移籍の過ちを繰り返してきたLiverpoolは、クロップという一流監督の下でCL復帰を獲得し、極めて重要な夏となるはずだった矢先に、そのクロップが必須と決めていたファン・ダイクを逃すことになった」。
    ほとぼりが冷めた頃に、リバプール・エコー紙は「フィルジル・ファン・ダイク サガはどうなる?」と題して、サウサンプトン・ファンの意見を掲載した。
    「Liverpoolはお咎めなしで終わるだろうが、僕を始めとして大多数のサウサンプトン・ファンは、処分されれば良いのにと思っている。そのくらい、今回のことでは目に付いた」と、サウサンプトン・ファンは語った。
    「これまで、Liverpoolが毎年わがクラブから選手を取っていることについて、特に反感はなかった。それは、サディオ・マネを除いてすべての選手の穴を埋めることに成功していたから。それも各段に少ない資金で」。
    ファン・ダイクの移籍を巡って、両クラブが水面下で交渉を続けているという噂について、「Liverpoolの例の謝罪のお蔭で、わがクラブが相当強い立場になったことは間違いない」と、そのサウサンプトン・ファンは頷いた。
    「ファン・ダイクに関しては、いくら大金を貰っても代替選手を獲得するのは不可能だろう。クラブが値を吊り上げて引き留めに出ていることからも明らかなように。ただ、正直なところ、ファン・ダイクは結局出て行くと思う。そして、行く先はLiverpoolだと予測している」。

    この夏の新戦力第一号

    5月30日、Liverpoolのこの夏の新戦力第一号が発表された時、地元紙リバプール・エコーは「ドミニク・ソランケってどんな選手?」という見出しの記事を掲載した。ロンドン出身でチェルシーのユースチームで育ち、見込まれながらもチェルシーでは出場機会を得る見通しがないため、若手にチャンスを与えるユルゲン・クロップを慕ってLiverpool入りを決意した19歳の若手フォワードで、Liverpoolではアンダー23チームで試合経験を積み、折を見てファーストチームに昇格させることになるだろう、と同紙は予想した。

    ファンは歓迎したが、移籍金£3m程度という状況からも、数年後に戦力になればラッキーと、誰もが感じていた(2017年6月末で契約満了だが、19歳のためLiverpoolはチェルシーに対して幾分かの金額を支払うことになる)。

    同時に、チェルシー・ファンから「わがクラブの方針は決定的に間違っている。ソランケは絶対に留めるべき若手。ロメル・ルカクと同じ運命になるに違いない」と、大きな悲鳴が上がった。

    2014年9月にチェルシーでプロ契約を結び、翌10月にファーストチーム入りしたソランケについて、当時監督だったジョゼ・モウリーニョは「もしソランケが数年後にイングランド代表チーム入りしないとしたら、それは私の責任」と期待を語った。しかし、チェルシーのアカデミー出身で、チェルシーで名を上げた最後の選手がジョン・テリー(デビューは1998年)という事実を引用するまでもなく、若手選手がなかなか育たない土壌は周知の通りだった。

    そして、モウリーニョの宣言とは裏腹に、ソランケも多くの若手と同じ道を歩むことになった。翌2015-16季にはフィテッセにローンに出され、1年後に戻って来た後は、アントニオ・コンテが率いるファーストチームには近寄るチャンスがないままシーズン後半を迎えた。2017年2月にチェルシーが契約延長を提示した時に、既に新天地を考えていたソランケはサインを拒否、「シーズン末には出て行くことが決まった若手」の一人として、試合に出してもらえる可能性はゼロになった。

    そのいきさつは、チェルシーの地元紙が掲げた以外は殆ど注目を浴びることがないまま、ソランケのLiverpool入りが発表されたのだった。

    「ドミニク・ソランケってどんな選手?」の中でリバプール・エコー紙は、それら一連の経緯を紹介した後で、ソランケがLiverpoolに目を向けた過去の出来事を掘り起こした。一つ目は2012年9月のアンフィールドでのマンチェスターユナイテッド戦(試合結果は1-2でユナイテッドが勝利)で、ソランケはSNSで「アンフィールドはものすごいスタジアム。ファンは素晴らしい!」と感激を表明した。続いて2014年4月のマンチェスターシティ戦(試合結果は3-2でLiverpoolの勝利)について、「Liverpoolの攻撃はすごく熱い!」と書いたメッセージも発掘された。

    「つまり、ソランケは数年前からLiverpoolに来る運命だった」と、ジョークを絡めながら「ソランケのLiverpoolとの関係」を連ねたリバプール・エコー紙と同期を取るように、地元の熱心なLiverpoolファンの中から肯定的な証言が続いた。「ソランケは、2年前にアンダー21の試合で、Liverpool戦でハットトリックを記録した選手。まさに磨かれないダイヤモンドで、超一流になる素質を全て備えている若手だ、と感銘を受けた」。

    それを受けて、Liverpoolファンは、この夏の新戦力第一号となる「無名の若手」ソランケに対して、期待と暖かく見守る決意を固めた。「ビル・シャンクリーは無名だったケビン・キーガンをサインした。ボブ・ペイズリーは無名のイアン・ラッシュを獲得した。このクラブが伝統的に実践してきたのは、素質を見抜いて大スターに育てること」。

    かくして、出る方と入る方の両地元紙とファンの間だけでささやかな話題に上っていたソランケは、アンダー20W杯、特に6月8日の準決勝(対イタリア、試合結果は3-1でイングランドが逆転勝利)の2ゴールで、いきなり全国的に脚光を浴びることになった。

    「すべての年齢層を合わせても、イングランド代表チームのW杯決勝進出は1966年以来の快挙。51年ぶりにW杯優勝を達成したヤング・ライオンズは、次世代を担う『ゴールデン・ジェネレーション』」という見出しを派手に掲げた全国メディアは、ゴールデン・ボール賞(最優秀選手賞)に輝いたソランケを「ディエゴ・マラドーナ(1979)、リオネル・メッシ(2005)、ルイス・フィーゴ(1991)、セルヒオ・アグエロ(2007)、ポール・ポグバ(2013)と同じスタート台に立った」とプレッシャーをかけた上に、「若手を育てることが出来ないチェルシーの損失は、Liverpoolの利益に直結した」と騒いだ。

    優勝監督ポール・シンプソンは、喜びを語ると同時に、メディアの過熱に待ったをかけた。「この偉業を達成した選手たちをそっとして置いて欲しい。これからクラブに戻って、どんな風に育つかは彼ら自身がクラブの中で努力すること。でも、今は、彼らに思う存分祝わせて上げて欲しい」。

    プロフィール

    ピーエルエフジェイ

    Author:ピーエルエフジェイ
    平野圭子(ひらのけいこ)
    プレミアリーグ ファングッズ店長です。

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